挙国一致して内憂外患に対する絆の完成か
- 2014年 9月 12日
- 交流の広場
- 熊王信之
嘗ては、マルクス主義を批判・否定するにも、原典を読み込み、更には、その理想を政治的理念とした政党・政派を見極めるに当っても、その綱領なり政治理念を著した文書を読み判断するのは当然と思って今日まで来たものです。 でも、今日では、旧社会主義諸国の悪影響を逃れる術と思われての故か、言葉を左右されて言い逃れる輩が跳梁跋扈しているかのようであり、嘗て、自身が原典を参照してその全体像を把握しようと努めていたことと照らし併せて貧相に思えることがあります。
一例を挙げれば、マルクスの云うところの、「プロレタリア独裁」です。 彼は、「ゴータ綱領批判」において、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における政治形態を「プロレタリア独裁」としたものであり、マルクス自身に依り書かれた原典にある概念であり、如何なるものによっても揺るがせには出来ないものであるのは明白です。
ところが、前世紀にあっては、まず「独裁」と云う文字に抵抗感があったのか、他の用語に替えたマルクス主義政党が出現し、旧社会主義諸国が崩壊した後には、主に西欧諸国で概念そのものを放擲した政党・政派が出現したところです。 ロシア革命後のレーニンの下での「独裁」の実態が過酷・陰惨な粛清を伴った非人道的なものであった事実が明白になったことが原因でしょう。
しかしながら、いくら言を左右してもマルクスの「ゴータ綱領批判」やレーニンの「国家と革命」の原典は揺るがせには出来ないのは確かです。
時代錯誤の事象を語るのが目的ではありません。 実は、上記と同じく実態のあるものを、言を左右に操り相手を煙に巻く輩が居るのです。
元外務省官僚・現作家の佐藤優氏です。 聊か旧聞に属することですが、同氏が公明新聞に書かれた公明党擁護の記事を読むと、読んでいるこちらが赤面するような御追従の連発に辟易としてしまいます。 早稲田大学の水島朝穂教授は、佐藤氏の論説を鋭く批判されているところなのですが、護憲の立場に立たれる教授にして佐藤氏の全貌を誤解されておられたようで、少し私の方が驚きました。 佐藤氏は、鈴木宗男氏との関係を観れば分かるとおり、保守的思想の持ち主、と云うよりも可成りの右翼的信条の持ち主であるようで、何故、護憲・民主の立場を取られる方々が席を同じくされるのかが分かりません。 同氏の発言等を良く読めば、その実態に気付く筈、と云わねばなりませんから。
それに、何故此れほどまでにイスラエルに肩入れされるのかと首を傾ける程に彼の国に傾斜されています。 こんなバランス感覚を欠いた人物が、一時的にせよ外務省に居ては、日本の外交が一方的な方向に傾いてしまい国益には反する結果になるでしょう。 加えて、岩波書店や週刊金曜日と云った、巷間では護憲・民主の看板を背負う媒体に頻繁に出没されています。 とうとう、左右の差も無くなり、挙国一致して内憂外患に対する「絆」が出来たのでしょうか。
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