「健さん」論はステレオタイプに収斂する ―高倉健追悼―
- 2014年 11月 25日
- カルチャー
- 半澤健市高倉健
以下は、以前に私が小さな同人誌に書いた日本映画『ホタル』(2001年)評である(***線の中に示す)。
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『ホタル』―感傷至上主義の「傑作」
日本映画『ホタル』(2001年)に私は感動した。
その理由は二つある。一つは、映画が示した「戦後の生き方」への懐疑。二つは、次世代への歴史の継承を怠ったこと。この二つを降旗康男監督が見せてくれたこと。そのことへの共感がその理由である。二つは一つのことでもある。「高度成長至上主義」が戦後の生き方であった。その生き方は真の歴史認識との決別を意味した。
「生きるってそんなに余裕のあることじゃなかった」
若い新聞記者が特攻隊生き残りの主人公に「山岡さんも藤枝さん(山岡友人。ただし昭和の終焉とともに自裁)も生き残られた。結果とはいえ、そのことが苦しみだったのでしょうか」と聞いたとき、高倉健が演じた山岡秀治はこう答える。
「生きるってそんなに余裕のあることじゃなかった。死ぬも生きるも、ただ前にまっすぐ進むことだったんだ」。これは戦後を生きた日本人には納得しやすい答えである。鹿児島にあって漁業で生き抜いた誠実な人物がいうのだから、尚のことである。作者はその生き方を批判していない。しかし問題提起はした。生きるために、戦争を忘れ、または忘れた振りをして「ただまっすぐ進む」ことが、どういう社会を作ったのか。
降旗は雑誌のインタビューでいう。「日本の世の中はどっちかわからないけれど曲がっちゃって、違う方向に向いてるような気がするんだけども」といい、アメリカに占領されても続いてきた日本的な人間関係の喪失を嘆いている。
「『ホタル』の主人公がこれからどうしようって前を向いた時に、自分を支えてくれるのは、五十年前に出会った金山少尉との触れ合いであり、そこからつながる女房との生活であったということなんです。一人一人が自分の気持ちの中から出発するしかない。そこからさらに自分を見つけていくしかもう道はないんじゃないかと思います。」(『正論』、2001年8月号)
「僕らが黙っとったら金山少尉はどこにも居らんかったことになる」
知覧の旅館経営者山本富子(奈良岡朋子)は、観音像をつくり特攻兵士の遺品を遺族に届けることで死者の慰霊をしている。彼女は、金山少尉(朝鮮名キム・ソンジェ)の遺品を韓国へ届けることを、特攻隊の戦友だった山岡に依頼する。肝臓を病んで余命の短い山岡の妻知子(田中裕子)は、金山の恋人であった。山岡は「僕らが黙っとったら金山少尉はどこにも居らんかったことになる。・・あの言葉も想いも。なんの形もない言葉だけれど、それを遺族の方に伝えに行こうと思うんじゃ」と知子にも同行を求める。
舞台は韓国の寒村である。山岡夫妻を迎えた遺族の一人がいう。「ここにいるみんなはどう思っているか知らんが、私はキム・ソンジェは死んでおらんと信じている。朝鮮民族が日本帝国のために、それも神風で死ぬなんてことはあり得ない。わざわざ訪ねて来てくれて申し訳ないが話すこともない」。
山岡は、自分が金山少尉の出撃前に聞き取った遺書として次のようにいう。
「私はトモさん(知子)のおかげで本当に幸せでした。私は必ずや敵艦を撃沈します。しかし、大日本帝国のために死ぬのではない。私は朝鮮民族の誇りをもって、朝鮮にいる家族のため、トモさんのために出撃します。朝鮮民族万歳。トモさん万歳。ありがとう。幸せに生きて下さい。勝手な自分を許してください」。ここがクライマックスである。高倉健は知子役の田中裕子とともに主人公を好演した。
「戦後精神への懐疑と経験伝承への怠惰への悔恨」
遺族との和解はならなかった。だが、現在までの日韓関係のなかでこの辺が限度だろう。そして、戦争映画に植民地の視点を導入し国際性をもつ作品になった。しばらく私はそう考えていた。しかし次第に私の理性は、上述の遺族の言葉に真理を見いだした。キム・ソンジェの敵は、知覧からは南西に位置する米機動部隊のなかにはいない。それは、東京の中心に存在するのではないか。山岡が伝達したキムのメッセージは、「トモさん」への愛情を人質にして、朝鮮人民を「大日本帝国」に抱え込むイデオロギーではないのか。もちろん山岡にはそういう意識はない。彼は自分の経験したこと、聞いたことをひたすら遺族に伝えようとして来たのである。
降旗康男は困難な状況を映画に取り入れて鋭い問題提起をおこなった。それは戦後精神への懐疑と経験伝承への怠惰への悔恨である。しかし代表的な監督と代表的な俳優の合作は、日本的な情緒と感傷の結晶として終わった。
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同時代の中に位置づける人物論が欲しい
『ホタル』への、私の感情は、アンビバレントである。理において反発し情において共感する。高倉健は、東映娯楽作品の二枚目として出発し、任侠路線を担いアウトローの英雄として成長し、遂には日本的な情緒を見事に表現する俳優になった。メディアの「健さん」論は、その人間性、存在感、男らしさ、優しさ、寡黙、心配り、で一杯である。映画史的な文脈すら不在の、ステレオタイプな「人間論」に収斂している。
高倉健が名優であるなら、彼を同時代の中に位置づける人物論が欲しい。彼から降旗監督の問題提起への答えを聞きたいものである。文化勲章を受け、83歳で逝ったその生涯は、戦後日本70年の時代精神の推移を確実に反映している。私にはそう思われるからである。
反体制から体制確立の時代へ。叛乱から叛乱包摂の時代へ。反逆の大島渚から人情の山田洋次の時代へ。
高度成長からバブル崩壊、それに続く鬱屈と閉塞の四半世紀が過ぎ、信じられない反知性的言説が政権中枢から発せられている。『幸福の黄色いハンカチ』が名作であることを私は否定しない。同時に、何度見ても涙を禁じ得ないあの名作では、新しい「大国主義」、「新自由主義」の危険な路線に、正面から対峙できないと思う。
「労働者諸君!」は爆笑の言葉ではない
「寅さん」映画が代表する、戦後教条主義への修正作法が、映画の世界を縮めてきたことが、小泉純一郎や安倍晋三を生んだ一因でもある。市場原理主義や、歴史修正主義をのさばらせる原因にもなったのである。
車寅次郎が、タコ社長の経営する印刷工場の青年たちに「労働者諸君!」と叫んだとき観客は爆笑した。しかし、2014年歳末のいまも、そのままでよいのであろうか。(2014/11/22)
■追記 『ホタル』は本11月25日NHK・BSプレミアムで21:00から放映されます。
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