飛んで走ってトラブって―はみ出し駐在記(9)
- 2015年 4月 1日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
ニューヨーク赴任で初めて飛行機に乗ったのが駐在した途端、毎週のように飛行機で出張に行く生活になった。インターネットで予約というような便利なものはない。厚さ四センチはあろうかという電話帳のようなフライトスケージュールを見て候補のフライトをいくつかピックアップする。日本と違ってエアラインもフライトも多い。そこからこれと思ったフライトをいくつか書き出してエアラインに電話して予約する。面と向かってなら紙に書いたりしてなんとかなるが電話ではきつい。
先輩駐在員に最低限何を伝えて何を確認しなければならないのか、何を聞かれるのか、聞かれた時にはどう答えるのか教えてもらった。順序よく紙に書いて、恥ずかしくて声には出さないが何度も反芻した。いくら反芻したところで不安はなくならない。えぇーい、もういいやって思い切ってエアラインに電話した。しどろもどろになりながらも電話を終えた。何とかなったと椅子の背もたれに、ほっとため息をついて。。。気がついたらアメリカ人も日本人もしーんとして電話を聞いていた。みんなもほっとした顔から笑顔になった。やったじゃないかと目が言っていた。助けてくれた先輩駐在員が大丈夫だ、予約は取れてる。気のいいアメリカ人の事務のオヤジさんが何か言ってくれたが何を言われたのか分からない。多分よくやったとでも言ってくれたのだろう。
いつもちゃんと予約できたわけではない。Indianapolisの予約を取ったつもりでエアポートに行ったら予約されていたのはMinneapolis行きだったとか、Fの発音が悪いからだろう、苗字のFがSと入力されていてFではなく、Sで見てくれといって予約があったなどというのはしょっちゅう。聞きなれない日本人の名前、いくら丁寧に言ったつもりでも違って聞き取られることがある。それでも何に違って聞き取られるのか想像がつけばなんとでもなる。
アメリカの失業率が高かったこともあってなかなか駐在員を送れなかった。恒常的にサービスマンの人数が足りない。仕事が片付いてゆく以上に溜まってゆく。そのため何ができるわけでもない危なっかしい新米でも出張はほとんど一人だった。車で三、四時間のところなら走ってしまうが、それ以上になれば飛行機で飛ぶしかない。最寄りのエアポートに飛んで、レンタカー屋でもらった大雑把過ぎる地図を頼りに客に行く。カーナビや携帯電話などないから頼りは地図しかない。
行く先々で必ずと言っていいほど道に迷う。ガススタンドか何かで道を聞いてなんとかかんとか客先にたどり着く。客に付けば終わりの運輸業ではない。客についてからが仕事。毎週のように知らないところを西はミネソタ、ネブラスカまで飛んで走って、新しい機械の据え付けやら壊れた機械の修理に飛び回っていればこんなのありかということに遭遇する。
フライトでは何度かとんでもないことがあった。荷物が出てこないなどは日常茶飯事、驚きゃしない。文句を言っても何が変わるわけでもない。Baggage claimの事務処理にかかる時間の方がもったいない。荷物、明日になれば持ってきてくれる。ただ工具箱がないと仕事にならない。客で何から何まで借りることになる。米国では工場で働いている人たちは自分の工具持ち込みで仕事をしている。藤島桓夫の『月の法善寺横町』ではないが「包丁一本さらしに巻いて」に近い人もいる。知らない変な東洋系に貸すのを嫌がる。
どこだったか忘れてしまったが中西部の小さな町に火曜日にニューヨークから飛んだ。仕事を終えてエアポートに戻ったら火曜日に乗ってきたエアラインが見つからない。小さなエアポート、ちょっと歩けば全部見える。いくら探しても見つからない。火曜日には間違いなくあった。そのエアラインで来たのだから。帰りのチケットはあるがエアラインがない。
親切そうな感じの別のエアラインのカウンターでどうなってるかと聞いたら、そのエアライン、倒産してなくなっていた。あっちのエララインで引き継いでいるからと言われて、半信半疑でそのエアラインに行ったら何も変わることなくフライトの予約をくれて、ちょっと遅れたがいつもと変らない。なんのことはない、客の立場ではエアラインの名前変わっただけのようなものだった。
十年以上経ってニューアークでまたエアラインの倒産に遭遇した。一度やってるから慣れたもの、さっさと引き継いだエララインを聞いて、なんてことはないと思った。ところがエアポートが大きい。別のエララインに行くにはシャトルバスに乗って、重い荷物を引きずって行って帰ってでへとへとになった。
コンピュータ・システムで搭乗券を出しているのだからありえない話なのだがフィラデルフィアでAllegheny Airline (現US Air)が同じ座席の搭乗券を二枚出していた。いつものように搭乗、席に行ったらもう誰か座っている。冗談じゃないニューヨークへの最終フライトでこれに乗れなければフィラデルフィアで一泊しなきゃならない。満席で乗れない。
今でこそUS Airなんて名前になって一流?の顔をしているが、元を正せばAllegheny Airline、名前からしてPittsburgh辺りから出てきたローカルエアライン。おいおい大丈夫かといいたくなるエアラインだった。言い合ってもしょうがない。エアライン負担でPhiladelphiaに一泊。これも放っておけば客の負担にしかねないエアラインだった。
機内の朝食、量も少なく質素だったが今に比べればしっかりしていた。当初は乗るたびにきちんと食べてたが、どこに行っても同じスクランブルエッグにソーセージ、パンにジュース。。。何ヶ月もしないうちに飽きてしまって寝ていることの方が多かった。
シカゴ経由でネブラスカ州のオマハに行ったとき、二日酔いに寝不足で座席について離陸前に寝てしまった。寝てても朝食の匂いがしてくる。でも寝ている方がいい。朝食のために起きやしない。腹が減ったら着いたところで何か食べればいい。
目がさめたら原っぱの中を機体が動いている。何もない原っぱ、人より牛の方が多いんじゃないかと思うネブラスカ。もうオマハに着いたか、これから一仕事と思っていたら機体が加速している。おいおい今着陸したんじゃなかったのか?まさかこれ、離陸しようとしてるんじゃないよな。サンフランシスコかロスアンジェルスに行っちゃう。飛行機で寝てて乗り過ごし。離陸している。慌ててもしょうがない。でもオマハと往復で一日はつぶれる。また事務所に戻ってお前は外したと叱られるのか。。。
シートベルトのサインが消えて、スチュワーデスが来た。今どこに向かってる?って聞いた。離陸したばかりのフライトでこの質問はなかなかないだろう。自分がどこに向かっているのか知らずに乗ってる人はまずいない。聞かれたスチュワーデス、何?何を聞いてきたという怪訝な顔をしながら、“オマハ”。
目が覚めて寝ぼけていて泡食ったが、目が覚めたときはオマハではなくシカゴだった。ニューヨークで寝てしまって、シカゴで何人もの乗客が降りて、乗ってきて、それでも目が覚めなかった。離陸しようとしているときになってやっと目が覚めて、時計を見て考えれば分かるはずのものを、原っぱを見て、てっきりオマハを離陸しているものと勘違いした。生来のおっちょこちょいの寝ぼけ、フツーのことにすら頭が回らない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5275:150401〕
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