本年最大のニュースはウィキリークス -世界の体制派対反体制派の闘い続く-
- 2010年 12月 28日
- 評論・紹介・意見
- ウィキリークス伊藤力司
2010年も間もなく暮れる。国際ニュースの面でもいろいろな出来事があった。近くは北朝鮮による韓国領の延坪島への砲撃事件(11月23日)や韓国哨戒艇「天安」沈没事件(3月26日)に象徴される朝鮮半島の緊張激化、中間選挙でオバマ民主党の大敗(11月2日)など米国の右傾化、尖閣諸島海域での中国漁船と海保巡視艇との衝突事件(9月7日)と中国の強面(こわおもて)外交等々。
異常気象による自然災害のニュースも多かった。パキスタンのインダス川下流中・南部での大洪水(7月末~8月。死者1600人超、被災者1700万人超)、中国甘粛省での土石流災害(8月8日。死者702人、行方不明1942人)、インドネシアでは西スマトラ州での地震・津波(10月。死者449人)とジャワ島ムラピ山噴火(10~11月。死者304人)など。
明るいニュースといったら、チリの銅鉱山の落盤事故で地下700メートルに閉じ込められた33人が69日ぶりに全員救出された(10月13日)くらいで、世界中から熱い注視を集めた。本来なら明るいニュースのはずの中国の劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞だが、犯罪者にノーベル賞を与えること自体が内政干渉だと反発して、中国がノルウェーに報復するなど物議を醸した。世界第2の経済大国(2010年のGDPの数字はまだ発表されていないが、中国のGDPが日本を抜いたことは間違いない)になった中国が、強面外交で世界から警戒視され始めた年だった。
さて筆者は今年の世界情勢を回顧してみて、国際的内部告発サイト「ウィキリークス」を巡る出来事が最大のニュースだったという仮説を立てた。ウィキリークスは、依然として唯一の超大国であるアメリカの秘密情報(イラク戦争、アフガン戦争、外交公文)を続々と暴露、クリントン米国務長官をして「外交上の9・11テロ事件」と怒らせたほどの衝撃を与えた。ウィキリークスの創設者で編集長のジュリアン・アサンジ氏(39)には「性犯罪容疑者」の汚名が着せられているが、沖縄密約をスクープした西山元毎日記者が破廉恥罪でやられたのと同様な権力側の策謀のように思える。
いずれにしても「国家権力に対するアナーキズムのラディカルな実戦」(風刺漫画家橋本勝氏の表現)への国際的エスタブリッシュメント(体制権力)側の反撃の火蓋は切られており、この闘いは今後相当続くと思われ、その決着がいつどう着くかは今のところ全く見当がつかない。闘いの行方とウィキリークスが今後暴露するであろう情報は、来年以降の国際情勢に影響を与え続けるだろう。
ウィキリークスは2006年、オーストラリアの新聞に「ネット時代の革命家チェ・ゲバラ」と呼ばれたことのあるアサンジ氏が、中国の反体制派らITに強い数人と語らって創設した。政府や企業の関係者に内部告発を呼びかけ、提供された情報をネットで公開することで、「より公正な社会」の実現を目指すことが目標だ。特定組織からの資金援助に頼らず、小口の寄付を中心にした資金集めで独立性を守り、年間約2300万円という低予算で活動できるのは世界中に散らばる約800人のボランティアがネットを通じて支援する体制を整えているからだという。
さてこのオーストラリア生まれのジュリアン・アサンジ氏。数奇な運命を担っている人物のようだ。旅回りの一座の座長を父、座員を母として生まれたが、8歳で両親が離婚。母親はその後音楽家と結婚して男児をもうけたが、再び離婚。この男児の親権を巡る争いのため、母子は半ば逃亡生活を送り、ジュリアンが14歳になるまでに母子は37回転居を繰り返したという。
転居続きで学校には行かず母親から教育を受けたり、通信教育を利用したりして、大学にも進学した。少年時代からパソコンの世界にはまり込み、16歳でハッカーになり仲間とともに「国際破壊分子」という組織をつくった。18歳の時16歳のガールフレンドと結婚し、男児をもうけたが、妻はこの子を連れて他の男と駆け落ち。ここでも親権を巡る激しい争いとなった。数年の裁判を経て和解した時には、黒かったジュリアンの髪が真っ白になったと、友人が語っている(以上は米誌ニューヨーカーによる)。
さてアサンジ氏はその後ヨーロッパに渡り、スイス、スウェーデン、英国などで過ごしてIT仲間と交流する中でウィキリークスの構想を温めたという。4年前に立ち上げたウィキリークスだが、今年4月、米軍のヘリコプターが2007年にバグダッドで、ロイター通信のカメラマンなど民間人を誤射する衝撃的な映像を公開するまで、一般にはほとんど無名の存在だった。さらに今年7月にはアフガン戦争に関する機密文書約7万6000点を暴露した。それまで距離を置いていた大手メディアに、解禁日を指定して文書を事前に提供し、米ニューヨーク・タイムズ紙、英ガーディアン紙などの有力紙が大きく報道したことで、ウィキリークスの知名度が一挙に上がった。
機密文書の漏洩元はヘリコプター誤射映像流出後に、イラク戦争の現場で情報分析活動をしていたブラドレー・マニング技術兵(22)であることが判明、マニングは憲兵に逮捕されて収監中だ。米ワイヤード誌によると、マニングは彼が常時見ている米軍の情報ネットワークであるSIPRNetから大量の秘密情報をコピーして、ウィキリークスに渡したことを自白したという。SIPRNetは9・11事件後、役所の縦割り組織がテロ情報などを各省庁ごとで封じ込められていたことを反省して、役所の下級官僚や軍の兵士に関連情報を見させるために構築したネットワ―クで、何と300万人もの人が見られる環境にあるという。尖閣沖衝突事件のビデオ映像が海上保安官から漏出したケースもそうだが、政府当局が「機密の漏洩」と騒ぎ立てる割には“機密”情報に触れられる人数が非常に多く、情報管理システムが大甘のようだ。
一躍有名人になったアサンジ氏は周知のように、スウェーデン当局から性犯罪容疑で逮捕状が出され、国際刑事警察網を通じた手配により英国で12月7日に拘束されたが、9日後に保釈された。保釈金24万ポンド(約3160万円)は、世界中の支持者からの寄金で賄われた。この容疑は、今年8月スウェーデンの2人の女性がアサンジ氏に「違法な強要、性的いたずら、レイプをされた」と訴えたことが発端。スウェーデン警察は8月末にいったん逮捕状を出したが、その後なぜか取り消された。11月末にウィキリークスが米外交公文を暴露するに及んで逮捕状は復活し、英国滞在中のアサンジ氏が弁護士と相談の上英国の裁判所に出頭、拘束されたという経緯だ。
アサンジ氏の支持者によると、彼は性行為そのものは認めているが2人の女性とは合意の上だったとして無実を主張。さらに弁護士によると、コンドームを着けない性行為がスウェーデンの法律解釈では、レイプと見なされる場合があるとして「濡れ衣」であることを主張して法廷闘争に臨むという。スウェーデンは容疑者の引き渡しを求めているが、アサンジ氏側はまず英国の裁判所に引き渡しを拒否する訴訟を起こす予定。この訴訟が決着するまでに相当の時間がかかりそうだという。
こうした経緯からすると、仮にアサンジ氏がスウェーデンの裁判所で裁かれ、有罪判決が出ると仮定してもそれは相当先のことだ。問題は彼が有罪であるかどうかより、破廉恥罪の容疑者として汚名を着せることが権力側にとって重要な手段だ。この間に米国とスウェーデンの司法当局の間でどんな密談があったか分からない。もし密談内容をウィキリークスがすっぱ抜けば、これほど面白いことはない。がともあれ、アサンジ氏を支持する人々は米・スウェーデン間に陰謀があったに違いないと見ている。
アサンジ氏を支持する人々は世界中に非常にたくさん散らばっているようだ。有名人では1971年に、米国のベトナム戦争介入のきっかけとなった「トンキン湾事件」が米側の捏造した謀略だったことを記したペンタゴン・ペーパーズをニューヨーク・タイムズにリークしたダニエル・エルズバーグ博士。反権力のドキュメンタリー映画づくりのマイケル・ムーア監督も、アサンジ氏の保釈金に2万ドルを提供すると表明。ウィキリークスは「秘密の中に紛れ、私たちの税金を使って実行された犯罪を暴く仕事」と称賛した。
また英国の富豪、ボーン・スミス氏はアサンジ氏が保釈期間中に住む場所として英国東部のバンギーにある豪邸を提供している。その他無名のハッカーたちも無数にいるらしく、スウェーデン司法機関やウィキリークスへのドメイン提供契約を破棄したネット企業アマゾンなど、権力側の機関が続々とサイバー攻撃を加えられている。ただしウィキリークス側は、これらのサイバー攻撃は「われわれと無関係」と発表している。またスペインでは12月11日マドリードの英国大使館前で「アサンジ氏を釈放せよ」と要求する集会が開かれ、各地でウィキリークス支援のデモが行われたと報じられた。
エルズバーグ博士がペンタゴン・ペーパーズをリークした時は、大量の文書をコピーして記者に渡す作業が大変手間取ったという。しかしインターネットがこれだけ普及した現代では、クリック1回で大量のファイルを送信できる。リークするのは簡単である。一方リークされた方はなかなか対抗手段がない。米国務省からは「アサンジの米国への引き渡しを実現してスパイ法で断罪すべきだ」という声が出ている。しかしエルズバーグ博士を完全無罪にした米国憲法修正第1条の「言論報道の自由」は厳然と生きている。アサンジ氏を米国の法律で有罪にして刑務所に送り込む道は狭いようだ。それだけに、このエスタブリッシュメント対アナーキズムの闘いが今後どう展開するか、世界中の注目の的である。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。