昭和16年12月8日 ―戦争はいつも自衛戦争である―
- 2014年 12月 8日
- 時代をみる
- 半澤健市戦争
《「自存自衛」は世界を敵にまわして敗北した》
大東亜戦争の大義は「自存自衛」と「東洋平和」であった。昭和天皇は1941(昭和16)年12月8日に発した『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』でこういっている。以下はその一部である。文中の「残存政権」とは重慶の蒋介石政権のこと。
米英両国ハ残存政権ヲ支援シ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス
国際法の専門的な理屈は知らないが、今日的常識で判断すれば、個別的自衛権発動による宣戦布告以外の何ものでもない。詔書は前年9月に調印した日独伊三国同盟に言及していない。大日本帝国は、「自存自衛ノ為」に3年8ヶ月を戦い、日本人だけで310万人が死に、アジア太平洋地域で、数千万人が死んだ。その戦争の、降伏文書調印式は1945年9月2日に、東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた。最高司令官の米元帥ダグラス・マッカーサーが連合国を代表して調印し、他の8つの連合国イギリス、フランス、オランダ、中華民国、カナダ、ソビエト、オーストラリア、ニュージーランドが副署した。
1951年9月にサンフランシスコで行われた対日講和条約に参加した国は52カ国である。「自存自衛」、「東洋平和」を大義とした「天皇の戦争」は、結局のところ、全世界を相手に戦い、悲惨な戦禍を残して敗北した戦争だったのである。
《昔の敵国で今の同盟国アメリカの大義》
日本にとって唯一の同盟国であるアメリカは1945年以降も、殆ど「切れ目なく」戦争を続けている。米国のこれらの戦争の大義どのように主張されてきたのか。それは正当であったのか。不法であったのか。我々は米国の戦争をどう認識すればよいのか。
政治哲学を専門とする若手研究者松元雅和(1978年生、島根大准教授)は、『平和主義とは何か―政治哲学で考える戦争と平和』(中公新書・2013年)で次のように書いている。「/」は中略を示す。
政府がいったんある戦争を決意すると、あらゆる情報がその正当化に向けて都合よく配置され始める。/第二次大戦中のナチス・ドイツでさえ/いわゆる「生存圏」(レーベンスラウム)構想のもと、こうした自己イメージを盛んに喧伝していたのだ。
戦後においても、この種の自己弁明が鳴り止む気配はない。アメリカのベトナム戦争参戦は、南ベトナムとの集団的自衛権の名目のもとに行われた。アメリカのニカラグア干渉(一九八一年~)やグレナダ侵攻(一九八三年)の口実も、集団的自衛権の行使あるいは在外自国民保護だった(前者は国際司法裁判所によって国際法違反と認定され、後者は国連総会の決議によって強く非難された)。湾岸戦争後のブッシュ前大統領暗殺未遂事件(一九九三年)の際には、すでに容疑者が逮捕されていたにもかかわらず、アメリカは自衛権の名のもとにイラクを爆撃した。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件(一九九八年)の際にも、アメリカは自衛権の名のもとにスーダンとアフガニスタンを爆撃した。同時多発テロ事件後のアフガン戦争(二〇〇一年)は、英米が個別的・集団的自衛権を発動して始まった。イラク戦争(二〇〇三年)に先だっては、安全保障上の脅威に対して先制的に自衛権を行使しうるとの戦略方針(いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」)が示された。戦後の国際関係の歴史は、自称「自衛戦争」のリストで満ちあふれている。(同書123~124頁)
松元氏は反米的な思考者ではない。むしろ私の同書読後感は、冷静かつ客観的すぎて「まだるっこしい」と思うくらいである。それだけに、この叙述に示された、傲慢で無原則な―というより暴力的な原則をもつ―アメリカ外交、に改めて驚くのである。
《「戦後の運命」を決定するものとして、我々の眼前にある》
安倍晋三内閣は、2014年7月1日に「集団的自衛権行使」を閣議決定した。
安倍首相が記者会見などで説明した「想定ケース」と上記の現実には大きなギャップがある。それを突いた質問や討論を私は聞いたことがない。今のメディアは政府の設定するイシューの土俵で言説を展開している。戦中の「大本営発表」の受け売りと同じである。
来年の「戦後70年」で、戦後の終わりと人はいう。戦後の終わりどころではない。
いや今や戦前だと人はいう。戦前どころではない。もう戦中だというのが私の認識である。
2012年12月の総選挙、2013年7月の参院選で国民は、「愚かな選択」をした。
人々は、三たびそれをするのか。
2014年12月14日の総選挙は、「戦後の運命」を決定するものとして、我々の眼前にある。(2014/12/5)
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