「ドイツのヨーロッパ」と「囚われ人スペイン」──先週の新聞から(6)
- 2010年 12月 8日
- 時代をみる
- ユーロ危機脇野町善造
世界金融に関する新聞記事を読むことを目的にしたこの報告を開始したのは先月初めのことであった。その頃、世界金融の話題の中心となっていたのは、アメリカの金融緩和とドルの下落、人民元の為替操作であった。しかし、いつの間にか関心はヨーロッパに移ってしまった。たしかにアイルランドから始まって、ポルトガル、スペイン、イタリアへと広がっていく、ユーロの危機はいまだ止めるべき手立ても見つかっていないし、ユーロの危機はEUの危機にもつながる。ユーロの危機はドルの相対的高止まりと、ドルに連動した人民元の対ユーロ相場での上昇による、ヨーロッパにおける中国製品の競争力の弱体化を引き起こす。そこにさらにユーロ危機に対するドイツの対応いかんでは、ヨーロッパ大陸における大きな地殻変動さえ考えなければならない。「ユーロはかつてない危機にある」(12月3日のSpiegel onlineでのドイツ人エコノミストの発言。それが記事の題名にもなっている)といえる。そういう状況では、ヨーロッパに関心が向くのも無理はない。
11月29日のWall Street Journal (WSJ)は、アイルランドにはフラストレーションがたまっていることを報じ、「われわれが苦しんでいるため、債券保有者は苦しまない。そんな資本主義は正気を失っている」というアイルランド人の声を載せた。現状では、債券保有者を苦しめるような措置を取ったら、金融システム全体の動揺につながるから、苦しみは債券保有者という「持てる者」ではなく、納税者や年金受給者という「持てざる者」に押しつけられることになる。「そんな資本主義は正気を失っている」というのは「持てざる者」に限定された判断であって、資本家から見れば、「持てざる者」がまず苦しむのは当然のことである。だからその程度のことが、「かつてない危機」の理由となるわけではない。
「かつてない危機」とは、「債権保有者を苦しめないかぎりユーロを維持できなくなる危機」のことであろう。現に上述のドイツ人エコノミストは、弱った銀行は破綻させるべきだと主張する。ここには、そうしないかぎり、銀行の救済に振り回されて、ユーロは一向に安定性を回復できないという判断(解釈)がある。そして彼は「通貨同盟が政治同盟に発展したときに初めて、ヨーロッパは経済政策にかかる実行力をもつ」と結んでいる。
もちろん、これはインタビュー記事であり、Spiegel online自体の解釈ではない。しかしドイツを代表する有力週刊誌にこういう発言が掲載されることは、現在のユーロ危機に対するドイツの姿勢を示唆しているとも言える。
それがあるからであろう、12月3日のFinancial Times(FT)は、「新たな国家主義に陥る欧州」と題する記事でドイツを激しく攻撃している。この報告の第1信(2010年11月08日付け)で、ジャーナリズムとは「報告」と「解釈」の二つからなる、とした。国際金融に関しては日本の新聞には、「解釈」はもとより「報告」さえ正確さを欠く嫌いがあるが、このFTの記事は「報告」が後景に退いて、「解釈」ばかりが叫ばれる珍しい記事になっている。
ユーロの危機は欧州の危機だ。大陸欧州は、新たな国家主義に陥りつつある。/……我々が今目にしているのは、将来への自信を失くした欧州の切羽詰った国家主義だ。/世界の勢力が西から東へとシフトしたことを受け、欧州連合(EU)は内向きになった。同じように、EU加盟国もまた、内向きになっている。
これが記事の書き出しである。本当は「新たな国家主義」や「内向きになっている」ことの具体的事実を「報告」すべきなのであろうが、それはない。それだから、記事のあちこちに辻褄の合わないことが出てくる。「かつて欧州が国際舞台の役者になると予想したフランス、ドイツ、イタリアの指導者たちは、狭い国益を必死に定義しようとする器の小さい政治家に道を譲った」とする一方で、「いわゆる周縁諸国で耳にする反論は、ドイツ政府は『ドイツの欧州』を望んでいるように見える、というものだ」とも「欧州をドイツのイメージに沿って作り変えることは、政治が許さないだろう」とも書く。ドイツの政治家は「狭い国益を必死に定義しようとする器の小さい政治家」であるとともに、「ドイツのイメージに沿って」、「ドイツの欧州」を創ろうとしていることになる。また、「これまでの証拠に基づく限り、ドイツ政府にはユーロを救う政治的意思がない」としながら、ドイツのメルケル首相のユーロ防衛に対する強い意志を紹介する(もっともメルケル首相の姿勢は戦後ヨーロッパにおけるドイツの特殊な役割を忘れた「経済的正統主義」だとして批判される)。
ここに見て取れるのは、ユーロの危機を火事場泥棒的に利用した、ドイツの主導権の元でのヨーロッパの政治同盟への期待と危惧である。
FTの記事は、「現在の脅威は、大西洋ではなく太平洋に属する世界で欧州が存在意義を失っていくことだ。新たな国家主義は、このプロセスを速めるだけだ」とまとめられている。しかしヨーロッパが太平洋で存在意義を失うことがヨーロッパ諸国にとって大きな問題になるわけではない。足元に火が付いている状況で、誰が遠い海での漁の心配をするであろうか。
その足元の火事は、かなり深刻なものとなりつつある。スペインの新聞、El Paísは12月3日に現下の失業をめぐるスペイン銀行の調査結果を「報告」している(この日のEl Paísは「報告」に徹していて、何の「解釈」も示さない。あらゆる新聞が政治的姿勢を顕わにするとされるスペインの新聞にしては珍しい話である。El País は中道左派の新聞であるといわれるから、現政権の姿勢と一致する。そのために、政府にとって都合の悪いこの調査結果の「解釈」を控えた可能性がある)。
この「報告」によれば、失業率は2007年第2四半期の7.9%から、2010年第2四半期には20.1%に達している。この調査では家族単位の失業の状態も示されていて、失業者5人のうち2人は、家族全員が職をもっていない。そして全家庭の10.2%で、家族全員が失業状態にある。労働予備軍は誰が維持するのかということは古くからの問題であった。労働している家族が維持するというのが、普通の答えであった。スペインではそのいわば古典的回答が適用困難な状況が生まれている。歴史の教科書が教えるところでは、スペインは1929年から始まる世界恐慌でほとんど痛手を負わなかった数少ない国の一つである。その限りにおいて、スペインは歴史上初めての大恐慌を経験することになるのかもしれない。
そしてこの大恐慌を回避するのは、容易なことではない。クルーグマン教授が11月28日のNew York Timesに「囚われ人のスペイン人」(Spanish Prisoner)というタイトルの論文を寄せている。クルーグマン教授は住宅バブルの崩壊や失業の増大という点でスペインはこの数年のアメリカとよく似た状況にあるとする。しかしアメリカと違い、スペインは固有の通貨をもっていない。だから通貨の為替レートの切り下げによって、国内産業の競争力を回復させるという方法をとることができない(クルーグマン教授によれば、アメリカはそれをやろうとしている)。スペインにできることは国内の価格と賃金を引き下げることであるが、これはデフレを生じさせ、そうでなくとも住宅バブルの崩壊等によって大きな問題となっている負債の処理を更に困難にすることになる。「スペインは事実上、ユーロの囚われ人である。そこから抜け出すよき選択肢はない」。これがクルーグマン教授の結論である(このあと、クルーグマン教授はこのスペインの教訓をアメリカに振り向けている)。
ユーロを解体し内に籠もるのも、ヨーロッパに政治同盟を作り上げるのも勝手だが、「ユーロの囚われ人」として牢獄に放置されるスペイン人は一体どうなるのか。スペインの各地に眠るアナキストたちはこの光景をどう見ているのであろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1116:101208〕
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