権力と情報をめぐって
- 2010年 12月 22日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治権力と情報
対話風に
A ウィキリークスのことが話題になっている。新聞を見ているとそれに間連する記事が必ずといっていいほど載っている。記事内容は様々であるわけでけれど。
三上 そうだね。これは憲法の表現の自由や知る権利ということに関係することだけど、西欧に比べれば日本での反応は鈍いというべきだね。僕は以前に個人情報保護法案に関わったときのことを思い浮かべたのだけどね。どちらも高度情報社会での問題だからね。こちらは例の密約問題などに関係しそうだね。日本でもテロ情報の流出とか、尖閣ビデオ問題とかあるんだけれどね。
A 君の関わっていた個人情報保護法案の問題は2000年の初めの方ではなかったのかな。盗聴法も同じころに出てきていた。
三上 個人情報保護法案の成立は平成15年だからその前後に話題になった。僕らが反対したのは個人情報保護の名目によって表現の自由が制限されるという懸念があったからだね。特にフリージャーナリストなどが危機感を抱き、出版社なども反対運動を後押しした。権力の周辺の情報が個人情報の保護という名目でストップされることへの危機感ということだね。権力というか政府側はEUの側から個人情報保護の法的整備のないところでは貿易などに支障をきたすと言われて法案の成立をいそいだ。僕らは守られるべき個人情報ということと、個人情報保護という名目での情報の隠匿や制限ということを区別して考えてはいたけれど法案を提起する側も、反対する側も個人情報保護ということが深く考えられてはいなかったという印象だった。個人情報保護法案の反対運動が表現の自由を守れという政治的な側面が強調されて、個人情報保護ということを深めるものにはならなかった。
A 個人情報保護法案に反対と言う場合に現行の法案が機能することと個人情報保護のためにこの法案が十二分なものかどうかの検討がなされていなかったということか。
三上 当時、反対運動をやっていた側は政府の提出している個人情報保護法案に反対するだけでなく、対案というか独自の個人情報保護法案もつくろうという意識はあったわけだから、このところが意識されなかったわけではない。それが十二分に展開されなかったのは個人情報やその保護ということが社会的に考えられる思想基盤が希薄だったということになるのかな。個人情報保護というのは情報の高度化する社会で出てきた人権と言うべきものだ。この憲法の基本権というかそれに該当するわけだね。基本権が思想として存在していないところで憲法の条文だけが存在している矛盾の意識というか、空しさのようなものがついて回ったということだね。今、東京都議会で議決された「都青少年健全育成条例」なども関係するよね。当時は「人権保護法」とかも提起された。これらは現代社会における問題、「表現の自由」との関係でいうなら、権力の情報隠匿という側面以上に個人の情報保護と表現の自由が深められるべきだった。ジャーナリズムの方では報道における人権侵害ということが意識されていたところはある。
A あのころに議論されたことは忘れ去られているし、肝心のところは深められないままに個人情報保護法案は成立していったということか。
三上 この法案が成立した後に今度は仕事の関係でこれとの関わりができた。個人情報を扱う仕事上での管理の問題としてね。これは企業や団体が個人情報を管理するマニュアルのことだった。個人情報とか情報保護とは何かという問いも、そこへの言及もなくて個人情報保護ということが情報管理の中で論じられたに過ぎなかったからね。こういう法ができると、行政が指導に乗り出し、市民社会の団体がそれをマニュアル化して受け入れていく仕組みの方が興味深かった。法案が社会の中に浸透して行く様相がここには伺えるわけで政治権力と社会権力の関係がよく見えたということだね。新聞は賃貸住宅に入る場合に過去の家賃滞納状況などのデータベースが動き出すと報じていた。これは一例だけど、こういうデータベースはいろいろあるんだね。これこそ、個人情報の問題として検討されなければいけないことだよね。
A 個人情報は守られるべきという考えというか思想はわかる。それが思想として浸透していないところで法律だけが先行する状態をあらわしている。
三上 個人情報は守られるべきというのは基本権の概念にあてはまるというべきだね。表現の自由はこれとどういう関係に立つか考えていいことだ。特に「表現の自由」の標榜者であるジャーナリズムやメディアが人権などを侵害しているという批判というか、不信は強いからね。僕の印象では、基本権とか表現の自由という思想が不在で法案だけが成立する問題に対する危惧という面が強かった。こうした法律を制定すればどのようにそれが権力に都合のいいように使われるという側面と肝心のところが抜け落ちた情報管理だけが広がるということだ。この構図は憲法と思想の関係に類似しているといえる。憲法の基本的な概念になる思想が不在のまま、憲法が法律として制定(成文化せれた法として出来上がること)と似ているのだ。憲法精神が不在で憲法法律だけが成立し、流通するということだね。
A 日本は法治国家であるかという君の問いかけを見たけど、それと似ているというわけだね。
三上 そうだね。日本は法治国家であるかという問いかけにも通ずるところだね。僕は個人の情報が保護されるべきであるというのはそれが基本権としてあるということであり、重要な思想だと考えている。個人情報保護法案が出来るなら今のような欠陥法ではなく、個人情報の保護がきちんと満たされるものでなければならない。これが情報の高度化の中でどのように守られる道は講じられなければならないと思っている。それには前提として個人とか、情報についてとか表現の自由についての思想的な裏打ちがなければならない。それがなければ、個人情報保護という名の情報管理が政治権力と社会権力で張り巡らされるだけだね。そのマニュアルが流通するだけだね。これは場合には権力の道具に使われることもあるね。今、制定されてある個人情報保護法案がそれに値するとは思ってはいない。繰り返すけど、個人情報保護という思想は不在であるし、この法案は欠陥だらけだしね。個人情報の保護といっても、どういう情報が保護されるべきかの肝心のところが抜けているからね。「青少年健全育成条例」にも同じ問題が存在すると思う。
A ウィキリークスは高度情報社会から出てきた産物であることは確かだね。
三上 ウィキリークスは民間のサイトだけど、アメリカの外交文書を入手しそれをサイト上で公開し、他方でメディアがそれを公開している。それは約25万件あると言われているけど、そのうちの約1・3千件が公開されている。アメリカ政府はこれに対抗しようとしているし、それに対応して各国で包囲網が引かれている。アメリカの保守派は猛烈に突き上げ、アメリカ政府は訴追を考えているらしいが足踏みしているとも報じられている。アメリカの外交がよく見えるところもあってなかなかおもしろい。外交文書としては重要な文書はあまりないという評価もあるんだけれどね。メディアの方は国家権力との関係で躊躇がみられるが、インタネットでは情報は流れるわけだから無視もできない、というところだね。
A この標的がまずアメリカに設定されていることがあるね。それに国家機密と情報ということがある。
三上 これには幾つかの側面がある。一つはアメリカの戦争を含めた状況がある。また国家情報の流出ということがある。さらには従来のメディアとネットメディアの関係がある。アメリカは「反テロ戦争」というか。9月11日事件以降は世界権力として振舞っている。アフガニスタンやイラクで戦争を続けているのだからね。その振舞い方はとして権力の超権力化がある。報道管制を強められている。アメリカはベトナム戦争の教訓からアフガニスタンやイラクでの戦争については強い報道管制を引いてきた。これは日本においてもアフガニスタンやイラクでの戦争のことがほとんど報道されない状態だからある程度の推察はつくよね。これはブッシュ政権からオバマ政権になっても変わらない。イラクでの市民の虐殺の暴露などはベトナム戦争なら報道のレベルで暴露されていたわけだね。ソンミ村の虐殺事件が象徴的だったが、それに類するアメリカ軍の行為は結構暴露されていた。それに比べればイラクやアフガ二スタンでの戦争は隠されているわけで、こうしたことが出てくる。アメリカ国家の情報統制強化が背後にあるわけでここはそれをよく見ておかなければならない。
A 9月11日以降のアメリカの情報統制が強くなっていて、これはそれとの闘いというわけか。
三上 この告発サイトはアメリカの外交文書(公電)を公開しているのだけど、その背後でアメリカのメディアが権力に都合の悪い報道はしなくなったという事態がある。日本のメディアも同じといえばいえるのだけどね。アメリカではこれはテロリズムと同じであるという見方が強いのもこうした関連だね。ウィキリークスの編集長だったジュリアン・アサンジュ容疑者の逮捕容疑だっておかしいよな。スウェーデン当局の容疑だって変だしね。強姦容疑だけど、これはコンドームを使用しないでセックスをしたことだと言われているね。逮捕には政治的背景があるのはみえすいている。アメリカが情報の暴露者との共同正犯と言うか、共謀罪で訴追し、身柄を要求することもあり得る。
A これは君のいうように9月11日事件以降のアメリカの世界政策に関わっているわけだね。
三上 アメリカの戦争ということでいいけど、9月11日事件以降のアメリカの戦争はいうなら世界権力としての振舞いということになるのだけれどそれがある。それに対応してアメリカの国家権力は超権力的性格を強めた。こういう流れがあるから、それへの抵抗ということがある。イラク戦争やアフガ二スタン戦争に影響がある。アメリカの世界権力的振舞いへの抵抗ということが根底の流れとしてあるんじゃないか。
A アメリカ政府を筆頭に各国の政府はウィキリークスへの包囲を続けるだろうし、いろんな形の攻防があるのだろうけど、君はウィキリークスを支持する側だろう。
三上 それはそうだよ。まず、アフガニスタンやイラクの戦争に対する批判があるし、報道管制を強めてきたことへの抵抗感もある。それに国家に機密があるのは当然だろうが、それは国家側の事情であって国民にはそれは可能限り開かれるべきだからね。国家の情報は可能な限り自由であるべきだからね。まぁ、そうあるべきといっても仕方がない。国家は機密という名の秘密を持ち、情報の自由を制限する。国家が自ら公開的になることはない。国家情報を公開していくのは国民の側の要求と闘いの中でしかそれは実現しない。これは政治権力との闘争ということでもいいのだね。政治権力は機密というべき部分を持つのは必然でそれに対する抵抗ということはそれまた必然だね。メディアが権力を監視するというのはメディアの自己幻想であり、特に最近のメディアについはそう言ってもよい。そうであればウィキリークスのようなものが出てきたネットメディアを基盤にした活動するのはあたりまえだよ。
A 9月11日の事件以降は特にメディアは変わった。「権力の監視」なんて標榜しているとしてもそれは空語で、権力と一体化しているところも感じられる。メディアの変質なんて論じても致し方ないのだけれど、他方でネットメディアが大きな力を占めるようになってきている。権力の情報の独占や隠匿に対して「権力を監視する」メディアは後退して権力の方に近づきそれにネットメディアが取ってかわりつつあるというところかな。ネットメディアはいろいろだけどね。
三上 高度情報化社会といわれるが、これは確実に存在していて従来のメディアとは違うネットメディアの存在が大きくなっている。そうするとこれはメディアの従来の機能を変える。その象徴的事件としてウィキリークスのことがあるのかもしれない。権力が機密にしている情報が流出してネットを基盤にひろがるということは今後広がるだろうね。僕は中国でのその動きに注目しているところがある。これは別途の検討が必要なのだろうが、中国の政治権力とネットの攻防は注目しておいていいと思う。それからすると日本では反応が鈍いという印象がある。国家権力は監視され、不断に開かれていかなければならないという思想が日本では希薄なのだろうと思う。日本でも既存のメディアへの不信は高まっていることはある。ちょっと違うことだけど、メディア不信とネットメデイアの浸透ということを例の小沢問題では感じられるところがある。
A 日本では権力についての思想が問題であるということか。
三上 日本では国家権力は「お上」であり、国民は我関せずという思想が根強い。国家権力は国家機密を持つし、機密という名において情報を独占し隠匿する傾向も強い。国家は機能として機密を持つにしても、不断に開かれてあるべきだという思想はないのだ。国家権力についての思想が「お上」という言葉に集約される状況がやぶられないと国家の情報についても反応は鈍い。密約問題だってあまり怒りはでない。国家や機能上において機密を有することはある。このことと国家が閉じられ情報を操作していいということにはならない。国家は機能的に機密を持つ。だがこれを理由にして国家の情報独占と操作があることは別のことである。日本の場合にはそこは意識していないといけない。権力に対する抵抗として国家を開いていく運動があり、表現の自由はそこにしかない。権力についての基本的な考え(思想)がないと、情報の独占を許すことになるが、権力の存在様式はお上としての伝統でなく、自分たちが決めて行くもの、つまりは自己決定していくものだという考えがないと、こういう事件が起きても反応は鈍いということになるね。
A 日本でも例の尖閣列島ビデオの流出事件や外事警察のテロ情報流出事件も
存在した。
三上 僕は国家情報は基本的には公開されるべきだと思っている。尖閣ビデオなんて早く公開していれば良かったということだね。その上で国家の政治的統制(シビリアコントロール)はしっかりやれということだね。ちゃんとした考えがないから右往左往するのだね。このウィキリークスでは日本の情報があるはずだからそれがもっと出てくるのか楽しみなのだけどね。国益の名において情報を隠したがるのは国家権力だけど、それ以上に日本の国家権力の閉鎖性をこそ理解しておくべきだ。公開している情報はたいしたものではないという辛口の評もあちらこちらで出てきているね。これはまた様子を見て論評をしたいね。(これは憲法講座のレジメを加筆したものです)。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0259:101222〕
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