サインの目的―はみ出し駐在記(32)
- 2015年 7月 20日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
口座を開いて半年ちょっと経った頃、銀行から事務所に電話があった。登録したサインと最近のサインが違いすぎるので、サインの再登録に来て欲しいとのことだった。
赴任するまでサインなどしたことがなかった。慣れていないから、口座を開いたときは、アルファベットの一文字一文字をきちんと書いたサインだった。それがサインし慣れてくるに従って、省エネ筆記とでもいうのか、角がとれて多少なりともサインらしくなってきた。サインらしくなってきたのはいいが、登録したサインと省エネ筆記になってしまったサイン、どこにも似たようなところがない。登録したサインはフルネームできちんと書かれている。省エネ筆記のサインは名前の部分がぐちゃぐちゃと書いてあるだけで、姓など書いてあるのかどうかの判別も付かないものになっていた。
サインをしたことのなかった人が、し慣れてくるとよくおきる。当初のサインが変わってしまわないように、注意し続ければいいのだが、それができないというか面倒になる。たまにしかしないならいいが、サインを頻繁にするようになると、いつのまにやら省エネ筆記になってしまう。
サインは元々アルファベットの筆記体で基本は一筆書き。そこから、こなれたサインは曲線でぐにゃぐにゃか、円を描くようにくるくるやるか、ギザギザ山の繰り返しか、それらを適当に組み合わせた線になる。
輸出子会社にいたとき、駐在員や海外の代理店からのクレーム報告を持って、工場の担当部署にたらい回しにされて走り回っていた。整合性のない断片的な症状の羅列で何が問題なのか、何を要求しているのかはっきりしない報告書も多かった。そのような報告書に限って、報告書の一番下にサインはあるが氏名が書かれていないことがある。要を得ないクレームに担当者から「誰からのクレーム報告だ?」と聞かれた。あまりに稚拙な報告に、書いた(持って歩いている)人の能力や常識が問題視される。誰からと聞かれても答えられない。ぐにゃぐにゃした崩れた筆記体のようなサインからは氏名など想像のしようもなかった。
海外に提出する書類に書かれた工場の担当者のサインは、英語版楷書体とでもいうような一文字一文字きちんと書いたものが多かった。いつも書いている漢字の氏名より崩れが少ない。それを見た海外の人たちから、これがサインなのかと聞かれたことがあった。ペン習字のような一文字一文字書いたものでは、真似するもしないも誰にでもかける。日本を一歩でたら-日常的にサインを使う人たちの常識では、それはサインではない。
日本ではサインと署名が同じものなのか違うものなのかはっきりしない。駐在を終えて帰国して、日本でもクレジットカードを使うようになった。出張先のホテルでチェックインするときに氏名や住所を書かされる。その氏名を書くところに、「ご署名(サイン)をお願いします」と言われる。それは氏名であって、サインではないだろうと思いながら、氏名を楷書体で丁寧に読みやすい字で書く。その書いた氏名はクレジットカードの裏にあるサインとは違う。本人確認をするためのサインが必要ならサインするが、それは読めるものではない。氏名欄に書いた楷書体の氏名とサインを付き合わせることはできない。
氏名なら丁寧にきちんと書けば事足りるがサインとなると話が違う。サインは読めることを前提としていない。言ってみれば“本人の印”でユニークさが求められる。ユニークさ、日本ではちょっと違う意味に使われている。ユニークさは、本来他と一線を画して違うというだけでなく、他よりいいというプラスの意味がある。
見るからにだらしないサインでは、印象を悪くしかねないという俗な心配がある。特別気取るわけではないが、どうせするのなら体裁のいいサインにしたい。そんなもの気にしてどうするという自分もいるが、俗な世界に生きているものの情けなさ、どうしても気になる。
多少なりとも、一端の見栄えのいいサインをと思って練習したが、上手くゆかない。自分で見ても恥ずかしい、だらしのないサインしかできない。二度と同じようには書けない。ぐちゃぐちゃの線でしかない。これでクレジットカードの裏にあるサインと今したばかりのサインを比べて本人確認ができるのか、自分で書いていて不思議でならない。
アメリカだけでなく、出張先のヨーロッパでもアジアでも、ホテルやレストランでクレジットカードの裏のサインと今したばかりのサインが同一人物のサインに見えるかと聞いたことがある。書いた本人は、そうは見えっこないと思っているのに、アメリカ人も含めてサインを日常的に使っている人たちには、二つのぐちゃぐちゃのサインが同一人物のものに見えるらしい。もっとも、見えると言ったのは客に対する世辞で、本当かどうかは分からない。
個人的な経験でしかないが、ホテルやちょっとした買い物では、怪しいとでも思わない限り、サインの突合せによる本人確認をしているようには見えない。ちょっと飲みすぎたとき、ぐちゃぐちゃなサインならできるが、丁寧な楷書体のようなサインは面倒だし難しい。サインは酔っ払っても書ける省エネ筆記のぐちゃぐちゃの方がいい。そう思えば、サインするときに、きちんと書かねばという要らぬ緊張からも開放される。
サインをいつも氏名欄に書いている漢字にしたらどうなるか?知り合いがパッケージツアーで海外旅行に行くときに初めてパスポートをとった。旅行代理店が要らぬアドバイスをした。「アルファベットのサインは真似られやすいから漢字のサインの方がいい。」確かにペン習字のようなアルファベットのサインは誰でも書けるが、漢字のサインなら漢字を日常的に使っている中国系でもなければ、真似るのも難しいというより多分書けないだろう。
言われた通りパスポートのサインを氏名欄に書くように漢字で書いた。アメリカでパスポートと同じように漢字でサインしたら、「これなんだ?サインじゃない」と言われて、アルファベットでサインした。漢字でのサインは、見たことのない人たちには、模様(PatternかFigure)にしか見えないのかもしれない。
パストートの漢字のサインと、したばかりのアルファベットのサイン、付き合わせての本人確認などしようがない。極端に言えば、日常生活におけるサインの目的は本人確認ではない。サインをもらう人の常識でサインした人の印と見えるものがあればいいとうことに過ぎない。見えるかどうかはサインをもらう人の判断。当たり前の話だが、サインした人が自分で自分の本人確認はあり得ない。パスポートのサインと今したサイン、どっちも漢字で何が問題なのだと言っても始まらない。判断するのは相手。相手に合わせるしかないにしても、いったいサインとは何なんだろう。読めもしないし、本人確認もできない。ただの本人の印?
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5503 :150720〕
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