民族問題、住民問題としての領土問題
- 2010年 12月 14日
- 評論・紹介・意見
- 大陸における領土、民族、住民岩田昌征
日韓、日中、日台、そして日露の間に領土問題が未解決のままくすぶっている。それでも当該地域に日本人、韓国人、中国人、そしてロシア人が接住しているわけではない。したがって以下に記すような事態は発生していない。海の効用というべきか。
ポリティカ紙(2010年11月28日)によれば、セルビア東部の小都市ボシレグラドで約100人のブルガリア人の抗議デモが行われた。プラカードには「90年間の奴隷状態、同化、強制収容所、ジェノサイド、殺害、打倒ノイ」とあった。ここで言う「ノイ」とは、1919年「ノイ協定」のことである。パリ近郊ノイで1919年11月27日に調印され、ボシレグラドとディミトロフグラドがセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国(後に改称され、ユーゴスラヴィア王国)の領土に編入された。セルビアのブルガリア人民主党の代表者イヴァン・ニコロフは、母語による教育、伝統・文化の育成がセルビア国家によって脅かされているが故であり、国境線の変更を要求するものではないと演説した。更に、ブルガリアの政党アタクの指導者ヴォレン・シデロフが引率する支援者たちを乗せたバス9台が、セルビア警察によって国境でストップさせられなかったならば、デモ参加者はもっと多かったはずだとも述べた。
ボシレグラド・オプシティナ(スケールは小さいが、日本の県や郡に当たる)議長(県知事、郡長のこと)は、ブルガリア人の民族的権利はすべて守られており、困難はセルビアのほかの諸地域と同じく経済問題だ、と反論する。
ブルガリア民族主義政党アタクは、国境におけるセルビア政府によるバス入国拒否に対して、ブルガリア外務省が何の行動も取らなければ、自分らがブルガリア・セルビア国境を封鎖すると脅迫している。駐ベオグラードのブルガリア大使ゲオルギ・ディミトロフは、ブルガリア市民の入国が拒否された理由を問うノートをセルビア外務省に向けて準備中であると声明を出した。
ポリティカ紙(11月29日)によれば、セルビア南部のアルバニア人多数地域の県庁舎にアルバニア国旗が掲げられた。28日のことである。1912年11月28日は、ロンドン会議においてアルバニアが独立国家としてヨーロッパ列強によって承認された日である。その時以来、アルバニア人は、その日を「旗の日」として最高の祝日とし、黒鷲紅旗をアルバニアの内外で掲げ続けてきた。セルビア南部のブヤノヴァツとプレシェヴォの両県庁舎にも黒鷲紅旗が掲げられた。さすがに、添え物としてセルビア国旗も。両県の知事や県会議長は、アルバニア人である。プレシェヴォ県副知事オルハン・レジェピは、数年後にはここのアルバニア人も11月28日をアルバニア国の一部として祝うことになろう、「ベオグラードの政治家がどう思おうと、気にしない」と述べた。
領土問題が国家機構間の紛争であると共に諸民族間、特に諸住民間の紛争になる。大陸諸国の宿命である。私たちの場合、住民間の対面的摩擦にはなっていない。島国の優位性である。それを生かせないで、陸地の国々と同じ強度の紛争にしてしまえば、私たちの国際政治的知恵が大陸の諸国民より低いということになる。とにもかくにも、仮の話でも、島根県庁舎、沖縄県庁舎、根室市役所に大極旗、五星紅旗、青天白日旗、ロシア国旗を掲げようとする日本国籍者はいないのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0247:101214〕
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