それでも「東アジア戦争はおこらないだろう」か?
- 2010年 12月 16日
- 評論・紹介・意見
- 「拉致被害者救出」ブレジンスキー安東次郎憲法朝鮮有事
「自国民救出」という古典的な口実
マレン統合参謀本部議長が「米日韓」合同演習を提起すると、日をおかず菅首相が「自衛隊による拉致被害者救出」や「邦人救出のための韓国への自衛隊派遣」に言及した。
「米日韓」合同演習は、朝鮮半島での「自衛隊」の軍事行動を想定しなければ、意味のない「演習」だし、「自国民救出」は外国を侵略する際の「古典的」な口実、というのは常識のはずだ(注1)。
だから、これらの発言は大騒ぎになってもおかしくないのだが、日本では――左派からも――たいした反応はない。
その理由は、そもそも「東アジア戦争は起こらないだろう」という認識、さらに「米国の主要な関心は中東であり、同時に二つの戦争はしない(できない)だろう」という認識にあるようだ。
たしかにそのような「推論」にはそれなりに根拠がある。しかし現実に生じている「事象」をそうした「シナリオ」からだけ解釈するのは、ちょっと危険ではないか。仮に数パーセントでも、可能性があるなら、「戦争」を考慮すべきだ。
ブレジンスキー「日本に米国の代理人proximityとして役割を与えるべき」
この問題を考える上で、興味深いのは、11月23日のブレジンスキーの発言(America and China’s first big test)である。これについては、「副島隆彦の学問道場」http://www.snsi.jp/bbs/page/1/に翻訳があるので、それの一部を引用させていただく。
(引用開始)
<ワシントンは、集団的自衛権による反撃に出る[mobilise a collective response]必要があるという考え方に心を奪われている。しかし同時に、他国がその重荷となる責任を分担したがらないことにいら立ちを感じている。>
<[オバマ大統領は]日本の菅直人首相にも電話をして、アメリカの太平洋における主要同盟国として、朝鮮問題に対処するアメリカの代理人としての役割を与えるべきだ[as America’s prime ally in the Pacific and given its proximity to the Korean conundrum]。
さらに悪いことには、アメリカは、中東本土から西南アジアまでの地域で、10年にも渡って続く地域紛争の災難にひとりとらわれたままである。
さらに最近では、中東に和平をもたらそうとするアメリカの主要な外交努力が、アメリカに完全に依存するある国によって完全に無視されてしまった。>
<しかし、決定的に重要なことは、我々のアプローチは中国の意に反するかたちでは行われるべきではないということである。>
<アメリカが中国に対して、何かを要求したり忠告をしたりするというものであってはならない。
それは、お互いの国益が危機にさらされており、私たちが効果的な対応をすることによって共有する利害がある事実を確認するものであるべきである。>
(引用終わり)
日本は、軍事的な「代理人」にされる?
ブレジンスキーの発言からまだ一か月もたたないが、事態は、ほぼ彼の描いたシナリオに沿っているように見える。
すでにワシントンでフロノイ米国防次官と馬曉天・人民解放軍副参謀総長の会談が行われ、一月にはゲ―ツ国防長官が中国を訪問する。つまり米中関係は維持される方向にある。
他方で、日本が軍事的に使われることのほうは、マレンや菅の発言にみられる通り現実化しつつある。朝鮮有事の際に自衛隊を参戦させることは、米国にとっては『既定路線』であり、日本のほうは、『政治家』たちに米国の「御意向」に沿う以外の発想はないように見える。
しかしここで「代理人」と訳されているproximity(「近接」)を正確な意味で「代理人」proxyと解してよいなら、この言葉にはもっとぞっとするニュアンスが込められていることになる。つまり「本人」は不在になるというニュアンスが。
これは非現実的なことだろうか?しかし「米国が朝鮮での戦争から事実上、手を引く代わりに、中国人民解放軍も公然とは参戦しない」などというディールがありえないと断言できるだろうか。
こういうやり方をすれば、米国は同時に二つの地域で戦争を行わないで済む。そして、このように他国を使役することこそ、策略の基本だろう(注2)。
もちろん以上のことだけからは、「朝鮮有事」が現実化するとは言えない。アメリカがその気になるかどうか、という問題が残っている。しかし、すくなくとも日本には、もはやアメリカの指示を拒絶する大臣も、アメリカに逆らうマスコミも存在しない。(韓国での強硬論の台頭(注3)もまた一つ「安全装置」が外れかけていることを意味する。)
実際「日米韓の合同演習中に海自の護衛艦が『雷撃』をうけ、被害が出る」とか、「日本国内で『工作員』による破壊活動が起こる」とかすれば、世論は一挙に戦争へと傾く。そんな時は誰も「謀略」を思い起こさないのだ。こうして『平和憲法』は機能を停止する(注4)。
なお、ブレジンスキーの発言中、イスラエルを批判している点は、すでに米外交の現実の動きとなっているが、この点に関しては、13日原田武夫氏が氏のサイト(注5)で興味深い解説をしている。
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(注1)「拉致被害者の状況(現時点での「所在地」、「地位」、「心情」など)を知ることは困難だから、「救出作戦」など立案しようがない。したがって「自衛隊による拉致被害者救出」というのは、北朝鮮との全面戦争開始の口実でしかない。拉致という「犯罪」は憎むべきものだが、それを口実に始められる「戦争」は、その悲惨さにおいて「犯罪」とは比較にならない。
この戦争は「第二次朝鮮戦争」ではない。なぜなら、北朝鮮への攻撃は、ただちに北朝鮮による日本の攻撃を引き起こし、戦争は少なくとも日本と朝鮮半島をまたがる戦争となるからだ。
北朝鮮が仮に核兵器(あるいは生物・化学兵器)を使用しなくとも、日本国内の「原発」が数基攻撃されるだけで、日本は致命的なダメージを受けるだろう。
(注2)日露戦争の背景となる日英同盟について、P.J.ケインとA.G.ホプキンスは次のように言う。
「金融利害への配慮は、[英国の]外務省が他の列強を懐柔するために考え出したいくつかの外交戦略にも反映された。その典型が、一九〇二年の日英同盟の締結であった。それにより[英国の]大蔵省は、日本を極東におけるイギリスの「番犬役」にすることで、危機の際に極東における海軍費を節減することが可能となった。」(「ジェントルマン資本主義の帝国I」p.294)
(注3)これについては、英「エコノミスト」の翻訳記事http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5062を参照。戦争になれば、多大の被害をこうむることが明白な韓国でさえ、強硬論が台頭している現実をみると、人民を戦争に駆り立てるのは、実は容易なのかもしれない、と思われてくる。
(注4)最近(12月9日)、産経新聞の古森義久氏が〈「日本は憲法改正せよ」が米国議会の多数派に〉http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5018という記事を書いている。
古森氏は、2010年10月の「日米関係=米国議会にとっての諸課題」を引用して<米国議会が日本の憲法第9条を日米共同防衛への障害と見なし、改憲を望むようになった――。 この現実は日本の護憲派にはショックであろう。だが、米国議会上下両院の一般的な認識として、日本側の憲法9条の現行解釈による集団的自衛権の行使禁止は、「より緊密な日米共同防衛には障害となる」というのである>という。
この『事態』を喜んでいる方々も多いようだが、こうした方々は自国の「憲法」が良いとか悪いとか、外国の議会で論議されることに、さして抵抗がないのだろう。そういう方々が、自分は「愛国者」だと思っているのである。
それはさておき、この古森氏の記事は、実はまったく根拠がない。なぜなら、Japan-U.S. Relations: Issues for Congressは以前から出されているが、Article 9 Restrictions(9条の諸制約)のところの文面は、かつてのもの(たとえば、October 5, 2006)と基本的には同じであるのだから。
Article 9 Restrictionsの文面に関して、October 5, 2006のもの http://fpc.state.gov/documents/organization/76933.pdfとOctober 6, 2010のもの http://www.fas.org/sgp/crs/row/RL33436.pdfを比べると、違いは二点のみである。
後者では、「東京の新しい連立与党は、憲法9条の改正に関しては、(その内部で)深刻な違いを持ったままであり、また、近いうちにこの論点について論議をはじめることはありそうもない」という一文が挿入されているが、これは客観的な事実の追加に過ぎない。
肝心な点は、古森氏引用の「より緊密な日米共同防衛には障害となる」(Japan’s U.S.-drafted constitution remains an obstacle to closer U.S.-Japan defense cooperation…)という部分は、October 5, 2006のものにもあり、しかも2006のほうは、an obstacle(障害の一つ)ではなくa major obstacle(主要な障害)であったということ。
したがってArticle 9 Restrictions に関する限り、論調の変化は、古森氏の記事とは全く逆で、2010のものは『憲法は、日本を戦争に参加させるためには、障害の一つではあるが、もはや主要な障害ではない』と読むべきだろう。
(注5)http://www.haradatakeo.com/12月13日の動画「変転する中東情勢:今、何が米・イスラエル間の焦点なのか?」
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0250:101216〕
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