21世紀の貨幣論~商品貨幣説の最終的廃棄(1/24世界資本主義フォーラムレジュメ)
- 2015年 1月 18日
- スタディルーム
- 青山雫
1月24日(土) 世界資本主義フォーラムのご案内
■日時 2015年1月24日(土) 14時-17時
■会場 立正大学大崎校舎 5号館52A教室
品川区大崎4‐2‐16 (JR五反田駅・大崎駅から徒歩7分)
会場案内 http://www.ris.ac.jp/access/index.html
■入場無料
■内容
(1)報告①
青山 雫 「21世紀の貨幣論」について
※フェリックス マーティン(著)『21世紀の貨幣論』東洋経済新報社(2014/9/26発行)
(2)報告②
矢沢国光 基軸通貨時代の「恐慌論」から無基軸通貨時代の「世界金融危
機論」へ ――私のマルクス経済学改造論 その3
■世界資本主義フォーラム・連絡先
携帯 090-6035-4686
21世紀の貨幣論~商品貨幣説の最終的廃棄(レジュメ)
青山雫
1.商品貨幣説への資本主義の現実からの決定的反証
1971年ドル金兌換の停止による、ドルを基軸とする戦後世界通貨体制ブレトンウッズ=IMFの最終的な崩壊は、同時に商品の価値形態の発展の極北に貨幣形態の生成を見るマルクス経済学のドグマの決定的な無効性を歴史的事実によって宣告した。
しかしアカデミズムの感応度は余りに乏しく指向性も心もとないに等しい惨状。
ドグマへの固執により、金本位制時代にのみ有効な分析ツールへと後退させるか、ドル為替をもって商品からの貨幣の生成と貨幣の商品化を取り違えるでんぐり返しをやってのけるか、いずれかに追い込まれる。
現今の資本主義の危機が信用恐慌に深く根ざしていることは誰の目にも明らかであり、その理論的な切開に貨幣論の刷新が絶対的に要請されているにもかかわらず、その刹那にマルクス経済学の理論的有効性に疑問が突きつけられている。
2.価値形態論および交換過程論の理論的欠陥
資本論価値形態論では、拡大された価値形態の反転によって一般的等価形態~貨幣形態の成立を説くが、任意の商品について拡大された価値形態が成立するのだから、その反転による限りすべての商品が一般的等価形態の地位を獲得することとなり、商品世界全体の価値表現を統一する唯一排他的な商品の抽出の論証に失敗している。これを交換過程論に持ち込んでも事態に変わりがなく、結局「初めに行いありき」というおまじないをとなえてうやむやに。
宇野原論は拡大された価値形態の反転が商品所有者の価値表現行為からは導けないとして、複数の拡大された価値形態の交点に成立する共通の商品から一般的等価形態に立つ商品が発生するとしたが、逆にこうしてしまうとすべての拡大された価値形態に共通の商品は成立し得なくなる。資本論とはまったく異なる論理での再構成をもってしても貨幣形態成立の必然性を説くことには至らず。
理論的にも現実的にも商品貨幣説は支持しがたいが、では貨幣の成立発展は歴史的はどのような経過をたどったのか。はたして初発には物々交換や商品の直接の交換から貨幣が生じるような歴史的事実はあったのか。そうしてその後の貨幣システムの発展史はいかに。
3.
フェッリクス・マーチン『21世紀の貨幣論』(東洋経済、原題 Money The Unauthorized Biography)にそれを訊ねてみる。
著者紹介:オックスフォード大学 経済学Phd.世界銀行に10年勤務の後現在投資会社ストラテジスト、およびスティグリッツも名を連ねるジョージ・ソロスのシンクタンクでも活動。
同書はもちろんマルクス経済学の批判をこととしているのではなく、アダムスミス以来の古典派~現代主流派経済学の通説ともなっている、商品交換からその不便さを解消するために特定の商品が貨幣となったという神話に対する反証を、貨幣の歴史をたどることで推し進める。
4.貨幣はその始発から、物々交換から生じたのではない。純粋な物々交換経済は近年の経済人類学などの研究からその実在の証拠は一切見つかっていない。しかも貨幣はその現物が交換に登場するのではなく、あくまで計算貨幣として債権債務の記録に用いられ、その相殺尻の清算に用いられていた。債権債務関係が成立しているということは、債務の譲渡性が成立していることと同義である。マネー、貨幣とはかくしてみるならばむしろこうしたシステムそのものである。
ヤップ島の石貨フェイは、重く一般的な利用価値もないものが貨幣となっている。石貨の所有権は移転するが物理的な可動性はない。しかも交換に供される財の種類は数えるほど。共同体でありながら貨幣経済が存在。むしろ相互間の信用が前提となるから、共同体でこそという話、
1970年アイルランドの銀行閉鎖と小切手、私的債務証書の広範な流通により経済破綻をまぬかれる。パブという共同空間が私的債務証書流通のハブとなった。
5.貨幣前史
メソポタミアの高度計画経済の産物としての文字、数字、会計が生まれるが、厳格な官僚支配のゆえに一般的な経済価値の観念生まれず貨幣は生まれなかった。事物の抽象化と数量化、その記録管理という貨幣経済の前提は備わっていた。この3つの要素がギリシア社会という後進部族制に移植されて、貨幣として開花。部族成員は等価でありお供え物の分配から発する経済的価値の観念が備わっていたからである。紀元前5世紀末には古代ギリシャ都市国家は最初のマネー社会となり、サラリー、商品、持参金など現金支払いが常態化した。お金中心の経済観の登場。伝統社会の固定性は取り払われ、しかも社会移動と政治の安定が両立した。
こうした社会を市場志向に作り変える力をもつマネーの性質が認識されると、誰がそれを支配するのかという次に問題が浮上する。
6.政治権力と貨幣信認
2001年、アルゼンチンは国家デフォルトとなり引き続く資本逃避など抑制するために銀行口座が閉鎖されるに至り、各地域コミュニティでプライベートマネーによる取引、支払いが族生し政府の措置に対抗。ソ連崩壊後の企業補助金打ち切りに対しても企業連合内での私的な債権債務関係を形成してこれに対抗。国家権力の貨幣制度を通じた行使が大きく揺らぐ結果に。
地域通貨はコミュニティ内の相互信用信認に基づく制度で、国家貨幣制度を補完する限り国家権力からは容認される。
そうでなくなると、国家は絶対にマネーシステムに対する独占権は手放さずプライベートマネーを抑圧しにかかる。
つまり、国家のマネーが唯一の国内全域に行きわたるものであるのは、国家財政の規模と一連の政治的権限が維持されているから、
しかしここに、市場経済を核とする社会と主権者との利害の相反から、相互間の軋轢が生じる可能性が生じてくる
7.紀元前4世紀古代中国戦国時代、『管子』の貨幣論は君子が天下をおさめる道具であるとし、「貨幣鋳造特権(シニョリッジ)」による財源創出と経済活動の活発化・管理がその二本柱であるとした。
ヨーロッパの貨幣思想はプライベートマネーセクターのものであり中国とは真逆に進む。
8.ギリシアとそれの衣鉢を継ぐローマ社会でも貨幣経済はあまねく行き渡り、古代ローマで早くも信用膨張にたいする自己資本比率規制から、土地資産市場の崩落と経済収縮も発生したが、ローマの衰退とともに貨幣経済はすたれ、再び伝統的社会の暗黒時代に移行。
しかし12世紀後半から現物地代から貨幣地代への移行が全面化し貨幣の社会への浸透が開始された。当時ヨーロッパは小国に分立しそれぞれの国王が貨幣鋳造特権を行使、悪鋳が繰り返されたが、このころは再貨幣化を促進するとともに、それに伴って台頭する商人階級との軋轢も生じさせることにつながった。
国内経済に対してはイタリアのジェノバで12世紀末に地方銀行が設立されたのを嚆矢に、14世紀半ばには他都市に展開していくが、一般的に君主の監督が厳しい国内銀行はリスクが高かった。
一方国際貿易の頂点を占める大商人間の債権債務関係とその決済が基軸となって貨幣-信用ネットワークが全面開花。それも支払いの約束という信用関係のネットワークがあってこそのこと。少数の信用力の大きな大商人に債権債務のプラミッドの頂点が形成される。現金は債権債務、支払い約束の清算に付随して要求されるにとどまる。このピラミッドの頂点こそが債権債務の集約点である大商人が司る銀行業なのである。彼らは交際貿易の支払い手段である証書為替を発行することで、地方商人の信用をヨーロッパ内で通用するものに変化したのだった。大商会相互の債権債務の相殺が四半期ごとにリヨンの大市で執り行われた。この証書為替はこの国際決済にだけ用いられる、エキュ・ドゥ・マルクという独自の単位であり国内の君主の発行するソブリンマネーと連携する国際プライベートマネーという地位を獲得することになる。
国際貿易とそのマネーシステムにより商人や銀行に富が蓄積され産業革命を促進する背景ともなったが、政治の大変革を呼び込み、金融の新たな形につながることになる。
9.国際貿易とそのマネーシステムに依拠して跋扈する大商人を先頭とする新たなマネー権力は、君主の主権とソブリンマネーの領土と対立を深めるようになるが、一方で大商人たちの私的ネットワークの内部でのみ彼らのマネー世界が構築できたのであって、ソブリンマネーのような普遍的な通用力を備えるには至らなかった。いわばそこにアンビバレントな関係が生まれてもいたのである。
しかしこうしたマネー権力の台頭とそれの活動する国際貨幣市場への依存度を君主座生成も深める中で、かつてのような貨幣の意のままに操る君主の権利は否定され、立憲君主制を推進する者こそ商業の発展であるとするモンテスキューに代表される啓蒙主義思想が唱えられるに至る。
この君主の独占するソブリンマネーと商人階級に先導されるマネー権力との和解は、イングランドの財政破たんを救済する手段として設立されたイングランド銀行によって果される。この商人階級も出資する官民一体銀行は貨幣発行権をイングランド国王から与えられるとともにその見返りとして、王国財政への融資を行うこととなり、マネー権力の象徴であった銀行が主権者の信用力によってバックアップされることとなったのである。原題につながる中央銀行制度の創出である。
ところがこの時、貨幣思想も大きく転換することとなる。
10.言うまでもなくそれは、ジョン・ロックの自然法思想によるもので、人間社会のルールは人為的に決められてはならず、自然の摂理によるべきであるとするところから貨幣の標準もそれまでは君主が自分の都合によって恣意的に操作してきたのが、金や銀の一定の重量でなければならないとされたのである。
それの法的な表現が、通貨学派の理論に裏付けられたピール条例であるが、それ以前にアダム・スミスらの古典派経済学の中からは、貨幣は商品交換を円滑にする手段で商品の中から任意に選ばれたものであるとする商品貨幣説に縮約され、貨幣や信用・銀行といった現実の貨幣経済システムを構成する不可欠の要素は一切明示的に触れられることはなくなってしまった。
11.それこそがリーマンショックという大金融恐慌に対峙して現代主流派経済学が何ら有効な予知も処方箋も講じ得なかった遠因にして、真因なのである。結果としてtoo big to failということで、FRBが金融資産の大規模買い入れを行ったり、銀行の資本注入という形で公的な資金が直接間接に民間セクター救済のために発動されることになり、大きな不公正を国家が進んで作り出すこととなってしまった。
11.スパルタやソ連式の貨幣の廃絶や囲い込みという対抗手段がありうるが、それではマネーの生み出した社会の活力や自由というかけがえのない財産も一緒に水に流すことになるだろう。
一つの有力な解決策が一覧払い口座だけに専念し公的支援を得られる銀行と、どんなリスクの高い投資だろうと自由に参加者を募り一切の規制を受けないで実行できるがその代わりに公的支援も一切受けられない金融装置とに厳格に区分するという、ナローバンキングが有効だろう。ただしその制度設計が真に有効に作動するのはそれに参加する一人ひとりの責任にもかかっているのである。
13.コメント
貨幣が財貨や貴金属といった実体ではなく、そもそもの初発から支払い約束の連鎖、すなわち債権債務関係という信用システムそのものであると喝破した点は大いに共感できるところであり、最初に資本論の貨幣生成論の金本位制廃棄と理論的な反証を補強してくれるものと評価できる。
また古典派経済学~現代主流派経済学を通じる貨幣論の不在が大きな欠陥をなしていることも説得的ではあるが、しかしそのことによって19世紀以降の資本主義の大小さまざまな恐慌が説明できるわけではない。資産バブルや信用膨張がなぜ起きるのかそれについてはいささかも説明がない。
例えば1866年恐慌の引き金となったオーバーレンド・がーニー商会の破たんについても、経営陣の世代交代による行きすぎたリスクテイキングと、前年からのイングランド銀行バンクレートの引き上げが主因のように語られるが、ではバンクレートの引き上げはなぜ起きたのかについては、何ら関心が払われていない。これを説くにはこの時点でのイギリス景気動向や一次産品価格、貿易収支、資本収支の動向と金流出の関係を明らかにしなくてはならないのだろう。
これはリーマンショックについても同じことが言えるのではないか。ナローバンキングでリスクテイカーたちの闘技場が天下公明のものになったからといって、それで金融恐慌がいささかでも抑制されるのだろうか。思えば1929年ニューヨーク株式市場の崩落から始まった大恐慌も、FRBを頂点とする当時のアメリカ銀行制度のコントロールの及ばない独占体内部に大量に蓄積した余剰資金やイギリス資金が株式市場に流入したことがバブルを引き起こしている、それ以前に独占体が自己金融を強め株式発行を控えたことで株価が上昇を続けたという事態が先行していた。銀行が与信業務以上に大ばくちを張ったということもあるがそれはどれほどのウエイトだったのか。
もう一つ指摘しておきたいのは、現代において中央銀行は通貨量として現金とともに譲渡性預金も見ており、単純に貨幣を無視しているわけではないだろうし、大恐慌激化の原因として最後の貸し手としてのFRBの政策失敗を指摘しているのは、ほかならぬフリードマンであること。そう簡単に貨幣論の欠陥をロック以来の自然法思想にあるといっては済まされないだろう。
いずれにしても、貨幣・金融史について非常にコンパクトにかつ生き生きとした筆致で描かれており、現代資本主義を理解する上での歴史的な思考の重要性を教えてくれた点では、なかなかお勧めの著作ではあるだろう。
14.恐慌論に引き付けて
最初にマルクス経済学の貨幣論の欠陥について理論的にも簡単な概説を示したが、信用論・恐慌論にそれがどう関連してくるのか。
21世紀の貨幣論が主張するように、そもそも貨幣制度とは債権債務の信用制度としてのみ実在する。資本論では主に第三巻の資本主義的生産の総過程で恐慌の考察とともに規定が与えられようとしていたのだろうが、そもそも恐慌論自体が体系的に未完で断片的な考察にとどまったことと相まって、現実の恐慌での信用崩壊と現金が突然求められるといった現象の指摘に留まっているように見える。
宇野原理論では産業資本の循環過程で生じる剰余価値を実体とする遊休貨幣資本の社会的融通機構として手形流通による商業信用を説いているが、これは古典派的な実体貨幣論の延長でしかないだろうし、ましてや手形流通によって形成された債権債務関係の破壊から展開する恐慌の全面性と激発性については、まったく埒外にある。
手形流通に基礎を置く商業信用と、その債権債務関係の結節点としての銀行による信用創造、銀行の銀行として手形の再割引を公定歩合の操作によって調整し、債権債務の社会的な最終集約点である中央銀行、少なくともこの立体的な構造体の作動を明らかにするところから、貨幣・信用論の再構成がはじめられることが、現代資本主義切開への第一歩が踏み出されるのではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study630:150118〕
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