「秘密法」ごり押し制定の安倍政権に「言論の自由を守れ」という資格があるのか?
- 2015年 1月 13日
- 交流の広場
- 山川哲
1月7日、パリの新聞社「シャルリエブドCharlie Habde」(風刺記事や風刺漫画で売っている週刊誌)に、二人組の男が押し入り、ロシア製の自動小銃を乱射、編集長のステファン・シャルボニエ以下12人を射殺した事件のニュースは、瞬く間に世界中に報道されて言論・表現の自由を守れ、という大合唱に火を付けた。
これに乗り遅れては大変と、直ちに各国政府は次のような声明や談話を発表。
米国のオバマ大統領「テロリストを裁くために必要な支援をする」、英国のキャメロン首相「言論の自由と民主主義という価値を奪うことはできない」、ドイツのメルケル首相「フランスの市民とメディアの表現の自由に対する攻撃」、中国の習近平主席「テロリズムは人類社会の共通の敵であり、中国とフランスおよび国際社会が直面する脅威でもある。中国はあらゆる形のテロに反対している。中国はフランスおよび国際社会と共に、安全と対テロ分野の協力を引き続き強化し、両国および世界の平和を守り、各国国民の安全を守りたい」、そしてロシアのプーチン大統領は、オランド大統領に直接電話を入れて、事件に対する哀悼の辞を述べたという。
更に、エジプトのイスラム教スンニ派最高権威機関も「これは犯罪である。イスラム教はこうした暴力を否定する」との声明を発表した。
ここでは、これらの欧米や中・ロにおける「自由、表現の自由とイスラム教、アラブ人問題」にまで論及はしない。既にちきゅう座の記事で、阿部治平氏(「フランスではムスリムは差別されている」1/12掲載)、童子丸開氏(「「イスラム・テロ」:警察国家化への一里塚 - 和訳:アジア・タイムズ「シャーリー殺しで誰が得をするのか?」1/12掲載)がそのことに触れられている。ここでは、日本と安倍内閣に関してのみ考えてみたい。
さてそこで、わが日本国内閣総理大臣、安倍晋三であるが、彼も出遅れてはならぬとばかり次のように述べる。「言論、報道の自由に対するテロだ。いかなる理由であれ、卑劣なテロは決して許すことができない。強く非難する」(1月8日付新聞報道)
この発言を読んで、思わず噴き出してしまったり、逆にこの破廉恥漢の面従後言ぶりに改めてあきれ返り、怒りを抑えきれず、やるせない思いを抱いた高士も多々おられたことと思う。
彼は、どの面下げてこういう発言(付会の説)をする事が出来たのであろうか。
国民の総意を完全に無視し、反対意見との十分な審議を重ねることもなく、ただ国会議員の多数のみをよりどころに、国会での強行採決で決められた「特定秘密法」とは何だったのか。
今回だけで、382事項に及ぶ「特定秘密」を設定し、その漏えいには厳罰をもって処すことを決めている(発表は1/8だが、実際には年末には既に決められている)。どこに報道の自由が入り込む余地があるというのだろうか。また「厳罰をもって」ということは、明らかな国家暴力以外の何ものでもない。まさに国家暴力装置による恫喝と言論と表現の自由の弾圧に他ならない。
12月14日の衆院選挙報道に対して、安倍政権がテレビ局などの報道機関に「報道の公正化」の名目で口出しし、実質的な自粛に追い込んだのはまだ記憶に新しい。勿論、こんな圧力に屈して「自主規制」などをしたメディアの責任は逃れられないところだが。
つい先頃のニュースでは、高校の公民教科書を出版している数研出版が、自社発行の教科書の中から「従軍慰安婦」や「強制連行」という語彙を含む記述を削除して文部科学省に訂正申請、12月11日に文科省はこれを認定したとある。何故このような訂正をしたのかについては、「現時点では答えられない」そうだ。
下衆の勘ぐりと言われそうだが、どうしてもこれを素直には受け取れない。というのは、安倍政権になってから特に、これらの過去の歴史の修正(諸外国からも安倍政権の歴史修正主義はしばしば取り上げられて問題視されていることは周知の事実である)の頻度が高まってきているからだ。A級戦犯(戦争犯罪人)に問われた岸信介を、英雄に祭り上げ、自分がその孫であることを自慢げに吹聴する彼のアナクロニズム(時代錯誤)が、ある種の時代の風潮に乗って一時的な小人気を博しているように思う。
彼が図に乗って、「積極的平和主義」(1/5の年頭会見)などと言い出した時、覚えず、「東洋平和のための大東亜共栄圏構想」というあの忌まわしいスローガンが頭をよぎるのを禁じ得なかった。
しかし勿論のこと、真の危機は、このアナクロニズムを醸成する隠れた要因、社会的なニヒリズムとそれを生み出す社会基盤にあることは言うまでもない。
「アベノミクス」という、このアナクロニズム社会構築に棹さし、社会的格差を極限まで拡大し、老いも若きも、すべての国民大衆に将来社会への絶望しか与えられない政権を打倒し、社会構造を根本から変革するために闘わなければならないだろう。
「人民戦線」もその一つの道であるし、また「共同闘争を通して統一戦線構築」というのももう一つの道である。真剣に考えたいと思う。
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