平成安保新体制を見て、高尾の山陵に詣でる
- 2015年 7月 20日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
平成27年(2015年)安保新体制は、明治維新以来の我国軍事態勢の「革命」的大転換ではないか、と思う。
旧日本軍は、外征防衛の軍であった。時運のおもむく所、やがて外征侵略の軍に変質してしまった。しかしながら、それでも日本防衛軍の本性は失われていなかった。特攻を見よ。特攻は作戦の外道であるとは言え、中国侵略のために、東南アジア侵略のために実行されたのではなかった。日本の若人は、攻めるためにではなく、守るために、恋人を、妻を、両親を、故郷を、国民、国土、天皇を守るために、特攻出撃を覚悟し、米軍艦隊に突込んだのではなかったか。
大東亜戦争に敗北して、ショックと解放感の中で、民主日本は、無軍備を夢想した。東西冷戦が来たりて、米国の要請によって自衛隊が成立した。その不幸な誕生の事情からして、米軍の一翼である性格を刻印されていた。それでも、岸内閣の安保改訂政治力と私達勤労民衆の安保反対運動力の合成力が自衛隊の中に自衛国軍たる民族的本性を、国民・国土を守る大志を持続させていた、と考える。
しかるに、平成27年の安保新体制は、自発的に、喜々として、日本の軍事力をアメリカ的世界軍に、悪くすると、アメリカの準州軍に、一言で評すれば、アメリカ幕府軍に変質させんとする。安倍首相は、祖父岸首相を裏切った。ここに明治維新は長州人によって終止符を打たれた。
私は思った。明治天皇も大正天皇も昭和天皇も、日本常民と共に、かかる安保新体制に心を痛められてあられる、と。7月19日、野分けの去りし翌日、炎天下、高尾の多摩陵、多摩東陵、武蔵陵、武蔵東陵を詣でた。祈った。そして詠んだ。
夏緑さきのみかどのねむり給ふ御園の垣の小道歩めり
日傘さしをみなご二人先を行くみさざきの道神さびてあり
みさざきゆ野分きの風に神生みのさぎりのいぶき聞こゆるらしも
おほくに(超大国)に依るべのしるしみいくさのむね(宗)けがしけむあべのおほおみ
あべのおみ外津力にみさをたてやまとみいくさ奉りけむ
つぶらなるみさざき仰ぎ誓ひけりやまと心はとつ国犯さじと
よろづ千代てひとたくみ(労働人民)は日の本のおほみたからにありにこそあれ
平成27年7月20日 岩 田 昌 征 又の名 大 和 左 彦
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〔opinion5508 :150720〕
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