日本左翼は中国の「新常態」をどうとらえているか
- 2015年 5月 7日
- 評論・紹介・意見
- 中国阿部治平
――八ヶ岳山麓から(144)――
日本で社会主義をめざす人々は中国の『新常態(ニューノーマル)』についてどう考えているか。これを気にしていたところ、日本共産党機関紙がとりあげた(「しんぶん赤旗日曜版」「経済―これって何?」欄2015・4・15)。書き手は長崎大学名誉教授井出啓二先生である。
井出氏は、この3月の全国人民代表大会(全人大)の中国経済は「新常態」に入ったとする李克強総理の報告をこう評価している。
「その内容は、21世紀最初の10年のような投資主導の2桁の高速成長は持続できない、質と効率の向上を基軸とする実質7~8%程度の中高速の健全で持続可能な経済をめざすべきだという宣言です」そして全人大は2015年の経済成長率を低めに7%と決定した。日本流には「安定成長」期に入ったのである。
井出氏は「新常態」に入らざるをえなかった原因を、リーマンショック対策の結果、過剰な生産能力、金融危機、地方財政危機、住宅バブル、環境汚染の激化とし、中国経済をバブル状態と見て、中国はバブルの後始末に成長を減速させ、しばらくは苦境が続くという。
私は中国で「衣食足れば即ち栄辱を知る」と感じることが時々あった。端的な現れは北京の地下鉄で老人に席を譲る人が多くなったことである。だがその反面中国労農人民はこんな不公平な正義のない社会をつくるために革命をやったのか、広野を血で染めた悲惨な抗日戦争と国共内戦はなんのためだったかと慨嘆することも多かった。
私の身近では、官僚はあり余る権限を恣意的に行使していた。末端から最上級まで贈収賄はつきもので、「恩恵」を受ける下級法院(裁判所)の裁判官ですら「もう『走後門(裏口)』にはうんざり」と口走った。ある県でたった一人清潔だと評判の県長の家は豪華そのものだった。その治政下の村には学校がなかった。経済の高度成長のさなかというのに、少数民族学生は就職差別を受け、臨時雇いのほか正規の仕事はほとんどなかった。
中国全体についていえば、いまも政府が依然として土地などの重要な資源をコントロールし、基幹産業も相変わらず国有企業により独占されている。リーマン・ショック後に実施された4兆元に上る内需拡大策は、私の住んでいた青海省のような僻地へも高速道路やダム建設などの巨大なインフラ投資をもたらしたが、成長したのは民営企業ではなく主に国有企業だった(「国進民退」)。
その国有企業をめぐる利権を高級官僚が握り、さらに経済関係法規が不完全なためか、官僚が企業経営に過剰に口を突っ込む。たとえば石油独占企業は粗悪なガソリンを売って大気汚染をもたらしているが、この背後には中共最高レベルの幹部でいまは失脚した石油王の周永康がいた。
現在、かなりの企業が多額の債務と過剰設備を抱えるうえに、2010年からの「影の銀行」への引締めによって資金調達が困難になっている。不動産バブルが膨張し住宅は庶民の手には到底届かぬものとなる一方で、不動産市場が調整局面に入り、地方政府は土地取上げによる財政収入が細くなり財源枯渇に直面している。
さらに数年前から農村からの労働力移転が限界に達し、労働力不足が明らかになった(ルイス転換点の到来)。これによって労賃が上昇し、比較的低賃金の西北部に移動している企業もあるが、安価な輸出製品によって「世界の工場」となった優位性は失われた。
大気と水の汚染など環境の破壊が進み、老人問題・医療問題などの社会保障が停滞し、教育体制はところによっては悪化している。つまり公共サービスが決定的に不足したままなのである。このため地域間・階層間格差は驚くほど拡大した。たとえば都市の「重点学校」は王様の宮殿、農村の小学校は牛小屋同然である。国家公務員は軽い負担で比較的高いレベルの治療を受けられるが、農村ではカネ次第、結核になれば死ぬのを待つだけだ。そして淮河流域などの癌多発地帯の放置。
井手氏は、習近平・李克強政権の短期的課題は危機対策であり、中長期的課題は質と効率・産業高度化を基軸とする発展方式への転換と制度改革(転換)だ、この二つに中国社会の未来はかかっているという。
また、2020年までの改革課題は、政治・経済・文化・社会・環境にわたり、先進国に見劣りしない法治・民主主義の実現、公正と「共同富裕」をめざす社会主義市場経済力の全面構築(労働力・土地・資金の生産要素市場の形成が課題)が目標、新段階の成否はその進展に左右されると、李報告を肯定的に引用している。
だが井手氏は李克強報告の紹介に終始して、重要な課題についてご自身の見かたを明確なことばで示さない。したがって疑問だらけである。
私の印象では、ひとくちでいえば「新常態」の経済政策の主な柱は、市場経済の深化と技術革新による生産性の向上であろう。これは社会主義ではなく、資本主義経済の課題そのものである。
井手氏は「社会主義市場経済の全面構築」が中国の目標だとしているが、(初期段階であっても)社会主義市場経済なるものがあるとお考えだろうか。そして「公正と『共同富裕』をめざす社会主義市場経済力の全面構築」の可能性があるとお考えだろうか。
国有企業の独占状態によって市場競争が阻害され、官僚の民間企業への過干渉があり、イデオロギー優先の統制的な教育があるなかで、自由な競争が保証され、中国独自のアイディアと技術が生まれ、それをものしたベンチャー企業が育つのはかなり困難だ。その障碍要因がひとつでもとりのぞかれればすこしは別の話になると思うが。
習近平政権による反汚職反腐敗闘争が習近平の個人権力強化の結果をもたらしている現状、さらにいえば中共中央が香港の「一国二制度」に干渉している状況をごらんなさい。5年なり10年先に中国が多党制、国政における一人一票の普通選挙制度を導入すると考えられるだろうか。その見通しが得られないで、「先進国に見劣りしない法治・民主主義の実現」があると考えるのは滑稽ではなかろうか。
井手氏は中国には「周辺諸国に脅威を与える富国強兵政策、資源・領土問題に見られる強く偏狭な民族主義」があると懸念を表明している。私もその通りだと思うが、さらにその「偏狭な民族主義」が国内の少数民族に対する激しい抑圧政策を伴っていることを指摘したい。
また井手氏は「一帯一路(陸と海のシルクロード)」の開発政策、米国主導の国際経済秩序に対抗するBRICS銀行・AIIB銀行・シルクロード基金設立などの動きがあり、世界の工場から資本輸出国への転換を図っているとみている。
ことのよしあしとは関係なく、これこそまさに中国がレーニンのいう「帝国主義」段階に達したことを示している。
井手氏は、「2020年前後にはアメリカを抜き、世界最大となる。そのとき一人当り国内総生産は1.5万ドル(180万円)前後。近代化・成熟化は道半ば」という留保意見を付けている。
自民党安倍晋三路線が着々と成果を上げつづければ、日本は数年後に非の打ちどころない対米従属型軍国主義国家となるだろう。それと同様に中国が「近代化・成熟化」したときは、アジアの盟主であることもちろん、アメリカを越えた覇権国家になるだろう。李克強総理の報告は世界覇権国家へ進む青写真にほかならないのである。
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