読書感想:片桐幸雄著『スラッファの謎を楽しむ』(社会評論社刊)について
- 2010年 12月 11日
- 評論・紹介・意見
- スラッファ岩田昌征
片桐幸雄著『スラッファの謎を楽しむ』(2007年、社会評論社)を著者からいただいた。精読とはいえないまでも通読した。役に立った。面白い。私も1980年前後にスラッファの『商品による商品の生産』を手にし読解を試みたが、途中で放棄した。そもそも何を論じているのかがつかめなかった。やがてパシネッティ『生産理論』や塩沢由典『数理経済学の基礎』を読んで、スラッファを読まないまま、スラッファの概略を知った気がしていた。
本書は以下の4章からなる。
Ⅰ.『商品による商品の生産』を読むことの意味
Ⅱ.大掴みにしてみる
Ⅲ.謎のいくつかについて考える
Ⅳ.計算付録
片桐氏は読者に対して「Ⅳにこだわるな」という趣旨の助言をしている。しかしながら、読後の感想では、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲ→Ⅳと順通りに読んだ上で、再びⅢに戻る。そうするとスラッファをも片桐をも共に楽しむことができる。
「『商品・・・』は、原著の本文で100ページに満たない本でありながら、20世紀後半の経済学に大きな影響を与えたとされる」(p.3)そう言えば、新古典派経済学の基礎を完成させたK.J.アローとG.デブリュ―の代表作は、それぞれ『社会的選択と個人的価値』、『価値の理論』であるが、ともに100ページ前後の小冊子である。新古典派の古典と新古典派批判の古典がそれぞれ100ページ前後であるというのは、20世紀後半の思考のスタイルの反映なのであろうか。古典経済学の祖アダム・スミスの大著『国富論』と古典経済学批判の主カール・マルクスの大著『資本論』における思考スタイルと対極的である。
それはともかく、私は上記三著を1980年前後に読んだ。スラッファだけ理解できなかった。それがなぜだったのか、片桐著を一読して判った気になった。使われている数学の質やレベルの問題ではない。アローの本もデブリュ―の本もたった一つのテーマを追求して、それを純論理的に解析している。それに対してスラッファは、資本制社会の階級関係を常に念頭に置きつつ、それを顕示せずに、ただ物象化世界の量的関係として論理的に記述している。片桐著Ⅲに言われるごとく、スラッファの難解さは私のような読者の頭の悪さだけによるのではなく、スラッファ自身にも責任がある。スラッファのテーマは本来、複合的であり、アダム・スミスやマルクスの流れにあり、きちんと伝えるには大著が必要だったのであろう。
最後に私の仮説を提示しておこう。
第一は、労働価値論にかかわる。すなわち、価値価格と生産価格の階級関係論的位置である。生産手段の非所有者である労働者階級の社会力が強まると、諸商品の市場価格は価値価格に接近する。生産手段の所有者である資本家階級の社会力が強まると、生産価格に接近する。通常は所有者の力は非所有者の力より強い。後者の社会的団結力が高まれば、市場価格は価値価格に近付く。したがって時期毎に現実の価格がどちらに近いかを統計的に分析すれば、階級間の力関係の変動がわかるだろう。
第二に、基礎的商品と非基礎的商品の関係にかかわる。非基礎的商品は、新製品と新技術の出現に深く関連する。新製品はまず非基礎的商品として出現し、生産過程に入らない。やがて既存の基礎的商品を生産するプロセスに参加して、全体の生産性を高める。石器と土器の時代、青銅は非基礎財であった。石器、土器、青銅器の時代、鉄器は非基礎財であった。
最後の最後に私が最もインプレスされた片桐氏のオリジナルな着想を指摘しておきたい。価値形態論を交換比率が不安定な最終消費財関係から始めるより、交換比率が生産技術的に規定されている生産財関係から始めたらどうか、という着想である。マルクス経済学の専門家はどう考えるのであろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0242:101211〕
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