テント日誌3月22日…安倍政権NOの集会の人々がテント前を通った/警察の不当な妨害を認めるな
- 2015年 3月 23日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1290日商業用原発停止554日
安倍政権NOの集会の人々がテント前を通った
今日は安倍政権NOの大集会があるのでテントに着いたら何となく緊張感がただよっていた。Kさんが集会で配るチラシ折を懸命にしていた。
12時近くチラシを持って数人が日比谷に向かう。
集会に参加する前に寄って差し入れなどして下さる方がボチボチ集まってきたのでテーブルを出して受付の用意をする。K子さんが色々手伝ってくれて助かった。
右翼の街宣車が通ってわめいていったが、今日は警官もたくさん出ていたので安心していた。
2時過ぎ国会請願のデモ隊がテント前を通る。
脱原発をはじめとして集団的自衛権・TPPなどなど今の政権に反対のデモなのでシュプレヒコールもプラカードもさまざまテント前で応援の声を上げてくれたグループもあり嬉しかった。
皆でデモ隊に手を振って見送った。
中には通りすがりにカンパを手渡してくれる人も居て感謝です。
3時半ごろ官邸前方向から続々と降りてきた人たちがテントを心配して寄ってくれた。
テントのチラシをお渡ししたりお茶のサービスをしたり大忙しだった。
4時過ぎてたんぽぽ舎の方達などの一団がテント前でミニ集会
テントを守ろうと声を上げてくださって力強い思いだ。
ある女性は集会で配ろうと用意してきたブレスレット(NONUKE・IM NOT ABEなど書いた)をカンパしてくれた。
警官に止められて集会に間に合わなかったとか。
5時ごろやっと人波も途絶えたのでテントを後にする。 (I・K)
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警察の不当な妨害を認めるな
22日の「安倍政権NO!大行動」には大勢が集まった。国会大包囲も正門側には「安倍政権NO!」黒紙を片手に2重、3重の人が2拍子と3拍子を織り交ぜた軽快な「安倍を倒せ」コールを続け、憲法を破り憲法を壊して侵略軍事国家化をおし進め、原発を再稼動し沖縄の民意を無視して米軍基地建設をおし進め、原発も武器も輸出する「死の商人」安倍政権に対する怒りを、国会にぶつけた。
しかしながら、非常に残念なことが起こった。国会包囲が警察に分断されそれを主催者が了承していたのだ。正門から図書館前を通って国会を反時計回りに進むと、永田町駅前で警察が議員会館前の道を通せんぼをして参加者を自民党本部側に導いていたのだ。私も含めた数人は国会議事堂前駅に出るのだと言って警官の制止を潜り抜けて参議院議員会館前を通り衆議院第2議員会館前を過ぎると、更に大勢の警備警察が通行妨害。通行人は通すが行動参加者は通さない、主催者が了解済み、と言う。
この警官バリケードは衆議院議員会館と首相官邸前との間を完全に遮断しており、「国会包囲」が(政府が好きな)シームレスでなく大きな継ぎ目で分断されていたのだ。その結果、私たちが衆議院議員会館の第1と第2の間で立ち往生させられたばかりでなく、衆参議員会館前は3時30分頃から人がほとんど通らず閑古鳥が鳴いていた。請願デモ終着地点と絡みもあったと思われるが、主催者は包囲を放棄したのではないかと怒りを覚えた。
そう言えば、3月8日の「3.8No Nukes Day反原発統一行動」の日には、警察と主催者がテント前の横断歩道を遮断して私を通さなかった。テント住人に門前の道を通さないとはひどい、10分程警察に抗議して何とか通ったが。
このような警察の参加者分断・横暴は、反原連デモ開始時からあり、大勢の参加者が遠回りさせられ分断され離反された。
諸外国の優雅なフランスデモと比較しても分かるように、日本では警察の警備が横暴過ぎる。「国民」一人ひとりが自分たちの表現の自由を確保すべく不断の努力をすることが必要だし、誰よりも行動主催者に表現の自由確保・拡大の心構えを持ち、安易に警察に妥協しないことを強く要望する。
こんなに安易に警察と妥協していて安倍ファシズム内閣に抗することができるのだろうか。
(参考)日本国憲法
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
(K.M)
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ちょっとお休みをもらいました
思えばいろいろの兆候らしきものはあったのだけれど、3月11日の朝いつもとは違う寒気と吐き気に襲われ近くの病院に出掛けた。その日は毎月の降血圧剤をもらうことになっていたのだが、気分がすぐれないので検査をしてもらい、心電図を取ってもらったら、おかしいというので東京医療センターに緊急入院となった。心筋梗塞ということで2回手術を受け21日に退院した。後で振り返ってのことだが、その日が≪3・11≫だったのに驚いた。もう僕には「3・11」は単なる記憶を超えて身体化されてあるのかと思ったりした。妄想なのかもしれないが、不思議なことだ。
入院中も緊迫状態にあるテントのことを思うとも気がきでなかったが、東京高裁の仮処分の執行停止を知ってほっとした。テントは何をやるのかということを投げかけられたのだと思う。「ここがロドス島だ!ここで飛べ」というわけだ。病院のベッドで天井を眺めながらいろいろ考えたこともあるが、少しテントを離れてテントのことを見られたのは良かったと思う。
緊急のこととはいえ、僕の担当していた「話と座談の会」は中止というか、延期になった。話し手予定者にはご迷惑をおかけした。これは少し時間をいただいて再度やりたい。また、心配をしていただいた方にはあらためてお礼を申し上げる。「我々はまだくたばるわけにはいかないのだ」という友人の声が胸に響いた。自他への励ましの言葉をつとにしてテントにも帰りたい。 (三上治)
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