安倍首相は民主主義者ではない ―国会提出2法案撤回の運動を―
- 2015年 6月 1日
- 時代をみる
- 宮里政充民主主義
安倍政権は5月14日、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案2本(「平和安全法制整備法案」と「国際平和支援法案」)をわずか10分間の臨時閣僚会議で決定し、翌15日に国会へ提出した。言うまでもなく1本目は自衛隊法や武力攻撃事態法など10法の改正案を束ねたもので、2本目は国際紛争に対処する他国軍の支援のために自衛隊の海外派遣を随時可能にする新たな恒久法である。自民党はできるだけ早く審議に入り、7月末までには成立させたい考えであるが、野党側は時間をかけた徹底審議を求めている。
この政治の流れの中に、私は民主主義の崩壊の兆しを見る。安倍首相はこの2本の法案について米国連邦議会上下両院合同会議における演説(4月29日午前・日本時間30日未明)で「この夏までに成就させます」と明言した。この発言はどう考えても合点がいかない。安倍首相やその側近は「選挙の度に公約してきたことで、何の問題もない」と応じているが、これは民主主義の何たるかをまったく理解していないことを暴露したものだ。
安倍政権は日本国の有権者の支持によって支えられている。これが民主主義の基本である。ところが彼が演説したのは米国議会だった。したがって彼の演説を聞いて拍手した議員たちのうち誰一人として安倍晋三という人物を国会議員としても総理大臣としても選ぶ権利を持っていない。つまり彼にとって選挙公約を守るべき主権者ではないのだ。にもかかわらず彼は米国議会を日本の国会かそれ以上の存在と錯覚してしまった。一国の総理としてこれ以上の屈辱があろうか。彼は演説の中で何度も「民主主義」という言葉を用いているが、その彼の頭の中には日本国の有権者の姿は存在しないのである。そんなものは目の前にいる米国議会の面々に比べればヘノカッパだ。まだ閣議決定をしていなかろうが、国会審議がおこなわれていなかろうが、そんなことはどうでもいい。これが彼の倒錯した「民主主義」である。
それで、仮に夏までに法案が成立できない状況になったときに彼はどういう手段を用いるつもりであろうか。国際的な場で明言したことが実現できないまま引っ込むことはとうてい考えられない。とすれば、最後の手段はなりふり構わぬ強行採決しか残されていないではないか。
われわれ主権者は今後の成り行きを注意深く、厳しく注目していかなければならない。
これからの国会審議の中で、野党勢力はその実力を十分に発揮してほしい。私は国会中継を見ていて野党の追及の甘さや、勉強不足に落胆することが多い。だが政治の劣化を嘆いてばかりもいられない。戦後70年間続いてきた国のあり方を大きく変えようとしているとき、私たちはそれを阻止する働きを懸命に模索しなければなるまい。
さて、国会に提出された2本の法案の内容を憲法学者たちはどう見ているのであろうか。安倍政権は明らかに、これらの法案が可決された後、直接憲法の改正へ突き進む。いきなり憲法9条をではなく、野党からあまり抵抗を受けそうもない条文をきっかけに、本丸の9条へ向かうという寸法だ。徴兵制が待っている。天皇制の見直しも待っている。そこで私が気になるのは憲法学者たちが今後どういう動きを見せるかということである。
2014年7月18日、呼びかけ人28名、賛同人132名で「集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、その撤回を求める憲法研究者の声明」が出されており、この5月15日にも学識経験者らでつくる「国民安保法制懇」が法案の撤回を求める緊急声明を発表したが、安倍政権が動揺している気配はない。
となれば、今後日本のあちらこちらで法案撤回の裁判闘争を計画したらどうであろうか。その闘争には一般の人々にも加わってもらうということになれば、私など喜んで参加したいのだが。(2015.05.16)
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