『経済学批判要綱』は哲学史上の如何なる問題を解決したか/12月4日の現代史研究会案内
- 2010年 11月 27日
- スタディルーム
- マルクス『経済学批判要綱』内田弘哲学的アポリア
来る(2010年12月4日(土) 明治大学リバティタワーにおける「現代史研究会」で、私は上記のようなテーマで報告します。マルクスに関心のある方々に是非、参加していただき、互いに理解を深めたいと思います。
「リーマン・ショック」がきっかけになって、マルクスへの関心が復活しました。マルクスを研究してきた者の一人として、この事態に注目しています。ただ、今日語られるマルクスが、1989-91年のソビエト体制崩壊後、マルクスを敬遠してきた思想態度を省みることなくその態度は無かったことにして語られるマルクスであり、あるいは、すでに1980年代以降「マルクス葬送」が語られたように「マルクス離れ」が進んだ経緯を省みず、その頃のマルクス理解が変わらないまま、マルクスが「復活」しているとしたら、困った事態ではないでしょうか。
大体、現代世界資本主義の恐慌という「敵失」によって、マルクスが「復活」しているとしたら、そのマルクス理解が正しいことは何も保証しません。この「復活」は、恐慌がもたらす失業・貧困・自殺という痛ましい犠牲の上に咲く「徒花」です。景気が良くなれば、また・また、「マルクス離れ」が「復活」することでしょう。いま語るべきマルクスは、「昔の《名前》で出ています」のマルクスでなく、「昔の《内容》のままで出ています」のマルクスでもなく、一歩でもいいから、前進=深化したマルクス理解でしょう。
ご案内する現代史研究会で、私が語りたいマルクスは「一歩でも良いから前進したいマルクス理解」です。以下に、私が今回、語りたいマルクス理解の要点を書きます。
(1) マルクスの価値概念とは何か。この核心問題です。マルクスにおいては、《価値→剰余価値→資本(剰余価値の蓄積)》というように、価値・剰余価値・資本蓄積の三者は論理的に連続した過程として展開されている、というものです。記述様式が、その三者の間にあたかも断層があるかのように記述されています。しかし、価値自体が剰余価値を胚胎しています(因みにマルクスの用語「剰余価値(Mehrwert)」の初出は『要綱』ではなく1844年の「スミス『国富論』ノート」における賃金を除く「諸収入の剰余価値への還元」の個所です)。マルクスの価値論は実質的に剰余価値への転化衝動を内包している価値を解明するものです。資本は「蓄積された剰余価値」です。したがって、《価値→剰余価値→蓄積剰余価値 (資本)》となります。論証は連続的、かつ重層的です。《要注意=マルクスはエンゲルスに、自分の経済学批判の記述法は「努めて分からないように隠す」といっています。それは文字面だけなぞっても、分からないのです。論理が連結する行間の空隙を読め(埋めよ)、です》。
(2) 問題の核心は、「価値とは、現存する使用価値をすべて内包し(利子は資金の「使用価値の価格」です)、かつ自己を外延に拡張する抽象的関係である」という事態の理解です。その関係は[《自己を要素として含まない集合①》の集合②]です。これは、バートランド・ラッセルが1901年に発見した「パラドクス」と論理構造は同じです。数学では「空(くう)集合(しゅうごう)(empty set)」と呼ばれています。ラッセルは、このパラドクスを矛盾率に反する論理的パラドクスとみて、それを回避するためにタイプ理論によって「集合の階層分け」をしました。しかし、マルクスは「内包と外延の同時存在」という矛盾を、資本主義の価値=貨幣支配の世界という現実存在に内在する論理構造として認識します。それは事実上(de facto)、数学でいう「空集合」と同型です。この認識を『経済学批判要綱』の最終部分「(Ⅰ) 価値」で確定していたのです。1858年春のことです。ラッセルのパラドクス発見の1901年より43年前のことです。『要綱』末尾で確定した体系は《商品で始まって諸商品を内包する商品資本に前進=復帰する体系(=集合②)、かつ無限に外部に新しい諸品種類を創造する体系(=集合①)》です。「空集合」と同型です。このアイディアは早くも1840年のベルリンにいたころにつかんでいました。そのころマルクスが研究するエピクロスの原子概念は「空集合」です。
(3)「空集合」とは、「近代的私的所有関係を結ぶ人間たちの間の、自己(主語)を他者で説明しよう(述語づけよう)とする主体間の相互関係」です。それが価値関係です。そのような相互関係に根拠をもつ価値関係は剰余価値の生産=領有関係を孕み、さらに資本(蓄積された剰余価値)関係を孕みます。この「マルクス空集合問題」とでもいうべき問題は、アリストテレスからカント、ヘーゲルへの哲学史上のアポリア(難問)をマルクスが解明した課題です。マルクスにとって、同時に、スピノザが書簡でいう「定義は否定である(determinatio est negatio) 」も深く関わります。或る主語(a)の定義は、その主語の存在域の外部(non A)を述語域にすることによって、可能です。述語域に存在する事物(b)が主語になると、先の主語(a)=述語(b)関係の逆(b=a)となります。この「内包と外延」の同時的な相互関係の抽象態が「空集合」です。マルクスの経済学批判は哲学史上のこの「難問史(アポレティーク)」の解決したものです。
大風呂敷を広げました。質疑討論の時間を一時間は取ります。是非参加してください。(以上)
第249回現代史研究会
日時:12月4日(土)1:00~5:00
場所:明治大学駿河台校舎:アカデミーコモン9階309号室
テーマ:『経済学批判要綱』は哲学史上の如何なる問題を解決したか
講師:内田 弘(専修大学名誉教授)
参考文献:内田弘著『「経済学批判要綱」の研究』(新評論)、『中期マルクスの経済学批判』(有斐閣)、その他
参加費(資料・通信費)500円
顧問:岩田弘、岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、塩川喜信、田中正司、(廣松渉、栗木安延)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study358:101127〕
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