「他者への思いやり」を装った「自分への思いやり」(自己弁護)~上村達男氏の新稿を読んで(1)~
- 2015年 5月 18日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2015年5月16日
今年の2月末までNHK経営委員会・委員長職務代行者を務めた上村達男氏の論文「NHKの再生はどうすれば可能か」(雑誌『世界』2015年6月号に掲載)を読んで、いろいろ考えさせられた。
籾井NHK会長の資質、個人的見解に触れた部分など賛同できる箇所も少なくなかった。しかし、上村論文が一番強調しようとしたNHK再生論は、NHK存立の生命線といえる政治権力からの自主自立を強めるどころか、むしろ、危うくする内容を随所に含み、共感よりも危惧を抱いた。以下、上村論文に関する私の感想をメモ風にまとめておきたい。
長谷川三千子氏の経営委員就任前の言動は経営委員としての任に耐えるものではなかった
上村論文は冒頭で、同期の経営委員(本田勝彦委員、長谷川三千子委員)に対する世間の「誤解」を正そうとする「気配り」を示している。
「大昔に安倍首相の家庭教師をしたことで批判されている本田勝彦委員や経営委員就任前のことでのみ批判されている長谷川三千子委員が経営委員としては公平な立場で発言・行動されていることはお伝えしておきたい。」(p.92)。
しかし、本田氏のことはここで触れないとして、長谷川氏について、委員就任前の言動を取り上げ、それが経営委員としての資格要件に適う者かどうかを議論するのは当然のことである。
「放送法」は法の目的を定めた冒頭の「総則」第1条で「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と明記している。ちなみに、ここでいう「放送に携わる者」には、NHKの役員でもある経営委員も含まれている。
また、「放送法」は、経営委員の任命要件を定めた第31条で、「委員は、公共の福祉に関し公正な判断をすることができ」と明記している。
経営委員を選考するにあたって候補者に挙げられた人物がこうした資格要件を満たすかどうかを判断するには、各候補者の委員就任前の言行を確かめるのは当然のことである。
では経営委員に就任前、長谷川氏の言動はどのようなものだったか?
長谷川氏は『正論』2009年2月号に「難病としての民主主義」と題する小論を寄稿したほか、『月刊日本』2013年6月に掲載された論稿では、「『すべての国民は、個人として尊重される。』日本国憲法第13条冒頭のこの一文が、いかに異様な思想をあらはしてゐるかといふことに気付く人は少ない。」「『個人』などといふ発想に基づくのではない、『人の道』にかなった憲法こそ、われわれが求めてゆくべきものであらう」と述べている。
民主主義を「難病」と貶め、基本権人権の尊重を謳った日本国憲法を「異様な思想」と侮蔑する人物が、放送を健全な民主主義の発達に資するよう規律することを放送に携わる者の職責と定めた「放送法」の目的とまったく相容れない資質の持ち主であることは明らかである。このような異様な時代錯誤的な資質の持ち主が公共放送の監督・議決機関のメンバーとしてふさわしいかどうかを議論することに何の問題もないどころか、大いに必要である。
経営委員就任後の長谷川氏の言動は「公平な立場のもの」とは到底いえない
次に、経営委員就任後、長谷川氏は、上村氏が言うように「公平な立場で発言、行動されている」(p.92)のかというと、公表された経営委員会議事録を読む限り、とてもそうはいえない。むしろ、籾井会長に批判の矛先が向きかけた時、それを遮るような発言をしたことがしばしば見られた。
その一例として、籾井会長が理事の新任とそれに伴う理事の担務の変更を経営委員会(2014年4月22日開催)に諮った時の籾井会長、上村代行、美馬、長谷川委員の間で交わされたやりとりを挙げておく。ここで引用すると長くなるので末尾に【参考資料1】として議事録の関連部分を抜粋しておく。
また、これは上村氏が経営委員を退任した後のことであるが、籾井会長の私的なゴルフ用のハイヤー手配、料金支払いにあたって、公私の区別が問題になった経営委員会(2015年3月19日開催)の場での長谷川氏の発言も同氏の言動の「公平性」を確かめるのに有用である。
「長谷川委員 ・・・・事実確認が非常によくわかったのですが、それを追っていくと明らかにミスは秘書室にある。つまり、秘書室はそうやってプライベートという認識で、このハイヤー手配をしたにも関わらず、その業務手続きを通常の処理にしてしまったということが一番のポイントではないかと思います。」
「長谷川委員 結論を出すのは早すぎるかも知れませんが、今回の問題は、基本的に秘書室の体質、意識の不徹底という問題が中心であると。会長に責任があるとすれば、会長からすれば、秘書室は自分の手足なので、秘書室に対して会長が公私混同を戒める厳しい人であれば、秘書室もそれにならうところですが、会長も徹底した姿勢・厳しさを欠いていたと言える。ただ、基本的な問題は秘書室の体制の甘さにあるという印象が強くあります。」
「本田委員 私も、(監査委員会の報告を)了解することにしたいと思います。秘書室の責任云々に焦点があたっていますが、もう少し、幅広くNHK全体の、コンプライアンスの意識の向上に努める。秘書室の体制といった次元の話ではなく、安全の確保は当然のことですが、コンプライアンスと、セキュリティーは両立しないといけないわけです。秘書室だけがけしからんという受け止め方をされないように、ブリーフィングで報告していただければと思います。」
「浜田委員長 私もそのように思っています。秘書に責任を負わせるというのはよくないと思います。」
「長谷川 秘書の一人一人にミスがあったということではなく、組織としての秘書室の連絡不徹底ということが、結果的に組織のミスにつながった。」
「浜田委員長 いいえ、報告書にはそうありますが、ご発言の中には、秘書室の問題に特化されたご発言もあったような気がしました。」
このようなやりとりを読むと、長谷川氏も、秘書室を統括する立場にある籾井会長の責任にも言及してはいるが、一番の問題は会長ではなく秘書室の怠慢という意見を繰り返し述べている。こうした意見は本田委員とも浜田経営委員長とも異なる長谷川氏の意見の際立った特徴だった。
しかし、早い話、NHKが籾井会長用にハイヤーを手配するとき、籾井氏が一言、「請求は自分に」と指示し、その後、「まだ請求が来ないが、どうなっているのか」と自分から秘書室に尋ねていれば、システムがどうのと大げさな話をしたり、必死に籾井氏をかばいたてしたりする必要もなかったのである。こうした常識的対応すらしなかった籾井氏をことさらかばいだてした長谷川氏の言動を指して、「公平に発言されている」とはとても評価できない。
また、長谷川氏は、NHK経営委員に任命された翌2014年1月6日の『産経新聞』のコラム欄に「『あたり前』を以て人口減を制す」というタイトルの一文を寄稿した。その中で長谷川氏は日本の人口減少問題に触れて、「『性別役割分担』は哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然なもの」、にもかかわらず、「男女共同参画社会基本法」で謳われたように、出産可能期間中の「女性を家庭外の仕事にかりだしてしまうと、出生率が激減するのは当然のこと。日本では昭和47年の「男女雇用機会均等法」以来、政府・行政は一貫してこのような方向へと個人の生き方に干渉してきた、と男女共同参画社会への流れを「性別役割分担」社会に巻き戻すよう促す時代錯誤の見解を公にした。
こうした異様な考えの持ち主が「公共の福祉に関して公正な判断ができる」人物とは思えないし、男女平等、共生という民主主義の理念を広めるためにNHKを監督できる資質を備えた人物とは到底思えない。
「他者への思いやり」を装った「自分への思いやり」(自己弁護)
上村論文は、旧同僚への「思いやり」に加え、「籾井会長のもとで日夜、非生産的な業務に従事せざるをえない理事、職員については心から同情しており、また現場等から聞こえてくる悲痛な声はそれを現在の立場のままに主張することが困難な場合が多いことに鑑み」、それをなしうる一民間人となった今、発言する責務が自分にあると述べている(p.91)。
また、上村氏は「何か問題が生ずる度に、ともに対応を検討してきた浜田経営委員長および経営委員会事務局に対しても私の言動を理由とする負担をかけたくないという気持ちを一貫して有している(いた?)」(p.91)と記し、経営委員会の「同僚」への配慮から自分の言動を抑制したとも述べている。
要するところ、籾井会長のもとで日夜、非生産的な業務に従事せざるをえない理事、職員の心中を察すると、経営委員在任中は自分の意見を思いのまま発言することにためらわざるをえなかった、その制約から解かれた今、自分の考えを語るのが務めと判断したと言いたいようである。
しかし、ちょっと待ってほしい。受信料で成り立つNHKの最大のステークホールダーは視聴者ではないのか? 「同僚」の心中を気遣う前に、視聴者への責任――公共放送のトップとは真逆の人物を会長に選んでしまった事後責任――を果たすのが経営委員の責務ではないのか?
上村氏は、籾井会長のもとで日夜、非生産的な業務に従事せざるをえない理事に同情したという。しかし、上村氏は自身も在任中の2014年4月22日に開催された経営委員会で、2日後に職を退く2人のNHK理事――久保田啓一技師長と上滝賢二経営企画局長――が退任のあいさつの中で次のように「直訴」したことをどう受け止めたのだろうか?
「1月から続く異常事態はいまだに収束しておりません。・・・・職場には少しずつ不安感、不信感あるいはひそひそ話といった負の雰囲気が漂い始めています。現場は公共放送を担うことへの誇りと責任感を何とか維持しようと懸命の努力を続けていますが、限界に近づきつつあります。」「公共放送への視聴者からの信頼を取り戻すためにも、一刻も早い事態の収拾が必要です。経営委員会からは、これまで、執行部が一丸となって事態の収拾に当たるように言われてきました。本日、私からは、経営委員会こそが責任をもって事態の収拾に当たってほしいと申し上げたいと思います。」(久保田技師長・当時)
「誠にせん越でありますが、会長には本部各部局や地域放送局に出向かれ、職員との対話を積み重ねて、職員たちとの心の距離を縮めて頂きたいと思います。職員のモチベーションの維持向上がなくては、公共放送はもちません。2011年3月11日の東日本大震災の際、私どもはそれこそ寝食を忘れて被災者や視聴者の方々のために、放送に全力を尽くしました。そこでの公共放送人としての使命感、一体感が私ども公共放送の一つの原点となっています。・・・・ 経営委員の皆さまにおかれましては、新執行部に対する管理監督の役割と責任を十全に果たして頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。」(上滝理事・当時)
まさに、籾井会長の面前で、会長の任命責任、会長の言動に対する監督責任を果たすよう、経営委員に直言した内容と言ってよい。理事の心中を察するというなら、経営委員の職責を問うた、このような理事の発言を正面から受け止めた言行こそが求められたはずである。上村氏は退任までの間、このような「直訴」にどう応えたと考えているのだろうか? 経営委員長や事務局職員の労苦を気遣って発言を抑制したことで職責を果たせたと考えているのだろうか?
議事録に残る正規の会合で発言してこそ
NHKの現状を憂え、籾井会長の愚かな言動を批判し、それでも聞き入れないなら、1人でも罷免動議を出してもよかったはずだ。退任後に「安全圏に身を置いて」とまで言わないにしても、「自由な身になって」「今だから言う」では、現職時に言うのと比べて、発言の重み、効果が格段に減じるのは否めない。
上村氏は「経営委員会に広報機能がない」と記している(p.91)が、そんなことはない。「放送法」で作成と公表が義務付けられた「経営委員会議事録」は強力な広報機能を果たすものである。
現に、上村氏と在任期間が重なった美馬のゆり委員は毎回の経営委員会で、たとえ1人ででも、誰に対してでも、堂々と持論を述べ、質すべきことを質している(末尾の【参考資料2】をご覧いただきたい)。そうすれば、議事録に残り、公になるのである。
要は正規の経営委員会の場で何を語ったかである。上村氏は自分が在任中、「家庭教師的な立場になって」でも(p.97)籾井氏に何度か直接間接に意見を進言したが聞き入れてくれなかったと記している。その一方で、経営委員会議事録を読む限り、そうした「進言」は見当たらない。プライベートに1対1で「進言」するのがふさわしい場面もあるかも知れない。しかし、美馬委員のように、議事録に残る正規の会合の場で発言するのが、もっとも透明な責任遂行の仕方である。
上村氏の論稿を読み進むと、結局は「他者への思いやり」を装った「自分への思いやり(自己弁護)」に帰着しているというのが私の感想である。
【参考1】2014年4月22日開催、経営委員会でのやりとり
(籾井会長)「 石田専務理事は、過去2年間放送総局長を担当している際に偏向放送など、いろいろなことを経験し、今度は番組の考査業務統括を担当していただき、コンプライアンスも統括していただきます。」
(美馬委員)「いま会長は、「石田専務理事はこれまで偏向放送の中で放送総局長としてやってきた」というように発言なさいました。会長は偏向放送があったとお考えなのですか。」
(籾井)「偏向放送があったと言われている、そういう経験も持っておられるということであり、偏向放送があったと申し上げているわけではありません。
考査は、制作から放送までをつかさどっている人が、一番ポイントがわかるわけです。偏向というのは必ずしも政治的な偏向だけではないです。いろいろな物の見方というのを、もう少し正していこう、放送法にのっとって、公正・公平をきちんと守れるようにするという意味で、非常に重要なポストです。」
(長谷川)今のご発言について意見がございます。我々は、この1月以来、メディアがいろいろな意見を言い、その意見が現実にいろいろ経営に関することに響いてくるということを体験してきました。ですから、偏向放送という意見があったとき、誰がそれを言っているのだという反論は、余り成り立たないのです。偏向放送という印象を持つ人間がいた場合、それにどう対処していくのか、最後は会長のおっしゃるとおり、放送法にのっとって本当にこのとおり公正に事実に基づいて事実をねじ曲げないで放送していますということを言っていくほかないのです。」
(上村代行)それはそうです。私は人事の分担表の説明のときに、偏向放送を経験したということを理由にされたから、それはどうですかという意味です。」
(長谷川委員)「それは、会長がご説明になったとおりでしょう。私はこう理解しました。偏向放送だという批判は非常に厳しくあり、国会でも意見があったわけです。そういう場を経験した人なら、どうすれば一般の視聴者にも偏向放送というレッテルを張られないで、誰の目に見ても公正・公平な番組とわかるような番組がつくれるかがきちんとできる、と理解しましたが、籾井会長、間違っていますか。」
(籾井会長)「間違っていないです。」
(長谷川)「現実に偏向放送問題という出来事はあったわけです。」
【参考資料2】美馬のより経営委員の発言録
(美馬委員)「本日、会長におうかがいしたかったのですが、ご欠席ということでしたので、1点お伝えいただければと思います。4月1日の入局式で新人に対して、放送法をよく読むべきであるけれども、会長を辞めさせるための手続については読まなくてもよい、どうでもよいというようにおっしゃったことの真意をおうかがいしようと思っておりました。というのは、放送法の第52条で経営委員会は会長を任命して、第55条は罷免することができるということが書かれていますけれども、これは経営委員としてとても重要な役割だと認識しています。そのため、私としては、読まなくてもいいという発言は、入局式という新人に対してお話をする場で、経営委員会の役割を軽視しているとも思われる発言というように思えました。新人に対してなぜこのようなときにおっしゃったのかということをおうかがいしたかったのです。もし、これが冗談とするならば、その発言の持つ大きな影響をきちんと意識していただきたいと思いますので、お伝えいただければと思います。」
(2014年4月8日開催、経営委員会議録)
(美馬委員)今回、「クローズアップ現代」の報道に関する調査報告書が出て、処分が明らかになったわけですが、今回、新しい理事の方にその担当であった方がいらっしゃいます。先ほどの理事のご挨拶では、このことについては一切触れられていませんでした。今このような報告を受けた上で、改めてお考えがあればお聞かせください。・・・・・」(2015年4月28日開催 経営委員会議事録)
初出:醍醐聰のブログより許可を得て転載
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〔eye2991:15519〕
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