異教徒迫害と民族浄化 ―「イスラム国」との戦いは国連中心で⑤
- 2014年 11月 26日
- 評論・紹介・意見
- イスラム国坂井定雄
「イスラム国(IS)」は、イラクとシリアで長い歴史を生き、定住してきた宗教と民族が異なる少数派の住民を迫害し、生命と財産を奪い文化を破壊している。
9月1日の「リベラル21」で報告した通り、もっとも残酷に取り扱われたのは、宗教も民族も異なるヤジディ教徒たちだ。その後の国際人権団体の報告などによると、8月はじめ、イラク北西部の町シンジャル(住民約8万8千人、うち半数以上がクルド人のヤジディ教徒)を襲ったISは、約500人の住民を殺害したのち、約2,500人の女性と子供を捕え、奴隷として一部の女性を戦闘員たちに配分し、一部を競売にし、子どもたちをイェニチェリ(戦闘員に訓練する子供)にした。町から脱出した約5万人の住民は、近くのシンジャル山に逃れ、クルド人民兵と米空軍機の支援を受けて東方のクルド人自治区に向け逃れていった。「イスラム国」は本拠地ラッカで発行している機関誌で10月、「審判の日の前に奴隷制を復活」と題した記事でヤジディ教徒の女性と子供の奴隷化を正当化した。
イラク総人口の数%、第3位、少なくとも50万人以上のトルコ系少数民族トルクメン人もシーア派が多く「イスラム国」の攻撃対象だ。住民約1万5千人の北部の町アメルリは、6月に「イスラム国」部隊に包囲されたが、虐殺を予想した全市民が必死に2か月間抵抗した末、政府軍とクルド人民兵部隊が「イスラム国」部隊を追い払った。
イラクで多数を占めるアラブ人に次ぐのは、クルド人(15-20%)。長年の曲折をへた独立運動の結果、イラク戦争後の05年にイラク北東部にクルド人自治区が正式に発足した。大部分がスンニ派だが、キリスト教徒やヤジディ教徒もいる。独立運動のなかで育った民兵部隊ペシュメルガが、イラクでもシリアでも「イスラム国」と勇敢に戦っている。 トルコ国境に接するシリアの町コバネはクルド人が多い人口5万人ほどの町で、7月に周辺地域が「イスラム国」に占領され、町も包囲されたが、武装した住民たちが頑強に抵抗。さらにイラクのペシュメルガがはるか東方のクルド人自治区からトルコ領を通って支援に加わり、米軍機も空爆で支援、「イスラム国」と戦い続けている。戦う住民たちの中には若い女性たちもおり、その写真がネットで世界中に拡がった。ISはクルド人を非アラブ人で多宗教、スンニ派でさえ裏切者だとして攻撃する。「イスラム国」にとってクルド人は、キルクークを中心とする北部の油田地帯の争奪戦の相手でもある。
イラク人口の約60%を占めるアラブ人シーア派は、大部分が南部に住むが、北部、中部の都市にもかなり住みついている。その住民たちは、他宗派、他民族ほどには迫害されてはいないが、シーア派のモスクは次々と爆破され、捕虜になったシーア派の政府軍兵士や警官がISに集団虐殺されている。
イラクには東方キリスト教が6世紀には根付き、2003年のイラク戦争前には約140万人のキリスト教徒が住んでいた。それ以来、反米テロの目標にされ、2011年の米軍撤退までに90万人以上が国外に移住し、最近まで、50万人ほどが残っていた。そのうち30万人ほどは、古代メソポタミアからの住民で、いち早く東方キリスト教徒になったアッシリア人。イラク第2の都市モスルはじめ北部の町や村に住んでいた。ISはモスルを占領した直後、キリスト教徒たちにイスラムへの改宗かシズヤ(人頭税)を支払うか、死を選ぶかを迫り、そうでなければ身一つで直ちに脱出することを許した。キリスト教徒たちはほとんどが、おもにクルド人自治区へと脱出、難民になった。空き家になった家屋と財産はISが奪い、戦闘員と家族が住みついた。市内ではISの占領後、イスラム戒律が強制され、違反者は見せしめに、死刑や手首の切断、むち打ちなどの刑が公開執行された。学校では男女共学、教師たちが異性の学生に教えることは禁止され、授業は「イスラム国」流に全く変更することを強制された(次回に現地報告紹介)。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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