「終焉に向かう原子力」(第10回)放射線被曝事故の悲惨さと避ける道
- 2010年 12月 12日
- 時代をみる
- 再処理工場原発破局的事故小出 裕章被曝事故
Ⅰ.生命体と被曝事故
生き物という不思議
「ニワトリが先か、卵が先か?」という問いがあります。正解はどうなのでしょう?
生物学者の丘浅次郎さんによる生き物の定義は、「食うて、産んで、死ぬ」です (1)。生き物である以上、外部から生きる糧を取り入れなければなりません(取り入れるだけでなく排泄も必要ですので、正確に言うなら、エントロピーを捨てる必要があるということです)。また、個体がいずれ死ぬ以上、生き物として存続していくためには、次の世代を生み出さなければいけません。そして最後にはどんな生き物も死にます。「生まれる」が含まれないのは、「産む」と同一のことを親の側から見るか子の側から見るかの違いに過ぎないからです。
ヒトという生き物は、数百万年前にこの地球上に発生したといわれています。そのヒトも長い進化の過程を経て現生人類になっています。そして、個体としての人間が生まれた時は父親からの精子と母親からの卵子が合体してできたたった 1個の、いわゆる万能細胞です。その細胞には父親から得た染色体と母親から得た染色体が 23個ずつ含まれており、それぞれの染色体は2重らせんになったDNAから作られており、その中に多数の遺伝子が含まれています(図1)。DNA分子の幅は2ナノメートルで、ヒトの一つの細胞には約 1.8mの長さのDNAが含まれているそうです。(クイズ:太さ 0.2mmの細い糸が小さく丸まっている状態を想像してください。それがヒトのDNAだとし、その糸をほぐしてまっすぐにのばせば、長さはどれほどになるでしょう?)その 1個の細胞が分裂して、同じ染色体、つまり遺伝情報を持った 2個の細胞になり、それぞれの細胞が分裂して同じ細胞を 2個生じというように細胞分裂を繰り返して行きます。成人の大人は約 60兆個の細胞からなっていますが、それらが持っている遺伝情報はすべて同じです。しかし、いつしか目の細胞は目に、皮膚の細胞は皮膚にと、それぞれの役割だけを分担する細胞が分化していきます。そして、現在 60数億人いる人間はすべて遺伝情報が異なる別の個体です。
日本の核燃料工場JCOでの臨界事故
1999年 9月 30日、茨城県東海村の核燃料加工工場JCOで「臨界事故」とよばれる事故が起きました。「臨界」とは核分裂の連鎖反応が持続的に起きることで、原爆の場合には、瞬間的に連鎖反応を拡大させて爆発現象を起こします。原子炉の場合には、持続的に連鎖反応を制御しエネルギーを取り出します。核分裂反応が起きると、核分裂生成物が生じ、中性子線、ガンマ線などの放射線が放出されます。JCOでは、予期せずに「臨界」状態が起きたために事故と呼ばれましたし、現場で作業していた3人の労働者を含め、たくさんの人たちが被曝しました。大量に被曝した労働者のうち大内さんと篠原さんの2人は日本の医学会が総出で治療に当たるため東大病院に運ばれ、感染防止、栄養・水分補給、骨髄移植、皮膚移植、ありとあらゆる治療を受けましたが、筆舌に尽くしがたい苦悶の内に命を奪われました。
放射線の被曝量は物体が吸収したエネルギー量で測ります。単位は「グレイ」で、物体1kg当たり1ジュール(0.24カロリー)のエネルギーを吸収した時の被曝量が1グレイです。被曝する物体が水の場合、1グレイの被曝で水の温度は 1000分の0.24℃上昇します。人間は、8グレイ被曝すれば100%死亡します。人体も主成分は水ですので、100%の人間が死亡する時に、人体が放射線から受けたエネルギーによって人体の温度は 1000分の2℃しか上昇していません。
人間は、たまに風邪をひきますし、さまざまな病気に罹ります。そして、体温が 1℃や 2℃上がることはよくあることです。しかし、そんなことで人間は死にません。しかし、こと放射線に被曝する限り、体温が 1000分の数℃上がっただけで、死んでしまいます。何故かと言えば、生命情報を保持しているDNAを構成している原子がお互いに引き付け合っているエネルギー(数 eV)に比べて放射線が持つエネルギー(数百 keV~数 MeV)は数十万~数百万倍も高く、放射線に被曝した組織は生きるために必要な情報をずたずたに引き裂かれてしまうからです。被曝から6日目に得られた大内さんの骨髄細胞の顕微鏡写真には、本来あるはずの染色体はなく、写っていたのはばらばらに切断されて散らばった黒い物質でした。彼は自分の身体を再生する能力をまったく失っていたのでした。篠原さんも同じでした。移植を受けた皮膚は鎧のように硬くなり、死後の解剖を行った医師はメスを入れた時に「ザザッ、ザザッ」とかつて聞いたことがない音を聞いたと述べています(2)。
大内さんの被曝量は 18グレイ当量(グレイ当量は中性子の急性放射線障害に関する生物学的効果比を 1.7として換算した被曝量)、篠原さんの被曝量は 12グレイ当量でした。わずか 1000分の数度しか体温が上昇しなかったにも拘らず、大内さんも篠原さんも染色体がバラバラにされてしまい、組織の再生能力を奪われ、死に至りました。
JCO事故では臨界状態は約 20時間続きましたが、その間に核分裂したウランは1 mgでした。発生したエネルギーは2万 kcal、灯油にして2リッターでしかありません。石油ストーブで2リッターの灯油を 20時間かけて燃やそうとすれば、かなり火力を抑えることになるでしょう。暖をとるにも不十分なほどのエネルギーしか出ませんでしたが、2人の労働者が悲惨な死を遂げ、事故現場から 500mも離れた住民すらが、法の被曝限度を超えて被曝しました。
ゴイアニア事故(3)
1987年 9月、ブラジル、ゴヤス州の州都ゴイアニア市で セシウム137(Cs-137)による被曝事故が発生しました(図2)。廃院となった民間の放射線治療クリニックに放射線治療装置が放置されたままになっていて、それを廃品回収業者が持ち出し、市内にあるその業者の作業場で分解されたことで事故は発生しました。
2人の若者( 22才と 19才)が、廃院となった病院から放置されていた治療用セシウム137 照射装置 (50.9TBg (1375Ci))を価値があるものと思い、持ち帰りました。その段階から被曝が始まり、2~3日後から2人は下痢、目まいなどに悩まされ始めました。彼らは1週間後にようやく線源容器に穴を開けることに成功し、今度は放射能汚染が始まりました。2人はこれを別の廃品回収業者に売り払いました。セシウム 137は青白く光る粉末(セシウムの塩化物)であったため、暗いガレージの中で光っていました。買い取った廃品回収業者はそれを家の中に運び込み、その後数日にわたって家族、親類、隣人が、これを眺め、手を触れ、体に塗ったりしました。また業者の親戚、隣人が好奇心から自宅に持ち帰ったりしました。その家の娘は綺麗に光る粉を舐めて遊びました。作業に当たった人とその家族全員の体の調子が次第におかしくなり、廃品業者の妻が青白く光る粉に原因があるのではないかと気付き、それをゴイアニア公衆衛生局に届けました。医師は症状から放射線障害の疑いを持ち、市の公衆衛生部と州の環境局に連絡しました。放射線測定器で測定して放射線被曝事故が起こっていることがようやくに明らかになりました。当時、ゴイアニア周辺は雨季のため解体された線源中のセシウム 137 が溶解し、放射能汚染が広い地域に広がりました(図3)。
事故後の 9月 30日から 12月 22日までの間に約 112,800名の住民の汚染検査が行われ、 249名の汚染者が発見されました。 120名は衣服、履物のみの汚染、残り 129名には体内取込みと体外汚染がありました。0.5グレイ以上約 70人、1グレイ以上 21人、4グレイ以上8人でした。結局、この事故で 38歳の女性と 6歳の女の子、22歳と 18歳の男性の合計 4名が亡くなりました。死亡者 4名の推定被曝線量は 4.5~ 6.0グレイでしたが、7.0グレイを被曝しても生き延びた人もいました。もちろん、 JCO事故と同じように、被曝によって加えられたエネルギーによって死んだ人たちの体温はわずか 1000分の 1度ほどしか上昇しませんでした。
回収できた汚染は一部でしかありませんが、ブラジルの原野に広大な置き場を作って隔離されました(図4)。
被曝量が少なくても被害はある
放射線が DNAを含め、分子結合を切断・破壊するという現象は被曝量が多いか少ないかには関係なく起こります。被曝量が多くて、細胞が死んでしまったり、組織の機能が奪われたりすれば火傷、嘔吐、脱毛、著しい場合には死などの急性障害が現れます。こうした障害の場合には、被曝量が少なければ症状自体が出ませんし、症状が出る最低の被曝量を「しきい値」と呼びます。ただ、この「しきい値」以下の被曝であっても、分子結合がダメージを受けること自体は避けられず、それが実際に人体に悪影響となって表れることを、人類は原爆被爆者の経験から知ることになりました。
「ヒバクシャ」というレッテルを貼られたそれらの人々を 60年以上調査してきて、どんなに少ない被曝量であっても、癌や白血病になる確率が高くなることが明らかになってきました。低レベル放射線の生物影響を長年にわたって調べてきた米国科学アカデミーの委員会は、2005年6月 30日、彼らが出してきた一連の報告の7番目の報告(4)を公表しました。その一番大切な結論は以下のものです。
利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。
Ⅱ.原子力発電所の破局的事故
内包する危険の大きさ
言うまでもなく原子力発電とはウランの核分裂反応からエネルギーを取り出す装置です。ウランを核分裂させれば不可避的に核分裂生成物が生まれます。そして、問題はその量が想像を絶するほど厖大であることです。広島の原爆では 800gのウランが核分裂しました。そのため、広島の街は一瞬にして破壊されてしまいました。今日標準的になった 100万 kWの原子力発電所では、毎日 3kg、広島原爆約 4発分に相当するウランを核分裂させます。原発の年間の稼働率を 75%とすれば、1年間に広島表1 核分裂したウランの量 原爆 1000発分に達します。先に述べた JCO事故で核分裂したウランの量と比べれば 10億倍です(表1)。
また、ゴイアニアの事故で 4人の住民を殺し、厖大な環境汚染と廃物の山を生んだセシウム137は事故当時約 1000キュリーでした。100万 kWの原発では、毎年 300万キュリーのセシウム 137を生成し、原子炉内に核燃料が存在している期間を考えれば、1000万キュリー近いセシウム 137を炉内に溜めこんでいます。つまりゴイアニア事故を生んだセシウム 137の 1万倍もの量です。もちろん原子炉の中には、セシウム 137だけが蓄積しているのではなく、ヨウ素、ストロンチウム、プルトニウムなど、セシウムに負けず劣らず危険な放射性物質も蓄積されています。万一であっても、それが環境に放出されてしまえば、被害が破局的になることは当然です。
原子力推進派が取った対策
① 破局的事故は起こらないことにした
原子力を推進する人たちも万一破局的な事故が起きた場合、どんな被害が出るか知りたがっています。そのため、原子力開発の一番初めから、破局的事故が起きた場合の被害の評価を繰り返し行ってきました。しかし何度評価を繰り返しても結果は同じでした。もし破局的事故が起きると考えてしまえば、国家財政をすべて投げ出しても購いきれない被害が出ることが分かりました。
そこで、彼らは破局的事故に「想定不適当事故」なる烙印を押して、破局的事故は無視することにしました。安全審査で厳重に事故の評価をしていると彼らは言いますが、彼らが評価に使っている「重大事故(技術的見地からみて、最悪の場合には起るかもしれないと考えられる重大な事故)」、「仮想事故(重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない事故)」と呼ばれる2種類の事故では、放射性物質を閉じ込めるための格納容器と呼ばれる建物は、決して壊れないと仮定されています。そんな仮定をしてしまえば、住民に被害が出ないことは当然です。
② 電力会社を破局的事故から免責した
次に彼らがやったことはどんなに巨大な事故が起きても、電力会社は責任をとらなくてもいいという法律を作ったことです。米国では「プライス・アンダーソン法」、日本では「原子力損害賠償法」と呼ばれる法律は、破局的事故時の賠償の上限を定め、それ以上の賠償を電力会社から免責しています。さらに、日本の「原子力損害賠償法」の場合には、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱災」つまり、地震や戦争などの場合にはもともと電力会社は一切の責任を負わないでいいと記されています。仮に、東海地震が起きて浜岡原発が事故を起こしたとしても、電力会社はもともと何の責任も取らずにすむのです。誠によくできた法律というべきでしょう。
③ 原発を都会には作らないことにした
原子炉立地審査指針に基づいて「重大事故」「仮想事故」について評価し、その結果をもとに、立地の適否を判断しますが、その基準は以下のように書かれています。
立地条件の適否を判断する際には、(中略)少なくとも次の三条件が満たされていることを確認しなければならない。
1 原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
2 原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること。
3 原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
そして、実際に、原子力発電所は一つの例外もなしに、過疎地に押し付けられました。
浜岡原発での破局的事故シミュレーション
日本は世界一の地震国です。そして、政府の地震調査委員会は、「東海地震」は今後 30年以内に 87%の確率で起き、その規模はマグニチュード8程度と予測しています。そして、その予想発生震源域の中心で中部電力浜岡原子力発電所が動いています。1号機( 54万 kW、1976年運転開始)、2号機( 84万 kW、1978年運転開始)は、耐震補強工事にカネがかかりすぎるとの理由で 2009年 1月 30日に運転を終了しました。しかし、未だに 3号機( 110万 kW、1987年運転開始)、4号機( 113.7万 kW、1993年運転開始)5号機( 138万 kW、2005年運転開始)の 3基が運転中です。今日、田中さん、広瀬さんが話してくださった内容を考えても、もし東海地震が起きてしまえば、浜岡原発で破局的事故が引き起こされる可能性は十分にあると考えておくべきでしょう。
浜岡原発は 2009年 8月 11日に 40km離れた駿河湾で起きた比較的小さな地震(マグニチュード 6.5)に襲われ、付近は震度 6弱の地震を記録しました。特に 5号機は 426ガルの揺れを受け、同じ敷地内にある 1号機、2号機の揺れは 109ガルでしたので、4倍の揺れでした。その原因の解明ができないまま、5号機は 2010年 3月 15日に定期検査に入りましたが、11月末現在ではまだ運転再開の許可が出ずに止まっています。
4号機は 10月 14日から定期検査に入り、運転再開時には「プル・サーマル」計画に従って、混合酸化物(MOX)燃料を使う計画になっています。そのため、現在、運転中なのは 3号機だけです。そこで、浜岡原発 3号機が破局的事故を起こした場合のシミュレーションをしてみました。
シミュレーションは、かつての私の同僚、故・瀬尾健さんが残してくれた災害評価用のプログラムを使いました。その詳細はすでに瀬尾さん自身が「原発事故、その時あなたは!」(5)という本に書き遺してくれましたし、エッセンスはブックレット「原発事故の恐怖」 (6)として出版されています。また、瀬尾さんが亡くなった後、そのプログラムは私が管理してきましたが、知識が新しくなるにつれて少しずつ改定してきています。大きな改定を行った後の解説については原子力安全問題ゼミで公表した資料 (7)があります。
詳細を知りたい方はそれらの資料をご覧ください。ここでは、東海地震が起き、運転中の浜岡3号炉が事故を起こした場合のシミュレーションを新たに行いましたので、その結果を報告します。事故は、米国原子力規制委員会の「原子炉安全性研究」の分類のうち BWR2型事故と仮定しました。また、事故当日の気象条件はごくありふれたもの(大気安定度 D型)で、風速は 3m/秒とします。この場合、放射能の雲は、27度の幅を持った扇形になって風下に流れます。そして、放射能の雲に巻き込まれた人々は大きく分けると以下の 3種類の経路で被曝します。
①放射能の雲からの直接の被曝(雲の中に巻き込まれているその時だけ)
②放射能の雲に巻き込まれている時に身体の中に吸い込んでしまった放射能からの被曝(一生)
③放射能が降り注いで汚染した地面からの被曝(その場にいる間)
東海地震が起きてしまえば、交通網、道路網も寸断されるでしょうから、実質的に住民は逃げる手段がないまま放射能雲に巻き込まれるでしょう。生活も破壊されているはずで、その後いつになって汚染地域から避難できるかも分かりません。特に東京などの大都市が放棄されるまでには長期の日数が必要でしょう。ここでは、事故後 30日に避難が行われ、それ以降は汚染地域が無人になると仮定しました。地面に降り積もった放射性核種からのガンマ線は建屋などで遮蔽され、被曝に寄与する割合は約半分に減ると仮定しました。
汚染を受ける土地の広さ
1986年に起きた旧ソ連チェルノブイリ原発の時には、セシウム 137の汚染が 1 km2当たり 15キュリー以上になった地域は強制的に避難させられました。しかし、日本の法令に従えば、1 km2当たり 1キュリー以上の汚染物は放射線管理区域外に持ち出してはならない、つまり、そうした汚染がある場所はすべて放射線管理区域に指定しなければいけないことになっています。チェルノブイリ事故の場合、風下 700kmのかなたまで 1km2当たり 1キュリー以上に汚染を受けた地域が広がりました。その面積は 14万 5000km2になりました。日本の本州の面積は 24万 km2ですから、その約 6割になります。
浜岡原発で事故が起きた場合に、どのような汚染がどの程度の範囲まで起きるかを図 5に示します。風下に入ってしまえば、日本中どこでも、放射線管理区域にしなければなりませんし、風向きが西から北西方向であれば、韓国はもちろん朝鮮民主主義人民共和国もそのほぼすべてが放射線の管理区域にしなければならない範囲に含まれます。
長い時間がたった後に生じる癌による死
風下に巻き込まれた地域は、それがどんなに自分にとって思い出があり、大切な土地であったとしても、その場を捨てて避難しなければいけません。今回のシミュレーションでは、 30日後にその土地を捨て、一生そこには戻らないと仮定しました。しかし、それまでに受けてしまった被曝、さらには体内に取り込んでしまった放射能からの被曝は続き、それらはやがて長期間たった後に癌で死ぬ被害をもたらします。もちろん、この場合も、被害を受けるのは風下だけで、例えば放射能の雲が北東方向( 45度方向)に流れた場合には、静岡市さらには首都圏が放射能の雲に巻き込まれることになり、東京周辺だけで 65万人、静岡など他の地域も含めれば 130万人の癌死者が生じます。風が 285度方向に向かった場合には、浜松市と名古屋周辺が被害を受け、癌死者の合計は 120万人になります(図6)。途方もない被害ですし、原発を過疎地に押し付けてもなお、都会でもたくさんの人々が犠牲になります。
急性死が出る地域
原発事故の被害は、遠く離れた地域でも発生するとはいえ、それでも原発周辺地域が受ける被害は言葉には尽くせません。
短期間に大量の被曝をすれば、JCO事故での大内さん、篠原さんのように、人間は筆舌に尽くせない悲惨さのうちに死んでしまいます。急性死の出る範囲を図7に示します。被害を受けるのは風下だけですが、旧浜岡町を含んだ御前崎市はほぼ全域が 90%の人が死ぬ範囲に含まれています。
生じる被害の経済的な規模
こうした被害の経済的な損害額を評価した計算は過去にもいくつかなされてきました。瀬尾さんのプログラムと組み合わせての計算は、かつて大飯原発の事故について、京都産業大学の朴勝利さんがやってくれました。朴さんは大飯 3号炉が「原子炉安全研究」による分類で PWR2 型事故が起きた場合について試算し、結論として以下のように記しています(8)。
大型原子力発電所の大事故が現実化すれば、早期の避難を行っても最大1.7 万人もの住民が急性障害で死亡し、晩発性の癌で死亡する住民も最大40 万人に昇る。経済的には平均して約103.7 兆円、最大約457.8 兆円もの人的被害・物的損害が長期にわたって発生することになる。
浜岡原発については、最近になって、共栄学園短期大学の原田清さんが試算に取り組んでくれました。原田さんの試算は浜岡 3,4号炉が東海地震によって BWR2型事故に突入することを想定し(原田さんの試算は 4号機が定期検査に入る以前の 9月になされました)、その結論は以下のようだと書かれています(9)。
本研究は、東海地震の驚異的な地震動によって浜岡原発が事故を起こすとした。その事故による放射能が首都圏(北東)方向に流れた場合の人的被害と経済的損失額を試算してみた。この結果、現在運転中の3.4号機、及び 5号機の事故では、被害が 50年間にわたり発生し、人的被害として260~850 万人の死者。経済的損失として996~1157兆円の損失が出る結果となった。この試算結果が示すように、原発稼働が国民全体に多大な不幸をもたらす脅威であると同時に、そのことが国家を滅亡させるほどの危機を伴っていると言える。
Ⅲ.再処理工場の危険の大きさ
はるかに厖大な放射性物質の量
六ヶ所再処理工場は、使用済み核燃料を3000 トン分貯蔵し、年間800 トン分の再処理を行う計画です。原子力発電所の炉心に存在する核燃料が100 トンから150 トンであるのに比べて、はるかに多いし、再処理の作業は燃料棒を切断して硝酸に溶かした上での化学分離ですので、平常運転時に環境に放出する放射能の量は、原子力発電所に比べて桁違いに多くなってしまいます(図8)。
ただ、再処理工場に搬入される核燃料は、原子力発電所で使用済みとなり、その後数年間発電所内に保管された後に運び込まれるものであるため、短い寿命の放射性核種は減衰してなくなってしまっています。運転中の原子力発電所で事故が起きた場合には、寿命の短い放射性核種の影響が中心ですが、再処理工場で事故が起きた場合には、短寿命の放射性核種からの影響は実質的に無視できます。一方、再処理工場に搬入される使用済み核燃料は原子炉で燃え尽くされたものであり(燃焼度が高い)、長寿命の放射性核種がたくさん蓄積しています。それらの核種は超ウラン元素と呼ばれる一群の核種で、その多くはアルファ線を出して、生物毒性が高いという特性を持っています。
六ヶ所再処理工場での破局的事故の想定
再処理工場で、どんな事故が起きるか想定することはなかなか難しい課題です。ただ、六ヶ所再処理工場の24km南には米軍三沢基地があり、六ヶ所再処理工場周辺では米軍の飛行機が頻繁に演習を繰り返しています。そこで、以下のような事故シナリオを書いて、事故を想定しました。
①嘉手納から三沢に移転してきたF15 戦闘機が、訓練中「バンカーバスター(地中貫通誘導弾)」を抱えたまま使用済み核燃料プールに突っ込み、炎上・爆発。
② 使用済み核燃料プールにあった3000tの使用済み核燃料のうち5%が施設外に飛び散る。
④現場に近づけず、環境中に数週間にわたって漏れ続ける。
⑤放射能の放出は 2 期に分け、それぞれの帰還に放出される放射性核種の割合については図9に示すものを仮定しました。
私が行ったシミュレーションの詳細はすでに公表(10)していますし、明石昇二郎さんが週刊金曜日に3回にわたって「核燃施設・六ヶ所炎上・事故シミュレーション」(11)として詳しく解説してくれています。
ここでは、そのシミュレーションの詳細を報告する余裕はありませんが、長期間の防災を考えるために、セシウム 137による汚染距離を表2に示します。放射線管理区域に指定しなければならない範囲は、2700kmにも達します。
また、晩発生の癌で死ぬ人数を風向別に図10に示します。風が東京に向かう場合には東京での40万人を含め190万人もの人が犠牲になります。
第2期については、プールに存在していた核燃料の10%分(300トン)が半日ごとに溶融しながら環境に放出されると仮定しており、半日間の風向のぶれも考慮して、45度の広がり角に一様に放射能が広がるとしました。そして、4日にわたってこの放出が続き、風が一様に全方向を覆うとすれば、360度すべての方向が被害を受けることになります。第2期における長期間の防災を考えるためのセシウム137による汚染距離を表3に示します。
すでに述べたように第1期の放出では、放射線の管理区域にしなければならない距離はおよそ 2700kmになりますが、その場合に汚染が生じるのはおよそ 15度角の風下だけです。一方、第2期の事故の場合、表3に示したセシウム 137による汚染は六ヶ所再処理工場を中心にあらゆる方向に適用できます。そして、1100kmを超えるかなたまで放射線の管理区域にしなければならない、つまり日本全体が失われることを示します。
Ⅳ.この問題にどう向き合えばいいのか?
人類の絶滅は生き物の絶滅ではない(12)
1979年に米国のスリーマイル島原子力発電所(図11)で大きな事故が起こりました。その事故では、炉心の約半分が熔けてしまっていて(図12)、最後の砦である圧力容器にもひび割れが入っていたことが事故後 7年半を経て明らかになりました。その原発の安全担当者は「何が起こっているのか、もしあの時運転員に分かっていたら、彼らはあわてて逃げ出していただろう」と、語っています。破局的な事故のほんの一歩手前でかろうじて収束した幸運な事故でしたが、その事故の調査の過程で、はるかに重要で驚くべき事実が明らかになりました。
圧力容器の蓋を明け、水底深く沈んでいる破壊された核燃料の取り出し作業を始めたとたんに、うごめく物体によって中が見えなくなってしまったのでした。そこは、人間であれば一分以内で死んでしまうほど強烈な放射線が飛び交っている場所です。「さながら夏の腐った池のようだった」と作業員が報告したその物体とは、なんと生きものでした。単細胞の微生物から、バクテリア、菌類、そしてワカメのような藻類までが、炉心の中に増殖し繁茂していたのでした。それを発見した作業員の驚きは察して余りあります。結局、作業を進行させるために、過酸化水素(薬局ではオキシドールとして売っている殺菌剤)を投入して、その生きものは殺されました。しかし、一度殺されたはずのその生きものは驚異的な生命力で再三再四復活し、以降何ヵ月にもわたって、作業の妨害を続けました。ぞっとするほどの恐ろしさですが、どんなに強い放射能汚染があっても、新しく生命を育む生きものたちが存在していたのでした。
人類など宇宙や地球の大きさや広さからすれば、まったくとるに足らない存在です。人類がこの地球上から絶滅しても、宇宙の運行はまったく変わらずに続くでしょう。また、人類が自らのものと錯覚してきた地球も、人類がいなくなったところで、何事もなかったかのように、また生命を育むでしょう。地球上には数千万種といわれる生物種がそれぞれの生活を営んできて、人類はこれまでにも、それらのうちの数多くの生物種を絶滅に追い込んできました。もし、人類がこれからも核=原子力を使い続け、放射能汚染によって滅びたとしても、人類という生物種がいなくなった地球は、生き残った、あるいは新たに生まれた生きものたちにとって、今日よりももっともっと住みやすいと私は確信します。
原発破局事故時の急性放射線障害を避けるには?
人類の絶滅が地球の生き物たちにとって福音であったとしても、原子力発電所の事故で被曝死することを望む人はいないでしょう。では、いったい、私たちに何ができるでしょう?
原子力発電所で事故が起きた場合、放射能は風に乗って流れてきます。被害を防ぐために何よりも肝心なことは、流れてきた放射能に巻き込まれないことです。しかし、放射能を五感で感じることはできません。難しいことですが、冷静に風向きを見て、原子力発電所の風下から直角方向に逃げることが一番大切です。そして可能であれば、できるだけ原子力発電所から離れることも大切です。でも、仮に少しぐらい離れたとしても、雨にでも襲われれば濃密な汚染を受けてしまいます。放射性物質を身体に付着させることは大きな危険となりますので、雨合羽や頭巾、帽子、それに着替えは必須です。また運悪く放射能に巻き込まれてしまった場合には、それを呼吸で取り込まないようにすることが大切です。マスク、あるいは濡れタオルもそれなりに効果があるでしょう。
ただ心配なのは、私達が事故の発生を知ることができるかどうかということです。国や電力会社は事故を過小評価し、できればなかったことにしようとします。一刻を争うような事態になっても、おそらくは情報がでてこないでしょう。おまけに風速3m/秒とすれば、放射能は一時間に 11㎞流れます。普通の人は走っても到底逃げられません。車はおそらく交通網が麻痺して動かないでしょう。
原子力発電所事故による急性死から逃れる方策を、重要度の高いと私が思うものから順に以下に書きます。
1.原子力発電所を廃絶する。
2.廃絶させられなければ、情報を公開させる。
(たとえば、原子炉の制御室にTVカメラを設置し、映像を常時外部で見られるようにすることができれば、有効でしょう。)
3.公開させられなければ、自ら情報を得るルートを作る。
(簡易型放射線測定器で自ら放射線量を測定することも意味がありますが、常時測定を続け、監視を続けることはまずできないでしょう。それよりは、原子力発電所サイトを監視する、あるいは職員(特に幹部)の家族の動きを視ておくことの方が役に立つでしょう。)
4.事故が起きたことを知ったら、風向きを見て直角方向に逃げる。そして可能なら原子力発電所から離れる。
5.放射能を身体に付着させたり、吸い込んだりしない。
6.全て手遅れの場合、そう長くはない時間を一緒にいたい人とともに過ごす。
長期間にわたる悲劇はどうなる?
しかし・・・、急性死を免れて運良く生き延びたとしても、放射能雲に巻き込まれた人々にはいずれ大量の癌が発生します。また、土地は放射能で汚染されて最早住むことができません。健康を侵され、そして長い歴史を刻んできた土地を放棄する人たちの未来はどのようのものになるのでしょうか?それを考えると私は途方に暮れてしまいます。
途方もない悲劇を避ける道は、やはりただ一つ、原子力そのものを廃絶することです。
【参考文献】
(1) 丘浅次郎、「生物学的人生観(上)(下)」、講談社学術文庫 539,540(1981)
(2) NHK取材班「被曝治療 83日間の記録」、岩波書店(2000)、現在この本は絶版ですが、新潮文庫から「朽ちていった命」として出版されています。
(3) THE RADIOLOGICAL ACCIDENT IN GOIANIA, IAEA(1988)STI/PUB/815 ISBN 92-0-129088-8
http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/pub815_web.pdf
(4) BEIRⅦ-Phase 2、”Health Risks From Exposure to Low Levels of Ionizing Radiation”
http://www.nap.edu/catalog.php?record_id=11340
(5) 瀬尾健、「原発事故、その時あなたは・・・?」、風媒社(1995)
(6) 瀬尾健、小出裕章、ブックレット「原発事故の恐怖」、風媒社(2000)
(7) 瀬尾健、小出裕章、原子力施設の破局事故についての災害評価手法、第 68回原子力安全問題ゼミ資料(1997/8/29)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No68/kid9708.pdf
(8) 朴勝利、原子力発電所の事故被害額試算、2004年3月30日
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/parkfinl.pdf
(9) 原田清、東海地震災害の中にある驚異的なリスク、論文投稿中
(10) 小出裕章、六ヶ所再処理工場の災害評価に関する覚書、2006 年4 月26 日(5 月9 日、改定)
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/rpp-acc.pdf
(11) 明石昇二郎、「核燃施設・六ヶ所炎上・事故シミュレーション」、週刊金曜日( 2006/6/9、6/16,6/23)
(12) 小出裕章、生命の尊厳と反原発運動、「生きもののうた」 ’90夏 第四集この文章は「放射能汚染の現実を超えて」北斗出版(1994)に再録されています。
2010年12月12日(日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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