アンアン-ガラにもなく文通―はみ出し駐在記(26)
- 2015年 6月 30日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
何かの都合で行かないときもあったが、週末フラッシング(クイーンズ区のなかの町名?)の日本食料品店に行っては、その足で日本の本屋に立ち寄った。裏に大きな駐車場があるので食料品店が先になった。自炊するわけでもなし、買うのはなければないで済む嗜好品だけ。何を買ったところで大した重さにはならない。食料品店が先だったが気持ちの上では本屋の方が大事だった。
日本にいるときは英語の本や雑誌が貴重品だった。英語だというだけで中身を吟味することもなく読もうとした雑誌すらあった。駐在に出たとたん、当たり前の話しだが、英語の本でも雑誌でもいたるところにある。New York Timesの日曜版など買おうものなら一ヶ月かかっても読みきれない。あまりにありすぎると、ただの景色になる。景色になると、もう読もう、読まなければという気持ちがなくなってしまう。自分でも情けない、自覚が足りないということなのだが、どうにもならなかた。
赴任したての頃の受身(強制的な環境順応)のバタバタが落ち着いてくると、自分の意思で歩を進める余裕がでてくる。ただ英語のレベルが低すぎて、英語では社会がどう動いているのか知りようがない。あれこれ始めようとするが、そこには必ず英語の壁があった。英語では時間がかかりすぎる。社会がどうなっているのか知ろうとすると、どうしても日本語の本や雑誌に頼らざるを得ない。インターネットもない時代、読まなければならない、読んだほうがいい本を知るためにも、まともな雑誌を定期購読するしかない。
日本の本屋は本当に小さな店で、置いてある雑誌はちょっと前のもの。東京だったら古本屋の方が新しい号を置いているかもしれないという店だった。そこで『世界』を取り寄せてもらった。一ドル三百六十円の時代に本屋のレートは一ドル百円。公定レートなら三百六十円の本を一ドルで買えるのが、三ドル六十セントした。希少価値からくるぼったくりだったが、他の方法を知らなかった。
頼んでおいた『世界』や本をピックアップするだけなのだが、買うまでもない雑誌にささっと目を通してを許してもらっていた。『新潮』や『文春』より、『アンアン』や『ノンノ』の写真を見るのが好きだった。大柄で主張の強そうなアメリカ女性より小柄で可愛い感じのある日本女性の写真の方が安らぐ。あるとき『アンアン』のページをぺらぺらめくっていたら文通欄があった。
バイク転がしてシンナーやって、どうしようもない知り合い連中(同級生の中学校時代の仲間)の誰かが言ってたことを思い出した。知り合いの誰か-多分誰かの彼女が雑誌に文通求むと出したら、バケツ一杯の手紙が来て処理に困って捨てちゃった。
日本でも彼女などいたことないし、その類の縁からは程遠いのがニューヨークで、英語もろくにできず、金があるわけでもなし、気の利いた知り合いがいるわけでもない。出会いの機会もない。たとえあったとしても、それを切り盛る能力もない。映画の世界でもなし、何もないのに何かが起こるわけもない。
そんなところに、これはと思った。試したところで何も起きないかもしれないし、たとえ起きたところで、ほいほいとどうなる遠距離交際でもなし、ちょっとやってみようと『アンアン』を買った。確かめようもなかったが、確か横浜在住の大学生。写真も何もない。名前と住所だけしか分からない。苗字は忘れたが名前は千尋。無教養丸出しで“千尋”が読めない。なんと読むのか教えてと書いたのを覚えている。
面倒くさがって年賀状すら出さないのが手紙など書けっこない。機械現場での作業のおかげで筆記が荒れて、自分で書いた字を自分で読めないで困っていた。字が荒れると筆不精になる。書き慣れないから、書いた字の格好が取れなくなって筆不精が進む。典型的な悪循環に陥っていた。文通求むに手紙を出したいのだが、手紙を書くのか?どうしたものか?『アンアン』、せっかく買ったのに捨てるには惜しい。しばらく机の脇に置いたままにしていた。
出張先のエアポートでいつものようにフライト待ち。何もすることがない。エアポートにある店はどこも似たようなもので入ったところで出てくるだけ、何もない。何もないと思って入って、これだと思った。絵葉書だ。絵葉書ならああだのこうだの書こうにもスペースがない。自分の名前と住所、仕事でこの絵葉書のところに行きましたって。。。書けば終わりだ。
既に数週間以上前の『アンアン』。もう気の利いたのをいくつか残して、バケツ一杯の手紙も処分し終わっているだろうし、いまさらフツーの手紙が届いても、そのままゴミ箱行きだろう。そこにアメリカの聞いたこともない町の絵葉書が届いたらどうするか。受け取ったところで嘘か本当が確認しようがないが、絵葉書には一部上場の歴史ある会社のニューヨーク駐在員と書いてある。これをそのまま捨てるか?まだまだ海外が遠い時代、もしかしたらと期待して待っていた。
出張から帰ってきて返信を見つけたときは本当に嬉しかった。何が書いてあったか具体的には何も覚えてないが、几帳面な女性文字で自己紹介から始まってあれこれ書いてあった。二十代半ばにして、生まれて初めてもらった女性からの手紙。内容なんてどうでもよかった。ときめきというのか、うきうきというのか、ただただ嬉しくて何度も読み返した。何にも増して女性文字が新鮮だった。
出張に行く度に絵葉書を買ってきて、どんなころだったという程度のことを書いてせっせと送った。月に三四通送って、二三通の手紙。何もない生活のなかに一つの小さな花が咲いたようだった。いい歳して文通。その当時でも時代遅れの、すたれた歌声喫茶のような楽しみだったが、駐在を終えて帰任するまで絵葉書と手紙の文通が続いた。ニューヨークくんだりまできて日本と文通。何をしているんだという気持ちもあったが、ささやかな楽しみだった。
ニューヨークに駐在していたからお互いに価値?のあった文通。(価値?もっといい言葉がありそうなのだが、いい言葉が見つからない。) 帰任してしまえばその些細な価値もなくなる。帰任して会おうと思えば会える距離になったのに会おうとはしなかった。バケツ一杯の価値しかなくなった自分をさらして会うのが怖かった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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