琉球新報<社説> 辺野古移設「唯一」 沖縄利用許されない 普天間即時閉鎖こそ解決策+琉球新報<社説> 「屈辱の日」63年 沖縄を政治的道具にするな+沖縄タイムス社説 [4・28 日米首脳会談]沖縄を引火点にするな+
- 2015年 4月 30日
- 交流の広場
- uchitomi makoto
琉球新報<社説> 辺野古移設「唯一」 沖縄利用許されない 普天間即時閉鎖こそ解決策
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242374-storytopic-11.html
2015年4月29日
日米両政府の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)は、名護市辺野古沿岸部での新基地建設を米軍普天間飛行場の継続使用を回避する「唯一の解決策」と再確認した。
両政府の硬直した思考には落胆せざるを得ない。海兵隊の抑止力が虚構であることは防衛相経験者や専門家が明らかにしている。
「解決策」には多くの選択肢がある。最も有効なのは普天間飛行場の即時閉鎖だ。
日本政府は米国の機嫌取りをやめ、米政府も必要性のない新基地を日本に求めるのはやめるべきである。
危険性除去にならぬ
辺野古移設を「唯一の解決策」とする理由の中に普天間飛行場の「危険性除去」の文言はない。共同文書には「運用上、政治上、財政上および戦略上の懸念に対処し、普天間飛行場の継続的な使用を回避するため」とあるだけだ。
「政治上」に包含されると強弁するかもしれないが明記していないのは、辺野古移設が「危険性除去」につながらないと両政府が認めていることの証しといえよう。
尖閣諸島を念頭にした「島しょ防衛」が成果のように喧伝(けんでん)されているが、米軍の支援は限定的なものでしかない。
日米防衛協力指針では、自衛隊と米軍は「陸、海、空または水陸両用部隊を用いて共同作戦を実施する」とした。だが島しょ防衛の「作戦を主体的に実施する」のは自衛隊であり、米軍は「自衛隊の作戦を支援し、補完するための作戦を実施する」にすぎない。米軍の支援内容は物資補給や情報提供などに限られるとみられる。
米政府は尖閣諸島を「日米安全保障条約5条の適用対象」としている。だが米軍投入は米議会の承認が必要となる。尖閣有事の際でも米政府が議会承認を求めたり、議会が承認したりする可能性は低い。米軍の役割を「支援」にとどめたのはその反映であろう。
米軍が自衛隊と共同で島しょ防衛で戦闘行為を実施することなどあり得ないということだ。
にもかかわらず、米軍が即座に参戦するとの誤解を国民に与える日本政府の印象操作はあまりにも不誠実である。
県が求め、安倍晋三首相が約束した「普天間飛行場の5年以内の運用停止」については口頭で米側に伝えただけで、共同文書には盛り込まなかった。仲井真弘多前知事の埋め立て承認の際に安倍首相が約束したことであり、政府は移設作業を即刻停止するのが筋である。
「戦争する国」へ変容
安倍政権はこれまで築いてきた「平和国家日本」を大きく変容させようとしている。日本は「戦争をしない国」として世界の信頼を得てきた。それが今、「戦争ができる国」にとどまらず「戦争をする国」へと大きくかじを切った。
米国は戦後この方、世界各地で戦争を引き起こし、紛争への介入を切れ目なく続けている。指針はその米軍に対する自衛隊の協力を地球規模に拡大し、平時から有事まで「切れ目のない」連携を打ち出している。自衛隊が米国の戦争に巻き込まれる危険性が飛躍的に高まったのである。
共同文書には集団的自衛権の行使容認など日本の取り組みを、米政府が「歓迎し、支持する」との文言が散見される。
米軍の肩代わりを買って出る国は日本以外にはなかろう。米政府の歓心を得ることが目的になってはいまいか。安倍政権が真に国民の安全を考えているとは到底思えない。
文書には日本政府の卑屈なまでの対米追従姿勢もにじむ。財政難に苦しむ米政府に新基地を提供するのもその表れだろう。米国に恩を売るため沖縄を利用することを許すことはできない。
戦後70年の節目の年に、日本は重要な分岐点に立っていることを国民は強く自覚し、危機意識を持つ必要がある。
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琉球新報<社説> 「屈辱の日」63年 沖縄を政治的道具にするな
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242280-storytopic-11.html
2015年4月27日
あす4月28日は対日講和条約が発効した日。敗戦国の日本本土は主権を回復し、連合国による占領状態から独立を果たした。一方でこの日を境に沖縄、奄美を含む南西諸島が日本から切り離され、米施政権下に置かれ異民族支配が始まった。その後に繰り返された住民に対する弾圧、人権蹂躙(じゅうりん)、基地被害の源流となるこの日を沖縄では「屈辱の日」と呼んできた。
ことしは条約発効63年で、沖縄の施政権が日本に移って43年を迎える。名護市辺野古では現在、沖縄の大多数の反対の声を無視したまま、米軍普天間飛行場移設の新基地建設が進む。多くの県民は今も沖縄の主権は切り離されたままだと思っている。
政府は2013年、この日に「主権回復」を祝う式典を開催した。沖縄から猛反発を受け、その後は開催されていない。式典を挙行すること自体、安倍晋三内閣が沖縄の苦難の歴史を念頭に置いていないことを如実に示した。
米軍は条約発効翌年の1953年4月、土地収用令を発令し、住民が暮らす土地を次々と強制的に接収し、銃剣とブルドーザーで家屋を破壊し住民を追い出して基地建設を進めた。
辺野古移設作業では、翁長雄志知事が岩礁破砕許可の区域外でサンゴ礁の破壊が確認されたとして海底作業の停止指示を出した。しかし沖縄防衛局はすぐに知事の指示に対する不服審査請求と執行停止申立書を提出し、農水省が知事の指示の効力停止を決めた。
このため現場の作業は継続されている。沖縄の民意を踏みにじったまま工事を強行している姿は米統治下の「銃剣とブルドーザー」と何が違うというのか。
翁長知事は安倍首相との会談で辺野古移設について「自ら土地を奪っておきながら、老朽化したから、世界一危険だから、沖縄が負担しろ。嫌なら代替案を出せと言われる。こんな理不尽なことはないと思う」と主張した。沖縄が置かれている不条理な現状を言い当てた正論だ。
安倍首相は日米首脳会談に関して「沖縄の基地負担軽減を進めると確認したい」と述べた。本気で負担軽減をするのなら、辺野古移設を断念するほかない。それをせずして「負担軽減」を叫んでも、沖縄を政治的な取引材料の道具にしたままの虚言にしか聞こえない。これ以上、沖縄が屈辱を味わう状態に置かれるのは我慢できない。
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沖縄タイムス社説 4・28 日米首脳会談]沖縄を引火点にするな
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=113467
2015年4月28日 05:30
1952年4月28日、対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効した。歴史的な日付であるにもかかわらず、日本と沖縄では「4・28」の歴史の記憶を共有することができない。
日本にとって「4・28」は独立を祝う記念すべき日だったかもしれないが、沖縄にとっては新たな苦難の始まりの日であった。基地を維持するために米国が絶対的な統治権を保有し、軍事政策を全てに優先させてきた地域は沖縄以外にない。
戦後70年という節目の年の、4月28日という歴史的な日に、ワシントンで、日米首脳会談が開かれる。
首相が訪米土産を意識し、気負い立って進めてきた「安保法制の整備」や「日米防衛協力の指針(ガイドライン)の再改定」、「名護市辺野古への新基地建設」は、いずれも国民的な合意が得られていない。
国会での十分な議論もないまま対外公約を先行させ、「国際公約だから」との理由で国会に追認を求めるようなことがあってはならない。
首脳会談で辺野古移設を再確認すれば、沖縄の人々は再び「4・28」の日に切り捨てられた、と憤りを込めて思うだろう。
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米軍は45年の本島上陸後、日本軍が建設した飛行場を直ちに確保し、その上、住民の土地を一方的に囲い込んで基地として整備した。
講和発効後の50年代には、銃剣とブルドーザーによる強制接収が各地で相次ぎ、家や畑を失った農民の中には、やむなく南米に移住する人たちもいた。
核兵器重視の大量報復戦略の下で沖縄には50年代半ばから核兵器が配備されるようになり、沖縄はアジア有数の「核基地」となった。
60年代にベトナム戦争が本格化すると米軍は通常兵力を重視した柔軟反応戦略に転換し、北部の訓練場でのゲリラ訓練を活発化させた。
「沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある」という当時の印象的な表現は、米軍自身が言ったことだ。
復帰後も、過重負担の解消は遅々として進んでいない。日米地位協定の研究で知られた故本間浩さんは基地問題をめぐる法構造の問題点を繰り返し指摘してきた。
「沖縄住民の意思の届かない仕組みの下に沖縄の軍事的利用が決定され、その軍事的利用による地域住民への負担だけが、沖縄住民に被せられている」
戦後、70年間もこのような状況に県民を放置し、引き続き将来もこの状態を維持しようとする政府が存在すること自体、世界的に見て異常である。
沖縄の中で自己決定権や政治的な独立を求める動きが急速に広がっているのを軽く見るべきではない。
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2000年7月、糸満市の平和の礎で演説したクリントン米大統領は、沖縄の人々が自ら進んで基地を受け入れたわけではないことを認め、「沖縄における私たちの足跡を減らすために、引き続きできるだけ努力をする」ことを約束した。
足跡を減らす努力を妨げているものは何か。
戦後の米軍配置にからむ日米交渉を追っていくと、二つの点が浮かび上がる。
米軍は過去に何度か沖縄駐留海兵隊の撤退計画を策定しているが、そのたびに駐留継続を求め撤退に反対してきたのは日本政府である。
海兵隊を本土に置くと政治的問題が生じるとの理由で沖縄駐留の継続を強く主張し続けてきたのも日本政府である。
だが、沖縄にいなければ海兵隊の抑止力は発揮できないというのは、根拠の乏しい主張である。森本敏元防衛相も「軍事的には日本国内であればいい」と本音を隠さない。
歴史家のジョージ・H・カーは1956年に発行した『琉球の歴史』の序文でこう指摘している。
「日本の政府はあらゆる方法をもって琉球を利用するが、琉球の人々のために犠牲を払うことを好まないのである」
あれから一体、何が変わったのだろうか。沖縄を引火点にしてはならない。
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