ますます強まる「いやな感じ」だが、抵抗はする
- 2015年 6月 30日
- 評論・紹介・意見
- 安保阿部治平
――八ヶ岳山麓から(149)――
この6月の村議会に「憲法9条を守る会」は、「集団的自衛権行使容認の閣議決定を取り消し、集団的自衛権行使のための戦争立法を行わないことを求める意見書提出を求める請願」をだした。だが15日の本会議で賛成4、反対6で不採択となった。
そのほかグループや個人が陳情した「安全保障関連法案の慎重審議を求める意見書提出」「辺野古新基地建設をいったん停止し、民意を尊重して地元との合意形成を図ることを求める意見書提出」も不採択になった。
反対意見は「外交・防衛は国の責任で村が口出しすべきでない」「国の決めたことには賛成する」などというものであった。安全保障関連法案への賛否は、全国レベルでは、「賛成」30%、「反対」は50%程度、近隣自治体では意見書が採択されているというのに情けない。
2014年訪日時オバマ米大統領は「日本が実効支配する尖閣は日米安保条約第5条の適用範囲である」と言明し、中国の挑発行動を牽制した。同時に安倍首相に対しては「中国を刺激するような言動をするな」とくぎをさしている。
これはアメリカは尖閣諸島での軍事的緊張を望まない、紛争が生まれてもそれに巻込まれたくないという日中両国に対するメッセージだ。東シナ海の無人島のためにどんな理由でアメリカ青年の血を流すことができるか。
集団的自衛権を歓迎するアメリカでさえ日本の対中外交に警戒心をもっているのに、わが村議会の議員の多数は思考停止、「難しいことはおかみにおまかせ」から抜け出せないのである。
ただ、わが村議諸君の思考停止発言をとがめられない側面があると思う。
「安保法制」をめぐる国会論議を見て、私には政府側答弁がよくわからない。テレビや新聞が報道しない資料を見ることができないし、そのうえ村で唯一の議論相手が病気のために、一人でものごとを考えざるを得なくなったためかもしれない。
だが、このごろ国会でのやり取りをみると、私だけではなく安倍首相自身も、防衛相も、外相も、安保関連法案の内容をよくわかっていないのではないかと疑うようになった。のらくらと質問をそらす答弁をするのはそのためではないか。
何しろ考えなければいけないことが多すぎる。昨年自民・公明両党の「安全保障法制整備に関する与党協議会」に政府から示された「現在の憲法解釈・法制度では対処に支障がある」という事例が15、肝心の新法案や改正法案が11、政府がいう「なんとか事態」が6つもある。これが相互にどう関連するか読みきれない。
いっぺんに11もの法案を出して人々に目くらましをくらわせ、思考を混乱させ安全保障関連法案の成立をはかるのが狙いだとすれば、これを立案した防衛・外務官僚には実に知恵者がいると思う。
村の「憲法9条を守る会」で、「尖閣に中国軍が上陸したら日本はどうすればいいか」と質問したことがある。「専守防衛の自衛隊で反撃する」という答えがあった。これに対して、「事前にそうした事態を避ける外交をやるべきだ」という反論があった。尖閣で中国艦船の接近が毎日のように伝えられた時期だから、いずれも尖閣で中国が強硬に出るかもしれないと思っていたようだ。
そしていまも、安倍内閣は尖閣や北朝鮮の核・ミサイルや南シナ海の紛争などを持ちだして、日本をめぐる安全保障環境がさま変わりし、日本にとって厳しいものになったと宣伝している。
ところが最近「人民網日本語版(人民日報ネットサイト)、2015・6・17」は、「中米関係には十分な強靱性がある」と題して、中米関係が基底では安定していることを誇示した。いま習近平国家主席の今年秋の訪米を前に、軍・政高官が渡米し、軍事・経済・文化方面の準備と関係強化を図っているという。
「人民網日本語版」はこの記事の中で「南シナ海では中米間の戦争は起きないと人々は信じるにいたった」といい、以前にも「アメリカは最近中国との協力関係をさらに重視するようになった」と発言している。
これは南シナ海などの局地的衝突を大きな紛争にしないという、アメリカに対する中国の意志表示である。また尖閣でもこれ以上の紛争拡大の意志はない、という日本向けメッセージでもある。
新興大国中国は西太平洋に進出したいし、覇権国家アメリカは退くわけにはゆかない。今日中米のやりとりは、双方西太平洋で覇権争いのさなかにあり、軍事衝突を避けながら、力のバランスをどこに持ってゆくか探りあっているものと見なければならない。これは日本がことさらにフィリピンと共同軍事演習をやって、中国を刺激する必要もない情勢にあることを示している。
ところで、私は「自衛隊発動の3要件」のうち、第一項の「我国に対する急迫不正の侵害があること」が変更されたことを知るまでは、自衛隊が海外での戦争に本格的に参加することがはっきりとはわからなかった。
第一項は「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」と改訂されている。いったい安倍政権のいう他国の戦争が日本の国家社会をひっくり返すような事態というものがあるだろうか。
「新3要件」に従えば、米軍がどこかの国かゲリラ集団のテロと戦えば、自衛隊員は少なくとも後方支援に参加する。敵がわが兵站線を攻撃することは当然だし、それへの反撃もある。「現に戦闘が行われている現場」か否かなど関係なく、派遣された自衛隊員は死の危険にさらされる。
村にも自衛隊に就職した者がいる。私の学生にも防衛省に入ったものがいる。彼らは日本防衛の尊さを教えられ、訓練され、それに誇りをもってきた。他国の戦争で死ぬことなど誰が考えただろうか。わが村会議員諸氏には外交・防衛はお国任せというのではなく、まじめに子供や孫のこととして考えてほしいと思う。
いま自民党は昭和の前半史を肯定的にとらえ、日中戦争や太平洋戦争の残虐行為や朝鮮・台湾支配に目をつぶり(総務大臣の高市早苗は「それは前世代のことで我々には関係ない」などといったことがある)、秘密保護法・武器輸出・集団的自衛権と、どんどん右に進んでいる。さらに党内には東京裁判を見直す動きがある。まさに第二次大戦後の世界秩序であったポツダム体制の否定、「戦後レジーム」の克服だ。
現憲法下の集団的自衛権容認に異議を唱える人の中にも、極右政権が進める路線の先にある国家像が見えないという人がいる。これはなにかの間違いである。自民党の憲法改正草案をごらんなさい。そこにはありありと明治憲法の現代版、軍国日本像がある。これは同盟国アメリカにどのような政権が誕生しようとも、彼らの許容限度を超えるものであろう。
これに対抗する路線は、現行憲法を擁護し、専守防衛の原則を維持し、「村山談話」と「河野談話」によりながら戦争を回避する外交を進める道である。銭勘定をすれば、他国の戦争に自衛隊を派遣するよりも、対米親善を維持しつつ中国・韓国と友好平和の関係を図る方がよほど安上がりだ。
ところで我々民衆の力で「安全保障関連法案」の成立を阻止できるか。国会会期中によほどのできごとがあれば別だが、まず止められないと思う。
野党民主党にも改憲勢力があるなか、わが方は国会では決定的な劣勢だし、国民の中にわが村議会の多数のように「あなた任せ」思考の人々はかなりいる。これを動かすには運動組織が必要だ。1960年の安保反対闘争のときは「国民会議」があったのだが、いま護憲勢力はばらばらで人々を反対運動に結集する組織と司令部がない。
我々が警戒しなければならないのは偏狭なナショナリズムである。国会審議中に安倍政権にとって望ましくない状況が生れれば、彼らは必ず対外緊張を作り出すだろう。中国もまたこれに呼応して反日の「愛国無罪」を煽るだろう。ナショナリズムの対立が激化すればこれはとめどがない。
だが我々の抵抗の仕方によっては、悪法が成立してもそう簡単に集団的自衛権を発揮することはできなくなる。たとえば共産党対策のために1952年に成立した破壊活動防止法だ。激しい反対にもかかわらず国会を通ったが、初めて適用されたのは1961年末の元日本軍将校によるクーデタ未遂の「三無事件」だった。それ以後は「オーム事件」まで適用されなかった。法は成立したものの無力だったのである。
負け戦になろうとも、できるだけの抵抗は試みたい。私も村の辻に立って安保法制反対を訴え署名運動を続けるつもりである。
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