リベラリズムとエジプト児童文学の世界 第一回『スズメ達の革命』
- 2015年 2月 28日
- カルチャー
- エジプト児童文学富澤規子
(富澤さんの紹介:坂井定雄)
アラビア語翻訳者の富澤規子さんが、エジプト児童文学と作家たちについて、寄稿してくれました。これから4回に分けて、寄稿を紹介します。
富澤さんは2009年から5年間、エジプト・カイロの文化省立アカデミー・オブ・アーツで学び、高等民俗学院の準修士課程と修士準備課程を修了しました。その間、読売新聞大阪本社主催の第16回(2012年)旅のノンフィクション大賞を「シーワ・オアシスの祭りにて」で受賞、第17回(2013年)でも「アラブのカタツムリ」で佳作入賞しました。
民主化を求める2011年「1月25日革命」から4年。軍政、選挙によるムルシ政権の樹立、同政権の打倒とシーシ将軍の政権樹立・・・富澤さんも過ごした激動のエジプトで、児童文学作家たちは、書き続け、語り続け、読まれ続けてきました。富澤さんが最初に紹介するファーティマ・エルマアドウルの絵本のスズメ達のように―「1月25日の朝、タハリール広場の騒がしさに気づいたスズメ達は、考古学博物館のドームに集まり、その様子を観察します。パンを…尊厳を・・・自由を。スズメ達は問いかけあいます。革命ってなに?どうして民衆は怒っているの?」
リベラリズムとエジプト児童文学の世界
第一回『スズメ達の革命』
著者:ファーテマ・エルマアドウル
1月25日の夜が明けたとき……
タハリール広場ではすべてがいつもどおりでした……
すずめ達は梢でチュンチュンピーピーとさえずりました……
戯れ飛んでオマルマクラム庭園からナイル宮橋まで行き交います……
何羽かは合同庁舎の最上階の窓にとまり…
そう広場は大きく美しく見えます……
女性作家ファーテマ・エルマアドウルの絵本『スズメ達の革命』の冒頭です。その日付とタハリール広場の記述からもわかるように、エジプト2011年の革命に題材をとった物語で、革命回顧録ラッシュの中2013年初版で出版されました。
実在する地名だけでなく、アラビア語では2011年のエジプト革命は「1月25日革命(サウラ・ハムサウィシュリーン・ヤナーイル)」と呼ばれるので、ネイティブ読者にとっては一行目で物語の背景がわかる舞台説明です。
物語の主人公は仔スズメのアダムと、彼の父、タハリール広場に面する考古学博物館の庭に住む祖母の三世代が登場します。
1月25日の朝、タハリール広場の騒がしさに気づいたスズメ達は考古学博物館のドームに集まり、その様子を観察します。
パンを……尊厳を……自由を
スズメ達は問いかけあいます。
革命ってなに?
どうして民衆は怒っているの?
スズメ達は広場の人間のように混乱し話しあい対立しあい情報交換をし、ついにはエジプト中でデモが起きていると理解します。
アダムの父は、タハリールは最早安全な場所ではないとして広場を捨て去ります。巣を捨てないでと引き止めるアダムと祖母を振り切って、妻を連れて新しい棲家を探しに飛び続けます。
あくまでも児童書ですので、作中では人間の子供達の様子がより細かく描写されます。革命中を理由に学校や勉強を放棄する子供達の様子。自由を自分の振る舞いたいように振る舞うこと、権利を自分の欲求を主張することと捕らえる子供達に、自由と権利と義務のバランスを説く母親の姿が物語中盤では描かれます。その人間の様子をアダムの両親は窓辺からじっと観察し、エジプト全土がこのような有様と悟りタハリール広場に戻ります。
このような子供達の描写は誇張ではなく、2011年の革命直後のエジプトではある種ありふれた光景でした。革命に対する些細な不満でさえも親ムバラク派の嫌疑材料になってしまい、表立って革命を否定非難することができないと言う意味で言論の自由がない状況でしたから、革命賛辞を旗印にすればどんなごり押しを叫んでも、咎める勇気のある者は少なかったのです。
子供は大人を真似るものですから、革命と自由を叫びながら校内カフェの駄菓子値下げを要求したり、気に食わない教師を吊るし仕上げたりと無法な限りであると親世代の嘆きをよく聞いたものでした。
さて、アダムの父がタハリール広場に戻ると、仔スズメ達はプラカードを掲げて騒がしくさえずっていました。
パンを……尊厳を……自由を
驚くアダムの父に祖母はお前の頑迷な振る舞いに子供達は抗議しているのだと叱ります。仔スズメ達はどんなに大事なことでも自分達を無視して勝手に決めてしまう大人達への不満が募りデモクラシー要求を始めたのです。
スズメ達が言い争うなか、アダムの祖母が憲法を制定しましょうと提案します。治める者も治められる者も憲法の下では平等です。
物語終盤では憲法とは何か、どのように制定し運営するかと語られ、富める者も貧しき者も子供も大人も隔てなくと締めくくられます。
憲法の重要性を説くエピローグはファーテマ・エルマアドウル自身が革命前の2009年に出版した絵本『ナバハーン王がスンドゥスターン王国から消える』とよく似ています。
このような社会性の強いメッセージを革命の前後で繰り返し説いた女性作家ファーテマ・エルマアドウルとはどのような人物でしょうか。
1970年にエジプト文化省立アカデミー・オブ・アーツ高等演劇学院の学部を卒業した後、児童書作家、児童演劇演出家として活動し、『ナバハーン王』出版時の資料では国際児童図書評議会員(IBBY)を勤めています。
エジプトで美術芸術教育といえば国立ヘルワーン大学の美術系学部か文化省立アカデミー・オブ・アーツがその要です。現在でも多少浮世離れしているものの自由な校風で知られる両校ですが、世相の宗教色が強くなり、同時に一党独裁が濃くなり始める70年代、80年代以前は更に柔軟な考え方をする学生が多かったと聞いています。また現在では各大学法学部の入学基準は低くなってしまいましたが、彼女の学生時代では法学部はまだまだ難関学部の一つでした。この数十年の間にどれだけ法が軽視されるようになったのか、教育事情からも伺えます。
『スズメ達』も『ナバハーン王』も色鉛筆調の優しい挿絵が添えられ子供でなくても思わず手に取りたくなるような絵本です。しかしながらその社会風刺とメッセージは力強く、大人でさえはっとさせられます。
『スズメ達の革命』の中表紙には「我が孫アダムに贈る」と記されています。法と自由を知る祖母世代から、これから知る孫世代へ。憲法を巡る物語は優しく語りかけられます。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔culture0105:150228〕
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