「砂川判決」がなぜ集団的自衛権の論拠に?
- 2015年 6月 27日
- 時代をみる
- 池田龍夫
安倍晋三首相は6月26日、安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会で「平和安全法制の考え方は砂川判決の考え方に沿ったもので、判決は自衛権の限定的容認が合憲である根拠たりうる」と述べた。自衛権が「国家固有の権能」だとした1959年の砂川事件の最高裁判決が、集団的自衛権の行使を容認する根拠になると明言したのである。
砂川判決は、旧日米安保条約の合憲性が問われたもので、憲法学者からは「日本の集団的自衛権が問われた判決ではない」との意見が出ている。昨年7月の閣議決定に向けた与党協議では集団的自衛権の根拠とすることに公明党が反発し、憲法解釈変更の直接の根拠に採用しなかったが、安倍首相は前言を翻して「合憲」との判断を示したことは重大である。
1959年の「砂川事件」とは、東京・米軍立川基地(1970年代に日本に返還)の砂川町(現・立川市)などへの拡張に反対する「砂川闘争」の最中に起きた。57年7月に反対派が基地内に立ち入ったとして日米安保条約に基づく刑事特別法違反で、学生ら7人が裁判にかけられた。被告人は安保条約やそれに基づく米軍の駐留が憲法に違反しており、無罪と主張。東京地裁は憲法9条に駐留米軍は違反するとして全員無罪の判決を出した。
法律や行政のあり方が憲法に照らしてどうなのかという「違憲審査権」を地方裁判所も持っている。ただ「違憲」の場合は通常の高等裁判所への控訴を飛び越して最終判断する最高裁へ上告できるので、検察側が上告。1959年12月の最高裁判決で、「憲法は『自衛のための措置』を『他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではなく』、外国軍隊は9条の『戦力』には該当しない」との判決を下した。9条は「わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定しておらず、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使である」との解釈である。地裁判決は破棄差し戻しとなり、再びの地裁判決は有罪(罰金2000円)で上告棄却された63年に確定した。
「自衛権」を明確に認めた最高裁判決
それでは、なぜ集団的自衛権の行使の論拠になるのだろうか。まず最高裁判決「自衛権」を明確に認めている点である。憲法を改正せずに内閣の解釈変更だけでどうにでもなるのであれば、憲法を事実上無力化するに等しいとの立憲主義からの反発が根強いため、「集団的自衛権がある」としたい安倍政権は、違憲審査権の総本山たる最高裁の判決を持ち出しで権威化しようとの意図が明白ではないか。
砂川判決を持ち出してまで政権が進めたいのは集団的自衛権の「限定容認」。その背景に「地球の裏側論」がある。日米同盟に基づいて米軍が地球の裏側で戦っていたら、自衛隊は最小限度に止めた個別的自衛権に果てしなく近い事態を想定していると思われる。
「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明
米軍の旧立川基地の拡張計画に絡む「砂川事件」をめぐり、1953年3月に出された「米軍駐留は憲法違反」との東京地裁判決(伊達判決)に衝撃を受けたマッカーサー駐日米大使(当時、以下同)が、同判決の破棄を狙って藤山愛一郎外相に最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官と密談するなど露骨な介入を行っていたことが、機密指定を解除された米公文書から分かった。公文書は日米関係史専門家の新原昭治氏が、米国立公文書館で発掘したもの。
「米軍駐留違憲判決」を受け、米政府が破棄へ向けた秘密工作を進めていた真相が初めて明らかになった。内政干渉の疑いが色濃く、当時のいびつな日米関係の内実を示している。最高裁はこの後、審理を行い、1審判決を破棄、差し戻す判決を下した。
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