2011年を迎えて
- 2011年 1月 1日
- 評論・紹介・意見
- リベラル21田畑光永
本ブログがスタートしたのは2007年3月であった。4回目の新年を迎えたことになる。いつまで続くか、どれほどの人に読んでもらえるか、不安に満ちた出発であったが、ここまで1日も欠かさずに内容を更新し、のべ90万人に近い読者を得たことはわれわれ同人にとっては大きな喜びであり、励ましである。
ブログの発足にあたって、われわれが基本姿勢としたのは右欄に掲げている「護憲・軍縮・共生」である。いかにも古めかしいとの評もいただいたが、われわれはこの基本姿勢は間違っていないと信じている。
われわれの歴史は4年に満たないが、その間の最大の出来事は08年9月のリーマン・ショックであった。世界はいまだにその傷から立ち直れないでいる。欧米諸国は10%に近い失業率に悩まされ、わが国も首相が「1に雇用、2に雇用、3にも雇用」と叫ばなければならない状況である。高度成長を誇る中国でさえ、「蟻族」と言われる大量の大学卒失業者が社会不安の一因をなしている。
成長と利潤を無条件の善として追い求めた結果がリーマン・ショックであったとすれば、そこからあらためて学ばなければならないのは「共生」の概念であろう。生活が成り立たない人々が一定量存在する仕組は仕組としておかしいのである。
リーマン・ショックはまた「国益」追求をより肯定する動きを生み出した。顕著な例が通貨安競争である。自国通貨の価値を貶めても輸出において他国のシェアを奪おうとする風潮は第二次大戦前夜の再来を思わせる。そしてその延長線上に軍備拡張、軍備誇示が目立ってきた。
その最たるものが近年の中国である。たんに自衛のための軍備を整備するだけでなく、軍備を拡張し、それを誇示することである種の現実的目的を達しようとする動きが目立ってきた。そしてそれに触発されるように東南アジア諸国にも軍備拡張の波が広がっている。
きわめて危険な流れと言わざるをえない。終ったはずの「冷戦」思想が復活しそうな雲行きである。われわれは「軍縮」の旗をあらためて掲げなくてはならない、冷戦時代とはまた違った思考で。
日本国憲法は国民に健康で文化的な生活を保証し、労働基本権を保証し、そしてなによりも平和主義の理念を高らかに謳っている。まさにリーマン・ショック後の世界が目指すべきものを明示している。「護憲」は決して古いスローガンではない。
「護憲・軍縮・共生」を言葉として唱えることには意味はない。新しい状況の中でそれを踏まえつつ新しい思考にとり組まなければならない。
日本と世界の政治、経済から、自然環境、そして朝鮮半島情勢と考える題材には事欠かない。2011年も同人一同、読者とともに大いに考え、大いに論じるつもりである。
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