メキシコ出張-その1―はみ出し駐在記(46)
- 2015年 9月 6日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
金曜の午後、ボストンで二日がかりの機械の修理が終わった。客の電話を借りて上司に報告したら、「簡単な修理、終わって当たり前だ。細かな報告はいらない」と言われ、なんか変な感じで副社長に電話を回された。
副社長と話すことなどない。あらたまって、いったいなんなのかと思っていたら、副社長、電話をとるなり「来週は月曜からメキシコだ。」何のことかピンとこなかった。メキシコなんとかという名前の客、あったかな?と思いながら「どこですか(どの州かという意味)?」「バカ、メキシコだ。」「メキシコって、あのメキシコですか?」って間の抜けた確認。「そうだ、メキシコだ、二週間もあれば終わる。」「機種は?」「xxxとyyy一台ずつ、どっちも市内だ。」
サービスマンの日程は、客の都合を確認しながらサービスマネージャーが決めていた。出張の指示は、当然上司のサービスマネージャーからくるもので、副社長から直接というのはない。そもそも実務の知識もなければ興味もない副社長がサービスマンの日程など立てられるわけがない。二人の間で、何か次のようなことがあったとしか考えられない。
副社長が、いつものように何もしないでほったらかしておいて、土壇場になってサービスマネージャーに即の出張を依頼した。あまりに急な話に、サービスマネージャーがいい返事をしなかった。割り込みで二週間も出張をさせるには、既に決まっている来週と再来週の出張日程を変更しなければならない。一週間に少なくとも二軒の客を処理するのを目指していたから、二週間空けるには新米に割り当てていた四軒の客と日程の再調整をしなければならない。新米の出張日程を変更すれば、待てない客も多いから、ベテラン勢の日程にも影響がでる。日程の再調整が必要になる客は、四軒どころか十軒を超える。サービスマネージャーにしてみれば、いい加減にしろと怒鳴りたい心境だったろう。
言い合ったあげくに、副社長が、じゃあオレが直接言うからということで、サービスマネージャーから電話が副社長に回された。副社長に役職の権限を振り回されたら、サービスマネージャーはサボタージュぐらいしかできない。
副社長が仕事に絡むとろくなことがない。これが本当の戦場だったら、部隊が壊滅しないにしても、何人もの犠牲者がでている。学閥のなかで棲息して、ヒラメのように両目とも上を向いていたからだろう、下の、実務の人たちの負荷には関心のない人だった。
二週間で終わるような簡単な作業ではない。一台は最も大きなNC旋盤で、ちょっとした化け物。もう一台は、試作機の設計グループの一員だったので知っていたというより知りすぎていた。凝りすぎた構造で作るのも使うのも大変な機械だった。NC旋盤を知り尽くした人でも使い切れない。直ぐにぶつけて壊す。ニューヨーク支社のテリトリーにも何台か入っていたが、どこもまともに使えないでいた。メキシコに納入されれば、後々のサービスをどうするかが問題になる。物は工作機械。一度導入すれば、短くても十年以上は使用する。アフターサービスを提供する体制を取れない限り、販売してはいけない。正直、誰が売ったんだと腹が立った。こんなことしてたら会社がもたない。
行かないとも、行きたくないとも言えない。ただ、はいそうですかってのも癪(しゃく)にさわる。プライベートバンクの”扇“に行けば現金を調達できるのだが、少しは実務部隊のことも考えろって、文句の一つも言いたくなる。「メキシコはいいですけど、銀行に行ってないんで手持ちの現金がないんですが、」当時米国では、銀行は州を超えての営業はできなかった。ATMやキャッシュカードなどなかったから、月曜から金曜の営業時間内に自分の口座のある支店に行って、小切手を切ってキャッシュを貰うしか現金を手にできなかった。「いいから、明日にでも現金持っててやるから心配するな。メキシコ、失業率が高くてワーキングビザなんか下りっこない。カメラ下げて観光客の格好で行け、工具も図面も持ってくな。機械に電気図面ぐらい付いてるだろう。」副社長の仕事だ。だらしない仕事で実務部隊が苦労する。それを当たり前だと思っている。
メキシコシティの空港に代理店のサービスマンが迎えに来てくれていた。空港を出て高速道路に乗ったが想像を絶する渋滞で歩いた方が早い。何時客先に着くことやらと思っていたら、意を決したようにかなりの速度で高速道路に入ってくるランプをバックで降りていった。「こんなところで事故るなよ」って言ったら、「心配するな、メキシコでは命は安いから。」のっけから冗談がきつい。とんでもないところに来てしまった。先が思いやられる。
メキシコ市内の幹線道路、呆れたことに四車線もある広い通りに車線が描いてない。車線がないから、みんな走りたいように走る。渋滞している車相手の物売りの人たちも好きなように車道に出てくる。車検もろくにないのか、ヘッドランプのない、間の抜けた面構えの車も走っている。日本人の感覚では、もうめちゃくちゃとしか言いようがない。ちょっと擦った、引っかけたなど日常茶飯事だろう。いくら保険をかけても、レンタカー借りてという気にはなれない。
抜け道を走り続けて、凝った旋盤を購入した会社の据付現場に着いた。現場にはオーナー社長の弟が待っていた。線の細い文学青年という感じの優しい人で、職がないから兄貴の会社でという場違いな人だった。
客の本社はそう遠くないところにあるらしいが、本社工場がいっぱいでスペースがないから、ここに据え付けるという。駐車場だったようなところで、小学校の教室四つくらいの広さのスペースだった。それはスペースとしか呼びようがない。何もない。一応は床というのか地面はコンクリートをうってある。床の半分くらいがトタン板の屋根で覆われているが、半分は野ざらしだった。工事現場の事務所のような二階建ての建物があって、そこに、いかにもメキシコ人という感じの、何をしているのか分からない若い女の子が一人と古びた電話機が一台、あるというのかいるというのか、それだけの場所だった。
問題の旋盤は奥の方に置かれていて雨がかかる心配はないが、吹きさらしであることに変わりはない。サービスマンは次の用がある、夕方にはピックアップに戻ってくると言って、どこかに行ってしまって一人残された。
早速、据付作業にかかろうとするが、工具も何もない。とりあえず必要な工具類をリストアップして、オーナーの弟に用意してもらえるように依頼した。待つこと一時間弱、工場で働いている若いメキシコ人が工具を持ってきてくれた。礼を言うが言葉が通じない。何を言っても“シ、セニョール”しか返ってこない。
いざ、作業を始めると、あれがない、これがない。先の行程を見越して、あれとこれとこれ。。。、事務所に行って、女の子に電話を使いたいことを身振りで伝える。本社に電話して、エンジニアxxxと言えば、オーナーの弟が電話に出てくる。小一時間で必要な工具が届く。初日と二日目はこれを何回も繰り返しながら据付作業を進めていった。フツーの一日仕事に二日三日かかる。
たかが中型の旋盤一台の据付がこれほど面倒なことになるとは想像できなかった。工具もなければ、ホイスト(重いものを持ち上げる巻き上げ機)も、何もない。「失って初めて分かるありがたみ」は健康だけじゃない。工場がいかに環境の整ったところなのかを痛感した。
昼飯をどこかでと思って、通りに出て何かないかと左右を見た。貧民街とまではゆかないが、町工場と住宅の入り混じった貧しい地域だった。遠くの方に何か店のようなものが見えた。歩いて行ったら雑貨屋のような何だか分からない店だった。迷子にならないように注意しながらあちこち歩いて、やっとパンを見つけた。飲み物はどこでも通じるコカコーラしかない。他に何があるか分からないし、言葉が通じないから聞くに聞けない。世界共通のコカコーラがこれほど頼もしく思えたことはなかった。
パンを食べたら用を足したくなった。女の子がいる事務所にトイレがあった。ドアを開けて、紙がない。しょうがない、さっき見つけた雑貨屋に行ってトイレットペーパーとティッシュペーパーを買ってきた。用を足して水を流そうとしたら、水が出ない。そのままにしておく訳にもゆかない。女の子に身振り手振りで水が出ない、水洗トイレを流したいと伝えようとするがなかなか通じない。やっと通じてメインバルブを開けてもらった。流せたときにはほっとした。
翌日の朝、トイレに行ったら昨日買ってきたトイレットペーパーもティッシュペーパーもきちんとなくなっていた。しょうがない、昨日の雑貨屋に行って、またトイレットペーパーを買ってきた。翌日も同じようにトイレットペーパーを買いに行った。トイレットペーパーが貴重な人たちなのだろう。使い残しでもいいのなら、どうぞご自由にという気になった。
店に行っては、メキシコペソの価値感覚がないから札を出す。何か買うたびに大きな硬貨でつり銭がきて、ズボンのポケットが重くなる。重くなったら、今度は硬貨を全部出して、店の人に必要な分だけ取ってもらう。小学生のお使い以下だった。
店や通りでは英語は通じない。店の人にとっては英語も日本語も同じで通じない。どっちも通じないなら英語で言うこともない。身振りと日本語、ちょっと説明に窮すれば、B6 サイズのリングノートにポンチ絵を描く。ポンチ絵さえ、そこそこ描ければ、後はYes、Noのような最低限の英語で何とか意思は通じる。通じようとする気持ちがあれば、なんとかしなくちゃという気持ちさえあれば、なんとかなるところまでは、なんとかなる。それ以上は求めてもしょうがない。
据付も最終段階に入って、さっさと作業灯を取り付けてしまおうと思った。蛍光管の仕様が国によって異なるため、日本から蛍光灯(作業灯)は付いてこない。蛍光灯は顧客手配になる。蛍光灯を付けたいと言ったら、翌日、蛍光管を差し込むソケット-サイズは同じだが違う物が二個と安定器に蛍光管がバラバラで出てきた。蛍光灯の傘がない。傘なしで、どうやって機械に付けるか?ソケットを取り付ける台座に使う木片をノートに書いて用意してもらった。蛍光灯を機械には取り付けたが、絶縁テープがないから電源を入れられない。手際が悪いからと言ってしまえばそれまでなのだが、何をするにも、するために何を用意するか考え込むことから始めるから、始めた後のことまで気が回らない。
物はない、言葉は通じない。ほとほとまいったが、極めつけは単独アースだった。当時のCNC(工作機械用制御コンピュータ)はノイズに弱く、工場の集合アースではアース経由で他の機械装置からノイズを拾いかねなかった。そのため、機械の脇の床(地面)に直径十五ミリ程度、長さ二メートルくらいの銅の棒を打ち込んで、単独アースを取っていた。そのためには、まず、ドリルで床のコンクリートを突き抜く穴を開けて、地面に銅の棒を打ち込んでいた。工具を持ってきてくれた人にポンチ絵を描いて単独アースの説明をした。
翌朝十時頃だったと思うが、ハンマーを片手に見たところ小学校三四年生くらいの男の子が来た。何しに来たのかと思っていたら、機械の脇にしゃがみこんで、コンクリートの床を割り始めた。おいおい、まさか単独アースのために穴を掘ろうってんじゃないだろうな。下手なことをすると機械のレベルがくるってしまう。止めようとしたが言葉が通じない。
学校にも行かず、小遣いでももらっているのだろう、こつこつと穴を掘り続けて、体がすっぽり入ってしまう穴を掘って、中に入ってせっせと土を手で掻き出している。何を言っても通じない。男の子は黙々を穴を掘っていた。半分以上あきれて、雑貨屋に言ってポテトチップとコカコーラを買ってきた。一休みしろやと差し出したら、何を言っているのか想像がついたのだろう。ニコニコしながら穴から這い上がってきた。
客の都合ではなく、代理店のサービスマンの都合だと思うのだが、夕方五時前に作業を終了してホテルに連れて行かれた。駐車場のようなところで照明もないし、夜頑張って作業という訳にもゆかない。与えられた条件のなかでの、メキシコ流の仕事しかない。みんなゆったりしたいい人たちなのだが、いつものようには作業が進まない。
上司にそう報告しても、お前の手際が悪いからだと言われるだけだろう。言われないにしてもそう思うだろうと思うと気が重かった。いつでもどこにでもある話で、現場を知らない人には分からない。たかが旋盤一台、それもアメリカとメキシコの違いにすぎない。東京にいて沖縄は分からない、ましてやペンタゴンにベトナムなど分かるはずがない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5654:150906〕
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