4/11現代史研究会レジュメ:『現代史のなかで「イスラーム国」登場を考える』
- 2015年 4月 9日
- スタディルーム
- 清水学
現代史研究会報告 『現代史のなかで「イスラーム国」登場を考える』
2015年4月11日
清水 学
第1部 イスラーム関連基礎知識
Ⅰ.イスラーム時代と日本の対照
ムハンマド(570年頃~632年) 厩戸王(聖徳太子)(574年~622年)
イブン・アラビー(1165年~1240年) 朱熹(1130年~1200年)
イブン・タイミーヤ(1258年~1326年) 日蓮(1222年~1282年)
ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ 荻生徂徠
(1703年~1791年) (1666年~1728年)
アフガーニー(1838/39~1897) 伊藤博文(1841~1909)
ムハンマド・アブドゥ(1849~1905) 明治天皇(1852~1912)
ラシード・リダ(1865~1935) 内村鑑三(1861~1930)
サイイド・クトゥブ(1906~1966)
Ⅱ.クルアーン(コーラン)より、いくつかの側面への言及
(1) いわゆる「4人妻」について
第4章「女」3節
「もし汝ら(自分だけでは)孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、だれか気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。だがもし(妻が多くては)公平にできないようならば一人だけにしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているもの(注:女奴隷を指す)だけで我慢しておけ。その方が片手落ちになる心配が少なくてすむ。」
(2) イスラームと飲酒について
① 第2章「牝牛」216節
「酒と賭矢についてみんながお前に質問してくるであろう。答えよ、これら二つは大変な罪悪ではあるが、また人間に利益になる点もある。だが罪の方が得になるところよい大きい、と。」
② 第4章「女」46節
「これ汝ら、信徒の者、酔うている時には、自分で自分の言っていることがはっきりわかるようになるまで祈りに近づいてはならぬ」
③ 第5章「食卓」92節
「これ、汝ら、信徒の者よ、酒と賭矢と偶像神と占矢とはいずれも厭うべきこと、シャイターンの業。心して避けよ。さすれば汝ら運がよくなろう。シャイターンの狙いは酒や賭矢などで汝らの間で敵意と憎悪を煽り立て、アッラーを忘れさせ、礼拝を怠るようにしむけるところにある。汝ら、きっぱりとやめられぬか。」
Ⅲ.イスラーム思想の特徴
(1)徹底した啓示宗教 神(アッラー)と人間との間に介在者はない。キリスト教におけるイエスのような存在はない。「三位一体」に対する厳しい批判。
(2)ムハンマドは偉大な預言者ではあるが、あくまで人間であり、しばしば神に叱責されている。ムハンマドは神の前では特殊な人間ではない。偶々、神によって選択されたため、預言者の責務を果たさせられている存在である。
(3)「クルアーン」には奇跡的事績は基本的に記されていない。もし奇跡があるとすれば
という手法は否定されている。
(4)神の存在を信じるには、自然現象などの意味を自ら「頭を使って」解釈するという方法を示し、それぞれの「理性」の発展に依存している。知識の探求に対して保守ではない。
「宗教には無理強いということが禁もつ」(「コーラン」第2章 牝牛 257節)
(5)ムハンマドは狭義の説教師で生きたのではなく、政治家・立法者・行政官・裁判官・軍司令官の役割を担った。
(6)タウヒード ウンマ シャリーア(クルアーン、ハディス、判例、イジュマーなど)
(7)4大法学派
(8)スーフィズム
補足:啓示と哲学の間
イスラーム思想においてギリシャ哲学(特にアリストテレスとプラトン)との知的格闘は、啓示と理性との関係をどう考えるかを巡る問題であった。
哲学と宗教(啓示)は著しく対立する側面があり、イスラーム思想史は両者の関係が極めて重要であった。
イブン・ルシュド(アヴェロネス)のアリストテレス注解。西欧のイスラーム哲学評価は、「イスラームの哲学的瞑想はアヴェロエスの死によって終わった」というのが一般的であった。これはアヴェロエスがアリストテレスのほとんどの注解を書き、これが西欧のキリスト教神学に与えた影響の側面のみを重視するものであった。しかし、その後もスーフィズムを含め、哲学思想は研究されている。
イブン・ルシュド(1126年 – 1198年)は、スペインのコルドバ生まれの哲学者。
アリストテレス→プラトン→中期/新プラトン主義(ポリピュリオス)→イスラーム(智慧の館)→アヴェロス→レコンキスタ→西洋(ボエティウス)
「中世思想原典集成.11 イスラーム哲学」(平凡社、2000年)に、著書『矛盾の矛盾』の翻訳あり。『医学大全』の著者
Ⅳ.「クルアーン」に見る「近代性」と革命性はどこから来るのか。
①女性に対する相続権の承認。
②基本的な男女平等 理念としてはプラトン『国家』でも基本的に述べられている。
「すると神は彼らにお答えになった、『汝らの中の働き者』がなしとげたことをわしは決して無にすることはない。男も女も分け隔てはしない」(「クルアーン」第3章イムラーン一家193節)
Ⅴ.クルアーンの社会的背景
① 商業倫理とイスラーム. いわゆる『砂漠の宗教』説
② 「利子」問題
③ イジュティハードの門はなぜ閉じられたか。ウラマーのエリートとしての支配階級
知識 ワクフを通じる経済的支配
④「クルアーン」の構造
章のタイトルと内容とは直接関連ないものが多数。タイトルに関する表現が一部出てくる。しかしタイトルのイメージは豊かである。一見、整理された叙述ではない。いくつかの底流が同時進行。
Ⅵ.現在の政治的問題としてのジハード主義の過激化とグローバル化
タクフィール主義
「ジャーヒリーヤ」論
アルカーイダ、「イスラーム国」など
第2部 中東・アラブの現状をどう見るか
現在の中東情勢を理解する上で生じる疑問を列挙する。
(1)いわゆる「アラブの春」とは何だったのか。
(2)いわゆる「イスラーム国(IS)」の性格と登場を可能にした条件とは何か
(3)いわゆる宗派対立(スンナ派対シーア派)を激成している条件とは何か
Ⅰ.「アラブの春」の挑戦(主としてエジプトのケース)
(1)「アラブの春」は欧米製呼称 EBRD参照 アラビア語は「革命」「蜂起」など
(2)従来の統治システム(軍に依拠した専制主義的体制)に対する大衆運動に依拠した
異義申し立て。新たな統治体制の模索を促す。軍は主導権の保持を目指し、ムバーラク大統領を切る(新自由主
義と軍の経済的利権の矛盾)。
(3)教育を受けた「中産層」で「世俗主義」的性格を有する若年層が主体。しかし組織
的経験を欠き、政権を担う条件が著しく不十分。
(4)組織力を有し、専制主義体制と巧妙な共存関係を構築してきたイスラーム主義勢力(ムスリム同胞団)は、唯一の政権担当勢力として浮上。大統領選挙で勝利しモルシ
ー政権発足。
(5)同胞団政権に対して強い危機感を持った軍は、モルシー政権をクーデターで打倒。
クーデター成功の条件(「世俗主義」勢力の危機意識の一定の組織化、モルシー政権
の政権担当能力の欠如、軍・官僚を含む旧体制勢力のサボタージュ、「アラブの春」に危機意識を強めた湾岸王政諸国の支持)
(6)シーシー政権の矛盾
Ⅱ.「アラブの春」とアラブ諸国家の対応
(1)危機意識を強めた湾岸等王政諸国 現体制の再構築
旧体制への巻き返し 一定の「民主化」(モロッコ) 相互の軍事協力の強化
「ミッション国家」を中心とする「宗派主義」の強化 域外国の動員への衝動(パキスタンとイエメンなど)
(2)「一国主義」(国益最重点)の強化
全アラブ的課題の形骸化の一層の進展 現地で進むパレスチナ問題の深刻化(「二国間解決」の実質的
(3)「破綻国家」化あるいは「破綻国家」に向かう一連の国々。
リビア シリア イエメン
難民問題
(4)米国の中東地域「統制力」の限界
(5)非政府(武装)アクターの存在感の高まり
領域統治以前のISIL またはISIS
ヒズボッラー アルカイダなど
(6)「アラブ諸国家体制」あるいは「国民国家体制」の揺らぎ
Ⅲ.パレスチナ問題の現況
(1)「二国案解決」の空洞化を画するイスラエル右派勢力
(2)アラブ政治の中に「周辺化」あるいは「隠蔽化」されるパレスチナ問題
(3)欧米とイスラエル関係に若干の隙間風
(4)現実の厳しさは変わらない。ガザ攻撃
Ⅳ.衝撃の出発点としてのイラン革命(1979年)
(1)欧米型近代化への衝撃
(2)スンナ派イスラーム主義運動に焦燥感あるいは刺激を与える。
(3)イラン革命の論理(ホメイニ師の思想とイデオロギー)
(4)イスラーム思想の幅と多様性
(5)イランにおいて革命期は終わったのか。イラン・イスラーム体制の「強靭性」の要因は何か。
Ⅴ.注目されるサウジアラビアの課題と指導力
(1)『イスラーム国』の挑戦
(2)イランとの対抗
(3)ムスリム同胞団はなぜ、脅威なのか
(4)カタールとの角逐は何か
Ⅵ.国際関係と中東情勢
(1)ソ連・ロシアの中東政策
リビア問題での対米欧(NATO)不信
(2)胎動し始めた中国の中東外交
アフガン問題への調停工作 新疆問題の重み トルコとAIIB加入
中国のシルクロード外交と中東
参考書:イブン・ルシュド「矛盾の矛盾」『イスラーム哲学』 上智大学中世思想研究所編訳・
アンリ・コルバン(黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム哲学史』)岩波書店 1974年
アブドゥッサラーム『究極の宇宙法則』和田純夫訳 岩波1991年:アブドゥッサラーム(عبد السلام, Abdus Salam、1926年1月29日 – 1996年11月21日)は、パキスタンの物理学者で、スティーヴン・ワインバーグやシェルドン・グラショウとともにワインバーグ・サラム理論を完成させ、これにより1979年のノーベル物理学賞を受賞)
アル・マーワルディ-『統治の諸規則』(湯川武訳) 慶應義塾大学出版会 2006年
注)アル・マーワルディー(974-1058)バスラ生まれ。シャフィーフィー派の法学者として活躍。最後はバグダードのカーディーに任命される。
イブン・タイミーヤ『シャリーアによる統治』(湯川武、中田考訳、日本サウジアラビア協会)
池内恵『イスラーム国の衝撃』文春新書 2015年
自己紹介
1942年長野県生まれ。東京大学修士(国際関係論)。アジア経済研究所を経て宇都宮大学、一橋大学、帝京大学教授を歴任。現在(有)ユーラシア・コンサルタント代表取締役。季刊『アラブ』編集委員。関心分野は南アジア・中東・中央アジアの地域研究、比較経済体制論、現代の金融資本の段階規定。
最近の仕事
共編著『新版:南アジアを知る事典』平凡社 2012年
「イスラームと現代資本主義―導入的試論―」『帝京經濟學研究』第46巻第1号(2012年12月)
「地域研究に関する試論―中東情勢を事例としてー」『帝京經濟學研究』第47巻第1号(2013年12月)
「インド経済と統合への政策」廣田功・加賀美充洋『東アジアにおける経済統合と共同体』2014年、日本経済評論社
「中国と湾岸を結ぶ南アジア -パキスタン・アフガニスタンの動向と関連させて-」『現代の中』2015年2月号(http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Me_review/)
「中央アジアの地政学と習近平政権の課題」『東亜』2015年3月号
中国研究所『中国年報』2009年度版以降「(中国と)南アジア・西アジア」担当
第288回現代史研究会
日時:4月11日(土)1:00~5:00
場所:明治大学・研究棟第1会議室(4階)
(JR「御茶ノ水」駅から徒歩4分、リバティタワー裏)
テーマ:「中東・イスラーム世界の構造的変動のなかで『イスラーム国』登場の意味を考える」
講師: 清水 学(前帝京大学教授・国際問題評論家)
参加費・資料代 500円
現代史研究会顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、塩川喜信、田中正司、(廣松渉、栗木安延、岩田弘)
*研究会には、初めての方でも参加自由です
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座
日本で居ながらにしてアメリカの銀行の口座からATMで日本円で引き出す。今や日本においても、たぶんアメリカでも何も特別なことではなくなった。ところがニューヨークに駐在していた八十年代の初頭までのアメリカでは想像でもできないことだった。どちらもパソコンもなければ携帯電話もない、ましてやインターネットやATMなど考えられもしなかった。技術的な条件ではどちらも似たようなものだったのだろうが、当時のアメリカの銀行は日本より不便だった。以下、銀行や金融に関わる仕事をしたこともない一消費者の実体験でしかないので適切を欠くことあるかもしれない。ご容赦を。
おそらく大恐慌の反省からなのだろうが、当時アメリカの銀行は事業活動を州内に限定されていた。ニューヨーク州の銀行はニューヨーク州内にしか支店を開設できない。そのうえ、小切手を現金に替えられるのは自分の口座のある支店に限られていた。事務仕事で毎日家と事務所の往復ならいいのだが、サービスマンとして毎週西はミネソタやネブラスカまでの出張があたり前の生活をしている者には不便この上もない。
赴任して直ぐ事務所の近くの銀行支店に口座を開いた。給料や出張精算は会社からは小切手でもらう。もらった小切手を現金化するには口座をもっている支店に行かなければならない。自分の口座から金を引き出すもの同じ要領で自分の小切手を現金に替える。同じ銀行でも違う支店ではもうちょっと手間がかかる。自分の小切手にその支店に口座を持っている人の裏書をもらわないとその銀行にある自分の口座から現金を引き出せない。
日本では小切手やクレジットカードなど見たこともなかったが、七十年代後半のニューヨークではなくてはならないものだった。出張に小切手帳を持っていっても、めったに役には立たない。出張も含めてフツーに生活するにはクレジットカードが欲しい。口座を開設したて支店で系列のBank Americard (今はVISAになった)を申し込んだ。”Too short of residence”(=居住期間が短すぎる)を理由に断られた。居住三ヶ月と正直に書いたのがまずかった。Bank Americardで断られても、断った理由が金融機関で共有されていなかったので助かった。American Expressに居住一年半と書いてグリーンのカードを手に入れた。
出張先での宿泊やフツーの飲食には使えたが、ちょっとしたところではやはりキャッシュになる。どうしても現金を持ち歩かざるを得ない。月曜に事務所に出て出張の準備をして、火曜から出張に出て金曜の夜に帰ってくる生活をしていた。月曜の昼飯の帰りに銀行の支店によって一週間分の生活費を下ろすことが多かった。ところがバタバタしていたりすると、つい支店に行くのを忘れてしまう。夕方になって気がついた時には支店が閉まっている。ろくに現金を持たずに出張に行くことになる。
American Expressのクレジットカードを貰えるまでの数ヶ月間、持っていたのは会社から支給されたAirline共通のAir ticketを買うだけの専用クレジットカード一枚だった。このカード、Airline以外にはなんの使い道もないものだったが、このカードのお陰で現金補給できた。Airline共通のクレジットカードがIDになった。チェックインするときに小切手を現金に変えてくれないかと頼のべば、チェックインカウンターの人が机の引き出しを見て五十ドルまでなら、二百ドルまでならと現金を渡してくれた。着いたAirportでまたチェックインカウンターに行って、なんともみっともない話だがしょうがなかった。まだ時代ものんびりしていたのだと思う。
慣れないところで慣れない仕事、それでも段々要領を得て余裕といえば聞こえがいいが、仕事の前に遊びを覚えてしまった。金曜日の夜ニューヨークのエアポートに戻ってきて、車を駐車場から出してロングアイランドを東に走って下宿に帰るはずなのだが、つい西に走ってしまう。毎週のように、出張に行かない時には週末以外の日も立ち寄る馴染みの日本のバーができた。
下戸が飲めもしないのにカウンターに座って、ちびちびやりながら店の人と世間話。英語での話は疲れる。今でもそうだがその頃はもっと疲れた。かと言って仕事の関係の日本人とは付き合いたくない。社内ではオフタイムまで上下関係がつきまとって気分転換どころじゃない。日本語でなんでも話せて、しがらみのない人となると日本のバーが一番だった。
バーでちょっと飲んで三十五ドル、そこにバーの売上の現金から二百ドル、三百ドルとつけてクレジットカードの請求額を二百三十五ドル、三百三十五ドルにして週末と翌週の生活費にあてる現金を調達した。
二ヶ月もすればクレジットカード屋から請求書が届く。小切手を切って返信封筒で送り返すだけ。銀行の支店に行く煩わしさから解放された。
マンハッタンの日本のバーが銀行代わりで言ってみればプライベートバンクだった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5287:150410〕
〔study637:150409]
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。