青山森人の東チモールだより 第296号(2015年3月18日)~公用語か母語か その1
- 2015年 3月 19日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
国会議長の警備隊や警察署が襲撃をうける
3月8日未明午前2時15分ごろ、家族の葬儀のためにバウカウ地方バギアを訪れていたビセンテ=グテレス国会議長の護衛官と地元警察署そして村長宅などが襲撃されました。警察4名が負傷、うち2名が重傷を負い、ヘリコプターで首都の国立病院に搬送されました。
詳細が伝わらない時点では、何者かがビセンテ=グテレス国会議長を襲撃する、という見出し記事がでましたが、翌日、襲撃したのは逃走中のマウク=モルク氏の仲間たちであるとロンギニョス=モンテイロ内務大臣が発表しました。また、グテレス国会議長の滞在する家が襲われたものの、国会議長の命を狙ったものではなく警護の任務についている警備隊が襲撃されたようです。ともかく地方の警察署や地元権力者宅が襲われ、建物や車両などにかなりの被害と、死者はでなかったものの重傷者がでました。襲撃者は火炎瓶か手榴弾を使用したと報道され、密輸されたかもしれない高性能の武器が使用された形跡がみられると報じる新聞もあります。
非合法団体「マウベレ革命評議会」の指導者として保釈中の身であるマウク=モルク氏は、今年1月15日、バウカウ地方のラガのサエラリ村で警官2名を拘束し、警察の車を燃やし、ピストルを奪い、警察部隊に取り囲まれる前に身をくらまし、現在に至っています(「東チモールだより第289号・290号」を参照)。軍と警察の合同部隊は同氏とその仲間たちを逮捕しようとしましたが、隠れ家に身を潜めるマウク=モルク氏の捜索にてこずり、そのうち内閣改造、シャナナ首相の辞任と新首相の指名、新政府発足という大きな政局のニュースにマウク=モルク氏の騒動は埋もれてしまい、軍は撤退し警察のみの捜索となりました。そして政府要人たちは同氏に投降を呼びかけ柔和的な解決を図っていました。この問題は小康状態になったのかと思いきや、3月8日の警察襲撃事件が起きたのです。
『テンポセマナル』(2015年3月13日、電子版)が「マウベレ革命評議会」から得た情報よれば、悪いのはバギアで同団体を弾圧する国会議長と警察であるとかれらは主張し、また「マウベレ人民革命評議会/フレテリン運動」という団体にたいする権力による弾圧を非難しています。
3月9日、タウル=マタン=ルアク大統領はルイ=アラウジョ首相とビセンテ=グテレス国会議長と協議、翌10日に大統領は前首相であるシャナナ=グズマン計画投資相や各政党の代表、軍の幹部などと会合をもち、12日、国家評議会を招集して治安の万全を練った模様です。これらの会合で話し合われた内容は公開されませんでした。東チモール当局は今度こそマウク=モルク氏の逮捕を遂行しようとすることでしょう。
言語問題、国会議長に反発するグズマン夫人
さて、警護部隊が襲撃されたビセンテ=グテレス国会議長は汚職で起訴されている被告の立場にもあり、物腰の柔らかいな大人しい感じのする紳士は最近何かと話題となっています。この国会議長がポルトガル通信社「ルサ」のインタビューで語ったことが、シャナナ=グズマン計画投資相の妻であるカースティ=グズマンさんの批判をうけまた話題になりました。話題の内容は言語問題です。まずは最近の言語問題をめぐる論争の経緯をかんたんに振り返ってみます。
2014年6月、国会はポルトガル語を第一言語として基礎教育に導入する取り決めを採択し、11月、その決議が公布されました。これによってポルトガル語を公用語としてではなく第一言語という立場に(見方によれば“格下げ”)し、母語を基礎教育の場に導入する道筋をつけたのです。
2015年1月、政府は、ポルトガル語を第一言語として第三学期に限って試験的に基礎教育に導入するという取り決めを有効にするという決定をして、いよいよポルトガル語を第一言語とした教育現場への導入が試験的実施されることになりました。しかしこの取り決めの有効性をキャンセルするかどうかを話し合う評価国会を開くことに国会議員18名が署名し、2月24日、その評価国会を開かれることになりました。しかしルイ=デ=アラウジョ新首相は、新政府発足の慌しさもあることからでしょう、これを一週間延期するとビセンテ=グテレス国会議長に通達しました。
こうした事態をうけて、「ルサ」は2月26日、ビセンテ=グテレス国会議長にインタビューしました。グテレス国会議長は、ポルトガル語を第一言語として教育に導入する取り決めには反対であり、外国人と国連機関は東チモールの選択した言語の基本戦略に妨害をしないで敬意を払ってほしい、と語ったのです。
この発言にたいしグズマン夫人はフェイスブックで、国会議長は遠隔地に二つの公用語をよく話せない子どもたちがいることを忘れている、東チモールはポルトガルの植民地ではない、国会議長には国益を守る義務がある、とくに子どもたちがよりよく知っている言語で教育を受ける権利を守る義務がある、と批判したのです。
まず二人の発言の背景をみてみましょう。東チモールの公用語とはポルトガル語とテトゥン語の二言語があります。国民の大半が話すテトゥン語も東チモールで32言語が話されるといわれる言葉の一つであり100%の国民がその話者ではありません。ましてやポルトガル語となると植民地時代のエリート言語なので、話者は激減します。独立後、公用語としてポルトガル語教育に力をいれてもなかなかポルトガル語は普及せず、ポルトガル語を使用した学校の授業に生徒がついていけないという教育問題が根をはってしまいました(アフリカの旧ポルトガル植民地も同様の問題を抱えている)。この状況を踏まえ、2008年ごろからユネスコなどの国際機関の支援によって「母語を基本とする多言語教育計画」が東チモール政府の要請に基づいて立案され、2011年、12校にかぎって試験的な母語導入の計画が発表されました。東チモールの当時のファースト・レディとしてユネスコの東チモール委員長であり、また東チモール教育親善大使でもあるカースティ=グズマンさん(当時の大統領・ラモス=オルタ氏は独身なので、シャナナ首相夫人であるカースティさんがファースト・レディとして活動した)はこの計画の調停推進役を務めました。教育現場への母語導入は当時かなりの論争を生みましたし(「東チモールだより第205号」2012年4月6日、[言語論争に母語がようやく参戦]を参照)、いまもそうです(東チモールの言語問題にかんしては『東ティモールのことばテトゥン語入門』[青山・中村・伊東・市之瀬共著、社会評論社]が詳しい)。
これが外国の介入を批判するグテレス国会議長とそれに反発するカースティ=グズマンさんの発言の背景です。国会議長の「外国人」という表現にオーストラリア人であるカースティ=グズマンさんはカチンときたのかもしれません。
外国人とは誰をさすのか?
ビセンテ=グテレス国会議長のポルトガル語を公用語としてではなく第一言語として教育に導入することに反対する言語観は、しかしながら、ポルトガル語がアインデンティティの一部を形成していると感じているエリート層にとってはありきたりの意見です。ただし外国の介入を批判するという発言の仕方は東チモールの要人としては角がたちます。それにしても、ポルトガル語を第一言語として教育に導入するという方針は国会をとおして東チモール政府が決めたことです。これを外国の介入と示唆するのは国会議長として問題なのではとわたしには不思議に思います。
ポルトガル語を第一言語として教育に導入する方針は最大政党CNRTが進めなければ成立しない話です。最大政党CNRTのシャナナ党首の妻が母語の使用を薦めるユネスコと関係しオーストラリア人であることがグテレス国会議長は気にかかるのでしょうか…?
CNRTのナタリノ=ドス=サントス国会担当は、2月23日(月)、ポルトガル語を第一言語として第三学期に限って試験的に教育に導入するという取り決めの有効性をキャンセルするかどうかを話し合う評価国会をまえにして、教育副大臣と二人のポルトガル人アドバイザーを含めて党の国会議員と会合をもち、母語の導入を問題にするという内容も含むこの取り決めを支持することを確認しました。最近、この二人のポルトガル人のうち一人が教育省と契約を結んで雇われたと「ルサ」は報じています。もしかしたら国会議長はこのポルトガル人の存在が気にかかるのかもしれません。
CNRT、国会退席
延期された評価国会は3月3日に開かれましたが、第一言語としてのポルトガル語と母語の導入についてこの件はもう決定したことであるとして、なんとCNRTは国会を退席したのです。教育現場が混乱するとして母語の導入に反対するフレテリンのマリ=アルカテリ書記長は、国会に最大の議席をもつ政党が国会討論を放棄する態度にでたことは悲しいと強く批判します。蜜月状態になったCNRT(シャナナ=グズマン)とフレテリン(マリ=アルカテリ)ですが、なんだか早くも妙な感じになってきました。
さて、グテレス国会議長の発言を批判したカースティ=グズマンさんですが、今度は逆に国会議員に(CNRTからフレテリンまで)、批判されたのです。これについては次号に譲ります。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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