世間知らずと世間擦れ
- 2015年 2月 7日
- 交流の広場
- 藤澤豊
転職して理系の大学の先生方に頻繁にお会いできるようになった。油職工くずれ、それまで大学の先生方と会えるなど考えたこともなかった。同僚や昔の仕事仲間から大学の先生には変わった人が多く、世間一般の常識を持ちあわせていない方もいらっしゃると聞いていた。どのような組織にも色々な人がいて人は千差万別だが、確かに大学の先生方には、民間企業ではちょっとお会いできないだろうという人が目についた。
代理店の営業マンに連れられて、会社と製品のご紹介に上がった。関西のベンチャー企業で、首都圏では一部の方々にしか知られていない会社だった。社名を頭につけて、自己紹介させて頂いた。先生の、まるで軽く感電でもしたかのような反応に一瞬たじろいだ。「xxx (社名)知ってますよ、いい会社だ。雑誌で読んだ。」 本誌は米国の歴史のある(俗な)ビジネス誌。その雑誌、よくて二流、読めば時間の無駄、とても読む気にはなれない。ただお手軽な英語のビジネス誌ということで、英語をと思っているビジネスマン(と思っている人たち)には知られている。その雑誌のちょっと前の日本語版特集号に日本のベンチャー百社だかが取り上げられていた。先生、その雑誌のお手盛り記を読まれていた。(内情に通じている人たちはそんなヤラセ記事は読まない。)
この類の雑誌に関心のある理系の先生はまずいない。まして、日本のトップの大学で理系の專門分野を深く研究をされている先生が、そのような雑誌を読まれていたことに驚いた。先生の次の言葉を聞いて納得がいった。「うちの学生、一人雇ってもらえないかな?就職が決まらなくて、先週もあの学生(別の学生を指さして)が東北の中小企業にまで面接に行ったんだけど、。。。」気さくな先生でちょっとした世間話のあと、真顔で、「実は俺も二年契約でここにいるので、仕事を探しているんだが、どこかいいとこないかな?」と言われたときには、正直、たまげた。そこらに転がっている二流大学や有名校などと呼ばれるような大学じゃない。押しも押されぬ日本の大学のトップに君臨するこの大学の理学系の学科を卒業しても、仕事がないのか?その先生ですら、職探しに苦労されている。
マスコミの話なので、どこかの利権支援に過ぎない可能性の方が高いだろうが、企業が必要としている能力のある、欲しい人材が見つからないという話も聞く。話半分としても、工業立国、日本企業が即の、将来の企業を背負って立つ人材を求めていないはずがない。どこかがズレている。
学生の就職について他の国立大学や私立大学で先生方からお聞きした話は、どこかズレているというよりズレきっていると言った方が合っている。学部にもよるのだろうが、お聞きした先生の学部の学部生では、学んできたことに関係する仕事に就けるのはほぼ皆無。院生には多少いるが、学部生では就職できないことも多く、就職があればよしとしなければならないという。
安くもない授業料払って、青春の一番大事なときを四年間も費やして挙げ句の果てが学んだことを活かす機会がない。就活で一所懸命企業訪問している学生をよく見かける。どのような大学で何を勉強してきているのかは知らない。知りはしないが先生方からの話からすれば、問題は教える側にあって、学生は被害者、少なくとも共犯者ではないだろう。
教鞭を取っていらっしゃる先生方、今、あるいは(近い)将来日本社会が求める人材を供給するための教育、社会のなかでの最高学府の教育たるに無関心というより、理解する能力と意思というか責任感が欠落しているように思えてならない。
“大学は職業訓練校じゃない。”その通り、しかし、卒業生の就職難を毎年目の当たりにして、間接的にではあるにせよ、知識を提供する側として自らが提供している知識が社会では無意味、無価値なものと判断されていることにすら気が付かないほどの知能指数しかお持ちでしかないとも思えない。そこまでおバカじゃないだろう。となると、学者という看板を掲げて、学者だから社会一般のこと、世俗のことは分かりません、分からなくてもしょうがないと巷の人たちに思ってもらって、自分は道楽研究に耽ける、あるいはそこまでの才能もないので耽っている格好をして、あるいは自覚することなく格好になってしまっている、それで禄を食んでいるだけの連中なのかとすら思えてくる。
社会から都合よく隔絶し、世間知らずであることが存在そのもののような方々から役に立たない、知識と呼んでいいものかどうか怪しい知識を手にされて社会にでてくる、こざるを得ない就活学生に憐憫の感情が湧いてくる。ただ、救いは、学生の方が多少は世間擦れしている分、世間知らずの先生方よりは社会人として多少はまともかとすら思えてしまう。まさか学生が世間擦れや如才ない世渡りを大学で学んでいるわけでもないだろうし、多分、就活学生も同じように感じていると思うのだが、一体大学で何を得てきたのか、そもそも大学とは?という疑問符すらでてくる。まさか、青春を満喫すべく遊びを目的とした若者にその場を提供し、そこに外から邪魔が入らないように大義名分を提供するところなんてのもないだろう。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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