鳩山発言「多くの日本国民は間違った情報のもとに洗脳されている」は正しい指摘である
- 2015年 3月 14日
- 時代をみる
- ウクライナ問題塩原俊彦鳩山発言
拙著『ウクライナ・ゲート』をお読みいただいただろうか。これを読めば、今回の鳩山由紀夫元首相の発言が基本的に間違っていないことはおわかりいただけるだろう。
この発言をめぐって、鳩山を批判する言説がマスメディアで飛び交うことになるだろうが、みなさんはどうか、「専門家」と称せられる人々や「コメンテーター」という、わけのわからぬ連中がどんな発言をするかを注意深く見守っていただきたい。何の勉強もせず、何の努力もせずに、虚言を吐いている人々に決して騙されてはならない。
実は、拙著の残部はほとんどない。そこで、続編として、『ウクライナ2.0』が社会評論社から刊行されることが決まっている。まさに現在、執筆の最中なので、実際に上梓されるのは6月ころになる。
というわけで、『ウクライナ2.0』の「はじめに」で予定している原稿をここにアップロードしてみたい。これと、過去4回にわたって本サイトに掲載した「ウクライナ・ゲート」を読めば、鳩山の発言が決して間違いではないことがわかるだろう。
ついでに、「BSフジ プライムニュース」(3月17日午後8時から)をご覧くだされば、ぼく自身が出演して、ウクライナ危機の「真実」を語ることになるだろう。
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『ウクライナ2.0』
はじめに
「我々はウクライナで権力を移行する裏取引を取り計らった」(we had brokered a deal to transition power in Ukraine)
オバマ大統領は2015年1月31日にCNNが放送した単独インタビューで、こう口を滑らせた。最近の米ロ対立の本質を議論するには、オバマ自身が諮らずも認めたように、その対立の契機となったウクライナ危機が米国によるロシアへの「先制攻撃」としてスタートしたという視点が重要である。米国は控えめに言えば、ブローカーとして仲介役を果たしたのであり、率直に言えば、ウクライナ危機を後ろから操っているのである。
欧米のマスメディアの多くは、ロシアのウラジミル・プーチン大統領が主導してクリミア併合を行い、第二次世界大戦後の国際秩序に挑戦しようとしているという虚報を垂れ流している。日本のマスメディアもこれに追随している。こうした視線からは、米国主導の対ロ攻撃という現実を炙り出すことはできない。米国主導の「先制攻撃」によって、ウクライナの混乱が始まったことに気づかなければ、いまの米ロ対立の本質は理解できないのである。
米国がウクライナのナショナリストを煽動し、民主的に選ばれたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を暴力によるクーデターで追い出したことはすでに拙著『ウクライナ・ゲート』で詳述した。本書はこの拙著『ウクライナ・ゲート』の第二弾として書かれたものである。本書を『ウクライナ2.0』としたのは、拙著『プーチン2.0』からの借用だ。『ウクライナ・ゲート』を少しばかりヴァ―ジョンアップしたものということになる。
本書は前作の要点を踏まえながら、できるだけ最近の情勢を取り込んだ内容となっている。全体としてわかりやすく、そして、若者に関心をもってもらえるように、本音で語りかける文体をとることにした。本書を読んで、ウクライナ危機の詳細が知りたくなった読者は、前作を図書館ででも読んでほしい(前作はすでに完売状態で、一部の古本市場では高値になっている)。逆に言えば、前作との重複部分があるにしても、できるだけ重複しないように心掛けている。「より率直に、あるいは、より過激に」をモットーにして、ぼくは楽しみながらこの本を、学術書としてではなく啓蒙書として書くことにした。
第二弾を書かざるをえなくなったのは、ウクライナ危機の真相についての理解がまだまだ不十分であると感じるからにほかならない。日本のマスメディアの前作への「無視」に対して、前作以上に率直に語ることで、したり顔をしながら厚顔無恥な自分に気づいていない人、すなわち、ぼくのいう「バカ」(自分が愚かであると知らず、その愚かさを放置している人)どもに痛打を浴びせたいと考えるようになったのである(なかなか過激な言い回しでしょう)。なお、ぼくはと言えば、拙著『すべてを疑いなさい』(Kindle版)のなかで、「自らの愚かさをよく知っているからこそ、毎日、努力してそのバカさ加減を修正しようとしている。だからこそ、ぼくはもう30年以上、The Economistという週刊誌を読んでいる。自分の無能に気づいてバカ脱却に向けた努力を継続しているから、ぼくは本書でいう「バカ」ではないのか。まあ、能力も大したことはないし、こんな本を書くこと自体、バカの証かもしれない。だから、「ちょいバカ」なのだ。自己の矜持をもちつつ、自分の愚かさを自覚しつづけるのは結構、大変だけど、囲碁棋士の藤沢秀行のいう「強烈な努力」こそ、大切なのではないかとつくづく思う」と書いておいた。
ウクライナ危機は、簡単に言えば、米国政府の煽動によって引き起こされたクーデターであり、その武力行使によって民主的に選ばれていたヤヌコヴィッチ大統領が追い出された。この事実を熟知しながらも、欧州各国は米国に追従し、防衛上、クリミア半島を併合したロシアを拡張主義だと批判、欧米の帝国主義を糊塗しつづけている。こうした現実を隠蔽するために欧米の主要メディアは情報操作を行い、ぼくからみると、日本のマスメディアの不勉強も手伝って、日本人の大多数はこうしたウクライナ危機の真相をまったく理解していない。とくに日本のマスメディア関係者には、その責任を全うするために、「『ウクライナ・ゲート』くらい読んで勉強しろ」と言いたい。ついでに、本書『ウクライナ2.0』も。
ぼくが苛立ちを感じているのは、海外で起きている「戦争」でさえ、日本のマスメディアがその真相を伝えられなくなっていることの深刻さである。朝日新聞は2014年、さまざまな問題から、他のマスメディアからのバッシングを受け、社長交代を余儀なくされた。だが、ぼくに言わせれば、朝日新聞だけでなく、毎日新聞も読売新聞も、日本経済新聞も、NHKも、あるいは、しんぶん赤旗も、米国による煽動がウクライナ危機の要因であることを伝えていない。日本政府が直接、関係した戦争事態において、政府の圧力でマスメディアが虚報を垂れ流すというのであれば、それは戦前の繰り返しということになるが、いまや、日本政府がかかわっていない海外の「戦争」でさえ、真っ当に報道できるマスメディアが存在しないというのはどういうことなのだろうか。もう絶望的な状況にあると言わざるをえない。
そこで、徒手空拳で「たった一人の反乱」を遂行するにあたり、ぼくは本音をそのまま書くことにした。そうすれば、「口コミ」でより多くの人々に本書が読まれ、ぼくらが置かれている世界状況を理解し、少しはまともな社会になるかもしれない。そう信じているからこそ、本書を執筆することにしたわけである。
前作では、バカを罵倒しても、何の効き目もないとの忠告にしたがって、自重気味の抑えた筆致をとった。だが、バカにはバカと指摘しなければ、本人はもちろん、大多数の人々の心に届かないのではないか。あるいは、筆者の能力をもっと具体的にしっかり宣伝しないと、バカなマスメディアの「従業員」には届かないのではないか。そう思うようになった。
実際にあった話をしよう。NHK関連の「従業員」、二人から、2014年の夏から秋に、ぼくのところにメールがあった。一人はウクライナ関連の話、もう一人はロシアの武器関連の話で、ぼくに取材協力を求めてきたのである。この時点で、ぼくは『ウクライナ・ゲート』(Kindle版)や『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)を上梓ないし上梓予定であった。ぼくは、これらの拙著のなかでも、ちきゅう座のサイトでも、NHKの石川一洋解説委員を名指しで批判していたから、こうした事実を二人に伝え、それを知ったうえで、ぼくの協力を得たいなら、協力することもやぶさかではないと伝えた。だが、その後、二人とも何の連絡もよこさないままである。
ぼくがこの件で強く感じたのは、そもそも、ぼくがウクライナ問題でどんな主張をしているかさえ知らずに、ぼくにメールを送ってくる連中の不勉強ぶりである(1)。加えて、上司にあたるような人物に媚びへつらい、その主張が間違っていてもそれと対決しようとしない、お粗末な「平目」ぶりだ。こうした人物はジャーナリストとは呼べない。単なる従業員であり、NHKという組織の「社畜」として、飼い慣わされつづけていくのだろう。こうしたバカを相手にするつもりはないが、せめて自分たちがバカであり、バカゆえに努力を怠り、ジャーナリストの役割を果たせていないことくらいは自覚してほしい。
ぼく自身のことも率直に書いておこう。何しろ、バカは肩書きに弱いから。ハーバード大学のマーシャル・ゴールドマンと言えば、ロシア研究の大家として知られている。彼が2007年7月、北海道大学スラブ研究センター夏季国際シンポジウムで報告したとき、同じセッションで報告した日本人はぼくだけだ。彼の学術書Petrostate (2008, Oxford University Press)に日本人では、ぼくのみが紹介されている。
ロシアにおける経済学の権威ある二大学術誌の一つに『現代ロシアの経済学』がある。ぼくはこの学術誌の編集委員に2015年から就任した。2008年からは、『マネジメントとビジネス管理』という学術誌の編集委員も務めている。この名誉が学者にとってどんな意味をもつかはなかなかわかってもらいえないかもしれないが、まあ、こんな立場にある日本人のロシア研究者はいないとだけ指摘しておこう。
他方で、ロシア語で「経済学」(экономика (наука))と検索してもらうと、ウィキペディアのサイトの「文献」欄にぼくの論文がちゃんと紹介されている(もう10年以上になるかな)。あのポール・サムエルソンの文献と肩を並べてね。こんなぼくからみると、テレビでウクライナ問題を解説している「専門家」の大多数は「ディレッタント」にすぎず、虚言を吐いているとしか思えない(2)。
というわけで、本当は、ぼくは学者としてとても忙しいのだが、ウクライナ危機で、あまりにもおかしな方向に向かっている世界および日本に警鐘を鳴らすため、使命感のようなものに促されて、前作および本書に取り組んだということになる。
もちろん、心あるごく一部の専門家は、前著『ウクライナ・ゲート』を読んで「刮目すべき著作」として注目してくれた。とくに、うれしかったのは恩師である西村可明先生が「時宜を得た好著」と評価してくれたことだ。この励ましこそ、本書『ウクライナ2.0』を書く原動力になっている。
前作でも本書でも、ぼくがプーチンの「太鼓持ち」であるかのように誤解する読者がいるので、ここでぼくの本当の姿をあえて開陳しておこう。ぼくは、2003年に『ロシアの軍需産業』という岩波新書を上梓した。すると、翌年、モスクワでロシア人の友人から、「(KGBの後継機関の連邦保安局)FSBから塩原さんについて電話で問い合わせがあった」と教えてくれた。「いい人です」と答えてくれたそうだが、話はここで終わらない。その後、ぼくが明治学院大学で報告をする際、だれでも参加できる公開されたその会場に駐日ロシア大使館の一等書記官が現れ、ぼくの報告を聴いて帰ったのだ。わずか5~6人しかいない、いつものメンバーのなかで、その一等書記官だけが突出した存在感を示していた。おそらくロシア当局としては、ぼくに「おまえのことは見ている」と警告したかったのだろう。ぼくはと言えば、FSBが気にかけてくれるほど、ぼくの著作が「現実」に肉迫しているのではないかと自信を深めた次第である。こんな風にロシア当局が警戒するほど、ぼくはロシアをしっかりと分析してきたと自負している。もしぼくがプーチンの太鼓持ちをしていれば、ロシア当局から警戒されることもないだろう。要するに、暇に任せてテレビで嘘八百を並べたてている連中とはレベルが違うのだ。
ロシア当局は2012年、政府肝いりのヴァルダイ・クラブ(ロシアについて関心をもつ、世界中のジャーナリストや専門家をメンバーとするクラブ)にぼくを推挙し、2012年5月には、世界的なロシアの軍事専門家10人の一人としてぼくをモスクワに招聘した。同年10月25日には、午後5時すぎから2.時間半ほど、プーチン大統領と晩餐をともにしたこともある。といっても、日本人でヴァルダイ・クラブに入っている者のなかには、プーチンべったりの似非研究者やコネだけに頼っているバカもいるから、ぼくはこのクラブには何の関心もない。重要なことは、ロシア当局がプーチンに厳しいぼくをつかず離れず見守っている事実である。これがぼくとロシア当局との実態だ。これを信じてもらえれば、ぼくをプーチンの太鼓持ちとみなす人はいないだろう。
さてここで、本書の執筆の視角について説明しておきたい。ぼくは2000年代はじめから、意図的に研究の中心を「世界」に移している。The Economistを愛読してきたぼくにとって、世界は常にその意識のなかにあったが、いわゆる「グローバリゼーション」のもとで、ぼくは「世界の動向が理解できなければ、地域問題は理解できない」と確信するようになった。そこで、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版会, 2007年)では、世界のパイプライン問題を論じるなかでユーラシア大陸におけるパイプラインも取り上げるという視角を明確に示した。以後、毎年のように本を上梓してきたが、すべて同じ視角にたっている。
たとえば、ぼくの著作には、『核なき世界論』(東洋書店, 2010年)というものがある。ソ連・ロシア経済政策専攻のぼくがなぜこんな本を書いたかと言えば、世界の権力構造を論じるなかで地域問題を軍事面から考えるには、核兵器の問題を真正面から論じる必要があったからである。こうした努力を前提に、ロシアの軍事問題をはじめて論じることができるのだ。その前年に書いた拙著『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店, 2009年)こそ、世界の軍事戦略を前提にロシアを論じたものであったということになる。
本書も同じ視角、すなわち、「世界からウクライナ問題をみる」視点にたって考察していることを再確認しておきたい。もちろん、前作の『ウクライナ・ゲート』も同じである。率直に言うと、ウクライナ問題を論じる専門家の多くは「世界」を知らない。ぼくは、『腐敗の世界史』という本を近く上梓する計画だが、ここで何を考察しているかというと、人類史的視点にたった腐敗論についてである。ぼくはすでに英語の拙著(Anti-Corruption Policies, 2013)でこの問題をある程度まで考察済みだ。ここまで行わなければ、いまの世界は論じられないと考えるぼくとしては、いまこそ、自信をもって、「地球規模の正義」(Global Justice)の立場から、ウクライナの地域紛争を深く掘り下げて分析することができると大言壮語しておこう。挑発的に言えば、日本の論者をみても、あるいは、世界中の論者を見渡しても、ぼくと同じような意図的な視角から、ウクライナ問題を論じている者をぼく自身は知らない。いたらぜひ、教えてほしい。参考にさせていただこう。
この本では、序章において、前作を踏まえて、ウクライナ危機を総括する。前作を読んでくださった読者には重複部分もあるが、2014年9月以降の出来事も取り上げているので、新しい発見もあるだろう。
第1章では、ウクライナ情勢を詳述する。前作『ウクライナ・ゲート』後の出来事である議会選の結果や、その後のウクライナ情勢などを検討する。ぼくはウクライナだけを研究しているわけではないので、まあ、あまり期待しないで読んでいただきたい(一人で何もかも研究するのは、本当は結構大変なのですよ)。というわけで、この部分の記述では、ロシアNIS貿易会の服部倫卓さんの著作に一部を依存している。ここに謝辞をのべておきたい。
第2章では、ロシア情勢を取り上げたい。ぼくの専門とする地域なので、この部分の分析には多少とも自信があるのだが、とくに、経済関係の分析と対中依存の問題については丁寧な考察を心掛けたつもりである。この部分は、2015年春に公表した二つの拙稿をもとにしている(3)。
第3章においては、世界秩序の混迷について考えたい。イスラム国への欧米諸国の対応をみていると、主権国家が暴力で暴力を抑え込むことに専念しているようにみえる。こんな世界に絶望感を感じているのはぼくだけだろうか。嘘で嘘を固めるようなやり方に、違和感を禁じえないのだ。それに、マスメディアが加担している。ここに、「バカがバカを再生産する」構造がある。なお、ここでの考察には、大学時代からの友人、佐藤聖さんの支援があったことを記しておきたい。
終章は、こうした違和感を率直にまとめた部分である。ぼくは、『サイバー空間の平和学』という本を上梓する目的で、現実主義と理想主義に分けて、サイバー空間上の平和を希求する研究を5年ほどつづけている。その成果の一部が2015年に『境界研究』に公表した「サイバー空間と国家主権」という論文だ。この内容も踏まえつつ、『サイバー空間の平和学』のために準備した考察を示すことにする。率直な想いが込められた部分ということになる。
付論として、「タックスヘイブンをめぐる嘘」をつけてある。これは、グローバリゼーション下で、世界中の主権国家がその徴税権を守るために何をしているかを論じたものである。終章で論じるように、主権国家はその主権を維持するために、ぼくからみると、きわめて身勝手な規制を加えてタックスヘイブンを攻撃している。これを主導しているのも米国政府だ。世界の現状を理解してもらうためには、こうした現状認識を明確にもたなければならないとの想いから、あえて本書に付加することにした。まあ、「おまけ」のようなものだが、本当はこの部分を読んでもらうだけで、世界認識を深めることが十分に可能であると思う。
本書『ウクライナ2.0』も『ウクライナ・ゲート』同様に、「無視」されることになるかもしれない。それでも最近になって、拙著『ウクライナ・ゲート』を気に入ってくれた一人に『週刊金曜日』の成澤宗男編集部員がいる。「BSフジ プライムニュース」にも出演する機会を得た。少しずつでも、より多くの人々がウクライナ危機を契機に、地球上にある国民国家なるものを基軸とする統治に目に見える形で綻びが生じていることに気づいてくれれば幸いである。自省・反省するところにしか、人間は希望を見出せないと信じているからだ。バカであると意識できなければ、バカを脱却すべく努力しないのと同じ構図である。だから、バカに対してはバカとはっきりと罵倒しなければならない。
冷戦下では、イデオロギー対立から、双方が具体的な名前を挙げて批判の応酬をするという論戦が結構、みられた。しかし、「米国一人勝ち」と言われるような状況になると、バカを名指しで批判する雰囲気が薄れている。その結果、どうなったかというと、バカが大手を振って跋扈し、バカによるバカの再生産が急速に進んでいる。これではまずい。そう考えるぼくは、主に註を使って、バカを明確に罵倒することにした。そうすることが若いみなさんを教導する近道になると思うからである(4)。ぼくは、本書を遺書の一つくらいに考えているから、もう怖いものなしだ。本音の吐露に期待してほしい。
(1) 外務省にもバカがいることを紹介しておこう。2011年10月下旬、ぼくはモスクワで駐モスクワ日本大使館の一等書記官に会った。この人物が会いたいというから会ったのだが、バカそのものであった。ぼくに会うというのに、ぼくの本(10冊以上もあるというのに)さえ読んだことがないと認めるような輩が一等書記官である事実に愕然とした。たとえば、ぼくは、ロシア人の研究者やジャーナリストに会う場合、彼らの著作や記事を精読し、細かい質問をするように心がけている。こうすることで、「極東」の島国、日本にもロシアのことを真剣に考えている者がいることをわかってもらおうというわけだ。それを機に、気に入ってもらって忌憚のない話を聴くという魂胆だ。こんな基本さえ身につけていない者が一等書記官であるという現実に、ぼくは大いなる危惧をいだいている。
(2) 専門家とみられているらしい人のなかで、とくに悪辣だとぼくが思っている人物の話を紹介しよう。それは上智大学の上野俊彦だ。2005年ころ、ぼくは北大の刊行する『スラヴ研究』に投稿したのだが、その拙稿を「不適格と認定してやった」と、ぼくの同僚だった朝日新聞社の大野正美に話したというのがこの上野である。査読といって、論文の掲載の許諾を審査する際、査読者はもちろん、個人情報の秘匿が義務づけられている。それを無視して、ぼくの論文を「不適」としたと吹聴するこの男の神経はどうなっているのだろうか。ぼくに言わせれば、最低限のモラルさえ守れない、こんなバカを査読者にすること自体、おかしい。つまり、北大の担当者自体、その能力を疑う。専門家のなかには、学会の席上、ぼくの辛辣な質問を公にしないでくれと、ぼくに頼んできた吉野悦雄という輩もいる。ついでに、肩書きはりっぱでも、能力に疑問符のつく者がいることを明らかにしておこう。それは塩川伸明東大名誉教授である。彼の著作、『現存した社会主義』(1999)を高く評価する声があるのは承知しているが、ぼくからみると、「なんだかなあ」といった出来栄えにすぎない。ソ連からロシアへの移行を政治と経済に分けて考察したこの本は、ソ連の本質に迫るという点においてピンボケな分析にとどまっている。本人にも電子メールで伝えたことだが、ソ連は「軍事国家」として存在したのであり、この点に焦点を当てながら政治と経済を分析しなければ、その本質には迫れないからである。安全保障という面から、国家を論じる視点がなければ、ソ連という不可思議な国家の本質はわからないはずだ。2003年、ぼくは『ロシアの軍需産業』という本を、「軍事国家ソ連」という視点から書いた。この視角をぼくに直接、教えてくれたのが柄谷行人であった(この経緯はhttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0307/sin_k127.htmlを参照)。ぼくは、この出来事から「視角」の大切さを痛感したのである。
(3) 塩原(2015b)と塩原(2015c)を参照。
(4) ぼく自身の経験を話そう。中国の研究者である矢吹晋が率直に批判してくれたおかげで、ぼくは朝日新聞社にいた中国研究者、加藤千洋の「化けの皮」をはじめて知った(矢吹, 2007)。同じように、ぼくも後輩たちのために率直な批判を展開しておきたい、一種の遺言として。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2928:150314〕
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