部屋に帰ったら人がいた―はみ出し駐在記(33)
- 2015年 7月 24日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
ボストンで珍しく早めの時間に仕事が終わった。早めといってもニューヨークに戻れる時間ではない。予定通りモーテルで一泊して、翌朝の便でニューヨークに戻ればいい。駐車場から昨晩泊まった部屋に行って、ドアを開けてびっくりした。中年のオヤジさんが半分裸のラフな格好で、ベッドの背によりかかってテレビを見ていた。泊まっている(はずの)部屋に、まさか人がいるとは思わない。オヤジさんも、ノックもなしで、いきなりドアを開けられるなどとは思ってもいない。二人とも驚いて、目を合わせたまま言葉が出なかった。チャイニーズマフィアの強盗?とでも思ったのか、こっちをしっかり見ながら、はだけたシャツの前をそっと合わせた。急な動きを避けているのか、できなかったのか。慌ててドアを閉めて、ドアについている部屋の番号とキーの番号を確認した。合っている。昨晩泊まった部屋に間違いない。
ドアを開けて、オヤジさんに出て行けと交渉をしても始まらない。出て行ってもらったところで部屋を掃除して、。。。部屋の準備ができるまでには、かなりの時間がかかる。それより着替えや洗面道具などはどこに行ったのか?フロントに戻って状況を説明して、何が起きたのか訊いた。
いくら訊いたところで、誰も何の説明もできない。これはモーテルに限らずエアラインでもレンタカーでもどこでも同じで、担当者レベルでは何故起きたのか分からない。分かったところで何の解決にもならない。起きてしまったことはしょうがない。できること、しなければならないのは起きてしまったことを相殺する手を即打つだけになる。
おそらくフロントの誰かが部屋番号を間違えて、チェックアウトしたとコンピュータシステムに入力してしまったところから始まっている。部屋の掃除には最低賃金の移民労働者がパートタイマーとして雇われている。移民労働者、西海海外ならメキシコ系、東海岸なら中米かカリブ海のどこかからが多い。いい人たちなのだろうが、スペイン語が母国語で英語が通じない。定型化された単純労働-チェックアウトしたから部屋を掃除しろしか要求されていない。彼らのミスではない。
チェックアウトしているのだから、残っている荷物はフツーにゴミ(か忘れ物)として扱われる。何も間違っていない。宿泊客が勝手に置いていってしまった物、わざわざ宿泊客に連絡して、置いていってしまったものをどうしましょうかというサービスはしない。誰かが使える(使いたい)ものを使って、使えないものは早々にゴミとして処理する。それが最もコストも手間もかからない。今の利益を追求する経済合理性からみれば、それが正しい経営だろう。
アメリカ企業の問題の一つがここにある。全てがスムーズに行くことを前提として、定型業務に必要な工数-能力といっていい-しか用意していない。コスト削減を追及するあまり、ちょっとしたトラブルでも即の対応ができない。もともとはちょっとしたことでも、ちょっとしたことですまなくなる。
定型業務しか任されていない従業員は、問題が起きたとしても自分から問題を解決しようとはしない。そのようなことは要求されていないし、トレーニングもされていない。モーテル側の自主的な処理を待っていたら、いつまで経っても何も始まらない。イライラもつのって言葉も荒くなる。「チェックアウトもしてないし、二泊の予定でチェックインしたのだから即代替の部屋を用意しろ。荷物はどこだ?」フロントの事務員が事務室から出張用のバッグを持ってでてきた。バッグはあった。バッグの中を見たらなくなっているものはなさそうに見えた。ところがバスルームに置いておいた洗面用具一式と、それを入れておいたポーチ(トイレタリーズ)がない。
事務員に「バッグはいいがトイレタリーズ(Toiletries)はどうした?」と聞いたら、また事務所から持ってきた。どうしても言葉がきつくなる。英語で言うのを躊躇って、「最初からもってこい」と日本語で言って、中味を調べたら、あきれたことに電気髭剃りとヘアトニックがない。誰かが持っていってしまった。さすがに歯磨きや歯ブラシ、ヘアブラシ。。。は人の使ったものを使ってまでという気にはならなかったのだろう。
ヘアトニックはどうでもいいが電気髭剃りは困る。出張用に日本から持ってきた小さくて使い易いのがなくなってしまった。アメリカにはRemington社の電気髭剃りがあるが、ごつくて重い。特別毛深いわけでもなしRemingtonに用はない。「髭剃りはどうしたと」聞いても何も答えないし、掃除の人に聞いてみるとう素振りもない。「マネージャーを呼べ」と言ったら、「マネージャーは朝遅い時間にならないと出てこない」と言う。
言い合ってもしょうがない。その晩泊まって、翌朝早い時間にニューヨークに帰った。帰った後、なくなった電気髭剃りを取り戻すべくモーテルに電話したが、その度にマネージャーには居留守を使われた。やれバケーションに行っているとか、何かの会議で。。。逃げられた。煩い客が何度文句を言ってきたところで、適当にあしらっていればそのうち諦める。電話をかける費用は相手もち。電話がかかってきたところで、そのまま放っておけば相手が切る。クレームを聞けば何らかの出費につながる可能性がある。何が何でも一セントでも多くの利益を捻り出すのが仕事だと思っているマネージャー、余程のことでもない限り取り合おうとはしない。取り合わないで済む安直な方法は居留守。客が泣き寝入りするのを待つ方が出費よりいいという考え。即の利益というバイアスがかかった頭の近視、アメリカの嫌なところがここにある。
今だったらメールでクレームを送れるし、いざとなったらWebで文句の一つも公にできるが、当時はどうしようもなかった。そのまま泣き寝入りするのも癪に障る。どうしたものかと思いながら、気のいいセールスマネージャーに相談したら、こういうケースは、「そのなくなってしまった髭剃りは、女房からのクリスマスプレゼントで、なくしてしまうと問題になる。代替品を買わなければならない。。。」と手紙を書いてくれた。たかが三十ドルくらいの小切手をもらったが、日本製の電気髭剃り、アメリカには売ってない。
些細な金で済むことすら惜しむ。「顧客第一」というアメリカ生まれ(?)のキャッチフレーズ、もし本当に顧客が最優先だったら、そんなキャッチフレーズ、当たり前すぎて、キャッチフレーズにならない。客の利益だとか利便だとか言ったところで、慈善団体でもあるまいし、自分(たち)の利益にならないことをするわけがない。資本家-モーテルのオーナの利益を最初から最後まで優先して、顧客の利益は最後にもない。「顧客第一」の真の意味は、「客が一番先に困って、最後まで困る」ことだと思った方がいい。
相手の誠意に期待して黙っていたら、どこまで泣き寝入りさせられるか分からない。正当な主張であっても、主張しない限り正当でもなんでもないどころか、主張そのものすら存在しないことになる。主張しなければならないことは主張することが求められる。そりゃないだろうというトラブルが日常茶飯事のアメリカ、正当な主張をし続けなければならない疲れる社会だ。そんな生活をしていると、日本語では穏やかな話し方をする人でも英語での口調がきつくなる。何年か住んでいれば、口数の少なかった人も何時の間にやら多弁になる。それにほっと気がつくと、穏やかな日本が懐かしくなる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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