二十一世紀になっても徒弟制度
- 2014年 8月 25日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
ドイツの名門コングロマリット傘下にあったモータ制御システムを専業とする会社の日本支店で営業責任者として営業部隊を設立し日本市場参入の仕事をしていた。従業員二千人を擁し同業他社が追従できない技術的優位性のある制御インタフェースも持ち、その業界では世界的にも高い評価を受けている会社だった。
営業展開の実作業を始めて驚いた。ドイツ英語から直訳した見た目は豪華だが、表層的な仕上げだけで内容のない、ありますという程度のカタログ以外には営業資料に相当するものが一切なかった。数年以上その会社で営業部隊ができるまでは営業面もみてきた技術部長に営業資料に相当する資料について聞いたら、それぞれの製品の取扱説明書、結合説明書、保守説明書を読めばいいじゃないかと。日本語じゃなくてもかまわないので、その類の資料はないのかと再度聞いたら、そんなものはないとそっけない。
日本支店で数年以上働いてきた数人に聞いても埒があかないのでドイツの本社の営業部隊に問合せたら、PowerPointで作った資料数点が送られてきた。ドイツ人英語のせいで分かり難いというより製品の紹介にもなっていない。基礎技術に関する独りよがりのまるでお国自慢のような技術説明に終始したものでしかなかった。
それはそれで営業としても理解しておかなければならないことなのだが、営業部隊を立ち上げるには、どうしても早急に、数ある製品のどれが、どのような点で日本のどのような業界のどのようなアプリケーションに対するソリューションとして、客の、さらに客の客の立場から見て魅力のあるものなのかをわしづかみする必要がある。たとえテストスタンド上ではあっても、いくつも説明書を参照にしながら個々の製品をインテグレーションしてソリューションとしてどのような仕様で、性能でと確認している時間的な余裕などありようがない。営業マネージャとしてこの手の作業を自らしていたのでは、営業部隊の設立はおろか、一営業担当としての営業本来の仕事にすら手を付けられない。
思案していてもしょうがないので、しなきゃならない、できることから始めるしかない。あちこち散在している技術資料(技術屋のためのもので営業にはおよそ使えない)を参照して経験者に聞けることは聞きながら販売資料の作成から始めざるを得なかった。
そうこうしているうちにドイツの本社に行く機会があったので、営業のトップ(役員)にSales training(営業マン向けの製品トレーニング)を依頼した。驚いたことにそのようなものは存在しないし、考えたこともないとの返事だった。日本にも滞在したことのあるベテラン営業マンに聞いたら、営業マンは技術者の指導のもとに一つ一つ教えを請いながら十年くらいかかってやっと一人前の営業マンになるのだそうで。これは、営業だけでなくエンジニアも似たような状態だった。まるで徒弟制度だ。冗談じゃない、時間がゆっくり流れていた中世社会じゃあるまいし競争の激しい、変化の速い今の社会じゃ成り立たない。
このような組織においては、当然の結果として、知識を知っていることが知らない人を下にしき己の立場を優位にするための武器になる。同僚間でも本当の意味での知識の共有はあり得ない。
ヨーロッパの会社数社を渡り歩いただけの拙い経験からでしかないが、ヨーロッパには今だにこのような体質の会社が多いのだろうと想像している。もっとも日本の会社も似たり寄ったりで、二十一世紀にもなって徒弟制度もどきや教えないことが身分保全になっているところが多い。かつては徒弟制度、今流に言えばオン・ザ・ジョブ・トレーニング。名前が格好良くなっただけで実質はたいして変らない。二十一世紀になっても江戸時代以前の組織と精神構造。
なんとかしなきゃ、組織的に学習をしてゆく文化に進化しなけりゃと思うのだが、回りを見渡せば、どこでもここでも教えない輩の跳梁跋扈が目に付く。自分で自分がしていることを理解できないのだろう、日経あたりを読んで自分では先端にいると勘違いして、実は徒弟制度でしかあり得ない人たちが多すぎる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4964:140825〕
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