本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(69)
- 2014年 11月 5日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
天の計らい
投資の世界に入って、今年で38年目になるが、今までの推移を振り返ると、実に、ダイナミックな変化が起きていたことが理解できるようである。具体的には、「日本のバブル崩壊」や「ソ連の崩壊」などのことであり、また、「いつの間にか、西洋の時代から東洋の時代に変わりつつある状況」などのことである。そして、この時に思い知らされたのが、「人智の限界」と「天の計らい」でもあったのだが、具体的には、「既存の経済理論では、ほとんど、現状説明ができなくなっている」という事実のことであり、また、「現在の世界が、悠久の歴史の中で、大きな流れに沿って動いている可能性」のことである。
別の言葉では、私の想定よりも、はるかに大きな規模で、「マネーの大膨張」が起きた可能性のことだが、このことも、結局のところは、「文明法則史学」が教えるとおりに、「約800年」にわたって継続した「西洋の時代」が終焉し、今後の「800年間」が、「東洋の時代」になるための「必要条件」だったようにも感じられるのである。つまり、現在の「信用本位制」が崩壊した時に、「大きな金融混乱」が起き、結果として、既存の「常識」も崩壊するものと考えているのだが、この点を「人智」で考えると、「なぜ、このような状況が必要だったのか?」と考えざるを得なかったのである。
そのために、「過去の歴史」を検証しながら、「どのような時に、世の中の大転換が起きたのか?」を熟慮せざるを得なかったのだが、結論としては、「凝り固まった人々の常識」を変えるためには、大きな「バブル」の発生が必要だったようにも思われるのである。つまり、「明治維新」や「第二次世界大戦」の時と同様に、あるいは、それ以上の規模で、「大きな変化」が起きない限り、数百年にわたって築きあげられた「マネーに対する信仰心」が崩れない可能性のことである。
つまり、「西暦400年前後の西ローマ帝国」や「西暦1200前後の宋」と同様に、「人智では、予測ができないほどの異常な事態」を発生させることが、「天の計らい」だったようにも感じられるのである。別の言葉では、現在の「世界の金融情勢」は、これほどまでに異常な事態になっているということだが、間もなく、本当の「金融大混乱」が始まることにより、本格的な「文明の大転換」が起きることが予想されるようである。
具体的には、過去数年間の、世界的な「量的緩和(QE)」自体が、「天に唾するような行為」であり、「この点に気付いた人々が、今後、どのような行動を取るのか?」ということだが、結局は、過去と同様に、慌てて「換物運動」に走り出すものと考えている。(2014.10.5)
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官僚化の弊害
先日、「司馬遼太郎氏」の「街道をゆく(佐渡のみち)」を読んでいた時に、「江戸初期の佐渡」で、たいへん興味深い事件が起きていたことに気付かされた。具体的には、「小比叡(こびえ)騒動」というものであり、具体的には、「突如、佐渡奉行に抜擢された、清廉潔白な辻藤左ヱ門」という人が、「どのようにして、いじめに遭い、また、謀反人になってしまったのか?」という事実について書かれた「鼠叢書」が紹介されていたのである。
そして、この時に、「司馬氏」は、「組織の腐敗が、どのようにして起きるのか?」、また、「どのような方法で、トップの人間が追い出されたのか?」をコメントしているのだが、この点について、「男のいじめ」は、「日本人に特有の民族病」ともコメントしているのである。つまり、「既得権を持った人々が、どのようにして自己防衛を計るのか?」ということだが、実際には、「無視」や「情報疎外」、あるいは、「孤立化」などが行われていたようである。
つまり、現在の「日本人」と同様に、「意見の違うものを無視する」、「正確な情報を流さない」、そして、「徒党を組んで、味方の利益だけを考える」というような状況のことだが、このことは、現在、「政治家や官僚の給料を上げて、国民からは税金を徴収する」というような状況にも相当するようだ。別の言葉では、「組織の腐敗」が進行しながらも、「歯止めをかける人がいなかったような状況」のことだが、この点について、「司馬氏」は、「中国の官僚は、日本人以上の酷さだったのではないか?」ともコメントしているのである。
具体的には、「なぜ、西遊記で、孫悟空の物語が有名になったのか?」という点において、「官僚悪に立ち向かう個人の弱さ」を指摘しているのだが、このことは、前述の「男のいじめ」が、「日本特有の病気」ではなく、「世界的な問題」とも考えられるようである。そして、この病気の行き着いたのが、現在の「世界的な金融コントロール」だった可能性でもあるようだが、実際に、「これほどまでの規模で、世界の金融市場が価格操作された例」は「前代未聞の状況」であるだけではなく、「将来的にも、ほぼ不可能な状況」のようにも感じざるを得ないのである。
つまり、「ゼロ金利政策」や「超低金利状態にある世界の国債」については、「LIBORの不正操作」と同様に、きわめて異常な力が働いたものと考えているのだが、このことは、「西遊記」に出てくる、「霊感大王」という「巨悪」と、「観世音菩薩」という「正義」との「戦い」とも考えられるようである。(2014.10.6)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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