テント日誌9月19日…もう秋か!という感慨もなく過ぎゆく
- 2014年 9月 21日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1105日 商業用原発366日
もう秋か!という感慨もなく過ぎゆく
「もう秋か。――それんしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか…」《地獄の季節》と歌ったのはランボーであるが、こういう感慨もなく過ぎ去っていく夏だった気がしてならない。夏には夏らしいものがあるのだけれど、それはなかった。いつの間にか肌寒い日々がやってきては足早に冬がやってくるのか。テントに寝泊まりするようになってはや三年が過ぎたが、それにしてもというため息と、いやこれが続くことはなにごとかだという自問の繰り返しだった。少なくとも僕には…
日比谷公園ではビールを片手にロックに唱和する若者たちの姿があった。彼(彼女)等は何を惜しんでいるのか、傍に佇みながら、そんなことを思った。テントの前では歌声は響いていた。僕らはこの時代の中で何を歌うのか、何を歌わされるのか。本当は歌うことを拒絶されているのか。そんな思いを消すことはできない。深夜、眠れぬままに、歌に浸っていることもある。僕にはロックでも今の流行り歌でもなく、古い歌手たちのものだ。その一人に李香蘭もある。山口淑子が李香蘭であった時代、戦火の中国大陸で歌ったものだ。この時代の彼女の映画は観ることが難しいが、歌はCDに収まっている。高音でのびやかな彼女の歌は僕を慰藉してくれる。彼女は歌わされることと、歌うことの矛盾の中で歌い、そのことに自覚的だった。それはまた戦火の中で生きた人たちの存在であった。彼女は戦後に漢奸の疑いで処刑されようになったが、もし川島芳子のように処刑されていたら、僕らは彼女のことを知っていたであろうか。彼女はこの時代のことを自責の念と共に持ち続け、時代の証言者であろうとした。そして、パレスチナなことに関心を寄せ、従軍慰安婦の問題にも取り組んでいた。時代の動きをこころにかけながら去ったのだろうが、時代の証言者を失ったのは口惜しい。歌とともに彼女の心の底にあった思いを想起し続けて行きたいと思う。
従軍慰安婦の報道をめぐって朝日新聞が叩かれている。朝日に限らずマスメディアには不信が強いのだから、メディアの側の反省になればいい。読売も産経も日経も同じだ。メディアの内ゲバは大いにやればいい。これをやらされている事と、やっている事も含めた反省を彼らに強いるだろうからだ。情報の問題はいつの場合も発信者にではなく、その受けての判断にある。そこがはっきりしていれば、発信者の内ゲバなんぞはたいしたことではない。その場合には秘密保護法のように情報を権力が独占して隠し、操作することが恐ろしいのであり、さしあたりは、これにマスメディアがどう対応したかを見ればいい。読売や産軽は秘密保護法にどのように対してきたというのか。
従軍慰安婦の事なら、板坂元という人の『男だけの愉しみ』(PHP研究所)の「従軍慰安婦? それなら知っている」が次のように伝えている。中国の武漢市に韓国人従軍慰安婦十数名が今も残留しているという報道を受けて、それなら私も知っているというのだ。彼は1943年(昭和18年)の末に、学徒出陣で武漢市にわたり特別幹部候補生の教育の助手として従事していた。上官のひとり慰安所が出来ていると教えてくれた。
「慰安所というのは軍が管理している売春区域で、漢口には積慶里というところに慰安所が設けられていた《中略》、O少尉によると、この積慶里と別に新たな慰安所ができたということだった。聞けば朝鮮から軍隊慰問団を組織するという名目で強制的に集めた少女たちを連れて来て、慰安婦の仕事をさせているという。O少尉は、ここに泊って帰ってきた翌日、この少女慰安婦派、性体験に乏しく「痛い」といって泣く、と言う土産話をしてくれた」(『男だけの愉しみ』板坂元)。
この短い文章でも従軍慰安婦のことはうかがえる。少し想像を働かせればすぐにその実態を認識できる。ここで大事なことはこの売春は売春一般ではなく、軍の管理かに置かれたものであり、彼女らは辞めることも拒否する意志も奪われた存在であったこと、多くは日本の植民地下にあった朝鮮半島から連れてこられたことである。この日本の軍に従軍させられた慰安婦と言う存在を、その非道さと野蛮さを認識すればいいのだし、それを批判するのは別に理くつのいらないことである。従軍慰安婦の存在を否定したがる連中は軍隊の神聖さ汚されると思うからだろうが、それこそ軍隊の本質の宗教性を保持したいためだ。敗戦は神聖だった軍隊の本当の姿を暴いた。この従軍慰安婦の存在もまた軍隊の実際を暴くものだった。僕らはそこに歴史の本当の姿を見ればいいのだし、未来が開かれてあるのはこの本当の姿の認識からである。マスメディアや国家権力が従軍慰安婦の存在を否定するのにどれほど躍起になっても、これは消しさることに出来ないものである。
僕がはじめて従軍慰安婦のことを知ったのは戦前に先のところで語った李香蘭と親しかった田村泰次郎の戦争小説においてだった。彼は昭和15年から敗戦後の21年まで中国大陸で兵士としてあり、戦後にその体験を小説として書く。『肉体の悪魔』や『春婦伝』等である。これは『暁の脱走』として山口淑子主演で映画化されている。田村泰次郎の小説ではじめて従軍慰安婦の事は明るみに出される。が、注意はいる。GHQは『暁の脱走』の脚本を検閲し変更させたように従軍慰安婦の存在が明るみにでることを抑えた。それは人道的な理由でこういう惨たらしいことの公表を抑えたと言われるが、彼らも似たようなことをしていることを恐れたためとも言える。ただ、日本の占領期に従軍慰安婦の存在の公表が抑えられてきた事は、日本権力による証拠抹殺も含めてこの問題が公になることの時期を遅らせたこと、それを曖昧にさせたことを知るべきだろう。歴史的な証人というべき人たちが鬼籍に入って行くのは残念だが、こういうことでもある。
テントで起こっていることを書きたかったが、テント前に座りながらあれこれ考えていたことの方に話が行ってしまった。テントでは週末の川内原発再稼動阻止の行動を準備している。これにはテント周辺からも多くのひとが参加する。週末はテントも手薄になるかもしれない。少しの時間でもテントに足を運んで欲しい。 (三上治)
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<テントからのお知らせ>
●9月23日(火・祝)さよなら原発全国大集会&大行進 亀戸公園ステージ周辺 12時30分大集会・トークライブ 14時:30分大行進[デモ]
●9月28日(日)『ストップ川内原発再稼動!9・28全国集会』天文館公園 集会:13時~14時30分 デモ:14時30分~16時30分 「9月27日(土)14時鹿児島空港1階ロビー集合 9月28日現地行動」の企画あり。(連絡先テント070-6473-1947)
●9月30日(火)福島事故の責任を問う 9・30院内集会東京地検包囲 12時~13時30分:院内集会(参院会館講堂) 14時~14時40分:東京地検包囲行動 主催:福島原発告訴団
●10月1日(水) 第13回東電本店合同抗議 19時~20時 東電前
●10月14日(火)10時30分 テント裁判第8回口頭弁論 東京地裁大法廷(103号) 午前9時30分地裁前抗議集会 午後1時裁判報告集会
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