応援者もいろいろ―はみ出し駐在記(21)
- 2015年 6月 6日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
応援者も一人や二人なら、それも似たもの同士ならいいのだが、四人五人になると、そりが合わないのというのか嗜好が全く違うのがいる。日本にいれば付き合うこともないし、一緒に行動することもないのが、ニューヨークに来たとたん、否が応でも我慢して付き合わざるを得なくなる。最大の原因は出張者一人に一台の車がないことにある。車がないとどこにも行けない。週末、モーテルか会社が用意したアパートに軟禁状態になる。それでも、いらぬトラブルを避けるため、会社としては不慣れな応援者にレンタカーは極力避けていた。
高々三ヶ月の滞在、誰もがいろいろ経験してみたいと思っている。でも面倒を見るのは一人、車も一台。一台の車に数人の応援者を乗せて観光案内から買い物、昼食や夕飯に出かける。ほとんどの応援者がマンハッタンのバーにも行きたいと思っているところに一人だけ真性下戸がいる。夕飯のとき、お猪口一杯の日本酒で真っ赤になって寝てしまったのには驚いた。他の二三名は飲みに行きたい。真性下戸、否が応でも皆と一緒に行動するしかない。全員が満足することはない。必ず誰かが割を食う。あれこれ文句を言われても、一人で一台の車、申し訳ないですと言うくらいしかできなかった。なんで謝らなきゃならないのかと思いながらも、つい申し訳ないですという態度になった。なんとも情けないが外れた駐在員にできることはそれくらいだった。
応援者にとって42ストリートは外せない。映画やテレビに出てくるニューヨークの象徴のようなタイムズスクエア。そこから目と鼻の先というより横には、いかにもニューヨークという感じの如何わしい観光地のようなところがあった。あの手の雑誌やらビデオやらなんでもござれの店が軒をならべている。
店に入ったら、なんだか見覚えのある顔がある。シドニーに駐在しているはずの暴れん坊に良く似ている。他人の空似だろうと思っていたら、相手もどうも見覚えのある顔がと思っているように見える。三人でちらちら見ていたがどうも空似にしては。。。空似だとイヤなので小声で名前を呼んでみた。「なんだ、やっぱりxxxさんじゃないですか、なんでここに?シドニーのはずじゃなかったでしたっけ。」「ちょっと前に帰国した。帰国してバタバタしてたら、ちょっとニューヨークに行ってこいってんで昨日の晩に着いた。」「えぇ、着くなりここですか、さすが、xxxさんだ」金曜の晩について、土曜にはもう42ストリート。十歳近く上の暴れん坊。口の聞き方に注意しないと何が起きるか分からない。冗談じゃない、なんでこんなの送ってくるの?こっちの迷惑も少しは考えてくれって叫びたかった。
このシドニーの駐在上がり、飲兵衛なだけでなく、喧嘩早くて刺青はいっていてもおかしくないヤクザもの。ベテラン駐在員と殴り合いの喧嘩はするは、行く先々で一悶着。シドニーに島流しにされて一人でいたのが、ニューヨークに悪さしにきたようなもので、毎日のように切った張ったの大騒ぎ。月曜日の夕方になると“扇”のマスターから電話がかかってくる。「先週のxxxさんのトラベラーズチェック、酔っ払って、サインがめちゃくちゃで現金化できない。助けてくれ。」しょうがいないからまたその暴れん坊を連れて“扇”に行く。
飲むだけならまだしも、悪いことなら何でもござれのチンピラと何も変わらない。ああだのこうだの煩いから連れて行ったら、翌日「腹巻忘れきた。ニューヨークに腹巻売ってることろないか?」女の子のタンクトップ(アメリカでは肩紐なんかついていない)でもしてればと言ってたら、今度はパンツはき忘れてきた。。。なまじ英語はなんとかなるし、物怖じなんかしないから性質が悪い。毎週のように何か問題を起こす。
地の利はないし言葉も分からない。道路標識、最初の二三文字読んでるうちに通り過ぎてしまう。特に夜はストリート名など知ってるから分かるだけで、走っていては読めない。それでも果敢に自分で運転してというのがいる。日本語ですらはっきりしないのが、運転が好きなのか一人で出張に行った。ケネディ空港のパーキングに車を留めてどこかに飛んで、空港までは帰ってきた。パーキングから車を出してクイーンズから東にちょっと出たところ(Great Neck)にある会社が用意したアパートに戻るのに何時間もかかった。
空港を出て高速に乗ったのはいいが、どっちに走るかもろくに確認せずに走り始めたらしい。あっちこっち走ってガソリンがなくなってきたとき、運よくケネディ空港が見えたので空港に行って、日本航空のカウンターでガソリンスタンドがどこにあるのかを聞いた。なんとか給油してまた走り続けた。空港から会社のアパートまでゆっくり走っても三十分もあれば着く。それを数時間かけて、どこをどう走ったのか。皆が面白がって道の特徴やらを言って、ここは通ったのかと聞いていって驚いた。「橋は渡ったか?」「渡った」「大きな橋だったろう?」「びっくりするほど大きかった」「トンネルは通ったか?」「通った」。。。
大きな橋にトンネル。。。話を聞いているうちに、どこをどう走ったのか想像がついてきた。空港を出てちょっと東に行ってクロス・アイランド・パークウェイに入らなければならないのに、西に走ってベラザーノ=ナロウズ橋(映画『グリース』に出てくる)に乗っちゃった。降りれば、そこはスタテンアイランド。トンネルを通ったということはリンカーントンネルしか考えられないから、スタテンアイランドからニュージャージーに行っちゃった。ニュージャージーからリンカーントンネルでマンハッタンに入って、そこからロングアイランドに戻って、運よくケネディ空港方面の標識を見つけて給油。そこからまたどこをどう走ったのか。。。走った本人は一所懸命だっただろうが、ここまでくるともう笑い話以外のなにものでもない。事故を起こさなかったのが不思議なくらいの、めちゃくちゃな夜間ドライブ。ちょっと抜けたところのあるヤツだったのが幸いしたのか、事故らなければいつかは着くと思ったと、本人は何も気にしてない。
飲兵衛に下戸、エロにしか興味にないヤツ、何に引かれてかブロードウェイのミュージカルのチケットをきちんと手配して、呆れるほどにいろいろなタイプの応援者がいた。その誰も彼もを一手に引き受けてメシと飲みから始まって如何わしいところへのご案内、土産やなんやらから通訳や足のサービスを提供し続けた。
ほぼ誰も彼もが行きたがるのが42ストリート、エンパイア・ステート・ビル、ティファニーに自由の女神、たまにメトロポリタンに今はなき世界貿易センタービル。メトロポリタンには一人でちょくちょく行ったが、それ以外のところは自分一人では行かなかった。応援者の世話焼きとして行っただけで、一人で行ったところで何があるわけでもない。
天下のティファニー、増えた日本からの旅行者が本来の客の邪魔になっては困るのだろう、奥の方の一角に手ごろなお土産品を並べて日本人観光客をまとめて処理していた。そのコーナー以外ではフツーの人に手の出るようなものは置いていない。応援者を連れてゆくだけで、一緒にお土産を見てもしょうがない。何度も行ってれば見飽きる。これといって見る物もなし、応援者のお土産が終わるまで店の中をうろちょろして時間を潰すしかない。
ある日、ぼんやり歩いていたら、よぼよぼのお婆ちゃんが娘だろう中年の女性と、声は小さいが何やら真剣に話しているのが聞こえてきた。聞き耳を立てる訳でもないが気になって見たら、一緒にブレスレットを見ていた。娘のブレスレットかと思ったらご自身のだった。明日の朝になれば神様のお迎えが来てもおかしくないご年齢。しわくちゃの腕にしてニコニコしていたブレスレット、チラッと見えた値段が八千ドルちょっと。八千ドルもあればキャマロあたりの安い車を買って釣りがくる。
笑えないのが世界貿易センタービルの最上階?にあった世界の物産展示フロアで、各国の特産品がそれぞれ透明なプラスチックケースに収まっていた。韓国の朝鮮人参は分かる。でも日本の特産として、なんと使い古しのパチンコ台が展示してあった。国辱などと言う気はないが、何でパチンコ台なの?なにがなんでもそりゃないだろうって。せめてソニーのテレビかニコンの一眼レフくらいなら納得も行くが。
いろいろな人たちが来て、一人では経験する機会もないことまで経験させられた。時に我侭なのに往生しながら、時に後始末に四苦八苦しながら、うんざりすることも多かった。皆に引きずられながらも何でも見てやろうという気持ちが勝っていた。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5392:150606〕
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