本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(63)
- 2014年 9月 1日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
アルゼンチンの債務不履行問題
今年の「7月」は「辛未(かのと み)」という暦であり、「1991年の暦」と「フラクタル(相似形)」の関係になっていた。そのために、「1991年の一年間の動きが、7月の一カ月間に、12分の1の規模で、凝縮して現れるのではないか?」と考えていたが、現時点では、「7月31日」に発生した「アルゼンチンの債務不履行問題」が、「1991年12月25日」の「ソ連崩壊」に相当する可能性が出てきたようである。つまり、この事件については、ほとんどの人が問題視していないにもかかわらず、一部の専門家は、「デリバティブ崩壊」のキッカケになる可能性を危惧しているのである。
具体的には、現在、「約8京円」も存在すると言われている「デリバティブ(金融派生商品)」に関して、今回の「CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の損失」が「蟻の一穴」になる可能性のことである。別の言葉では、今まで、ほとんど隠されたような状態になっている「デリバティブ」に関して、「先送りができないような状況」が発生することも考えられるのだが、かりに、この予想が正しいとしたら、現在の「金融システム」や「通貨制度」が、「ソ連の崩壊時」のように、一挙に崩れることも想定されるのである。
より詳しく申し上げると、今までの「QE(量的緩和)」の目的が、「国債の買い支えにより、金融のメルトダウンを防ぐ」ということだったようだが、現在では、「10月にも、米国の量的緩和が終了する」とも報道されているのである。そして、その後は、「誰が、米国債を買うのか?」という疑問点とともに、「金融のメルトダウンは、どのような形で進展するのか?」という点を考慮する必要性が出てきたのである。
つまり、「国債価格の暴落」が始まると、今まで表面化しなかった「デリバティブの問題」にまで「火の粉」が降りかかることが想定されるのだが、このことが、私の想定する「本当の金融大混乱」のことである。そして、その時には、「現代の通貨」そのものが信用できない状況となり、「世の中が激変する事態」も想定されるのだが、残念ながら、現時点では、ほとんどの人が、この問題を危惧していないようにも思われるのである。
そして、「目先の価格変動に対して、一喜一憂している状況」が継続しているのだが、これから想定される「世界的な金利急騰」が起きた時には、世界中の人々が慌てだすような事態も考えられるようである。具体的には、「資産の価値」に関して、いろいろな疑問点が噴出するものと思われるが、実際に、現在では、「若者たちでも、自分の年金や預金などの価値に不安を抱き始めた状況」になってきたようである。(2014.8.6)
-------------------------------------------
佐世保殺人事件を考える
7月26日に、「佐世保同級生殺人事件」という、きわめて痛ましい事件が発生したが、この点については、深い考察が必要だと考えている。つまり、現在では、「殺人事件の質」が、大きく変容したようにも感じているのだが、以前は、「保険金殺人事件」や「オレオレ詐欺事件」のように、「お金に困った人々が、お金儲けのために、いろいろな悪事を働いた」という状況だったようにも思われるのである。しかし、現在では、今回の事件や、あるいは、数多くの「通り魔殺人事件」のように、「人を殺したいから殺す」というような、「理解が難しい動機」が存在するようにも感じられるである。
つまり、現代人の「心の闇」が、今まで以上に深くなっているようだが、この点については、私自身の理解が足りなかったようにも感じている。具体的には、「保険金殺人事件」そのものが、「1970年代以降に頻発した事件だった」ということであり、また、「お金のために悪事を働く」ということ自体が、「倫理観や道徳の崩壊」を意味していたということである。別の言葉では、「社会の信用」や「人々の絆」に関して、「1970年代から、すでに、危機的な兆候が起きていた」という事実のことである。
また、過去を振り返ると、「1997年」に発生した「酒鬼薔薇聖斗(サカキバラセイト)事件」の頃から、「お金と無関係の殺人事件」が増えたようにも感じるのだが、このことは、「タテの絆」である「親子関係」の「断絶」にも、原因の一端が存在するようである。つまり、「親と子の信頼関係」が崩壊し、「子供たちに、居場所が無くなっているのではないか?」ということであり、しかも、「自分の存在価値」が否定されるような社会になっている可能性のことである。
その結果として、「いろいろな事件」を起こすことにより「社会から認めてもらいたい」というような「奇妙な欲望」が芽生えた可能性もあるようだ。つまり、「社会の信頼関係」が完全に失われたことを、象徴するような事件が多発したようにも感じられるとともに、表面上の「陰」が深くなっているものと思われるが、この時に起きることは、水面下の「陽」も、存在感を増しているということである
具体的には、「慈しみ」という「他人を思い、社会を憂う人々」が急増している可能性のことである。そして、これから想定されることは、「信用」を形にした「お金(マネー)」に関して「信じられないような事件」が発生することだが、この点に関しても、現在では、いろいろな兆候が出ている段階とも言えるようである。(2014.8.6)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion4971:140901〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。