国家体制の崩壊と民衆の解放感の乖離―「自由」への一石
- 2011年 1月 5日
- 時代をみる
- ルーマニア問題岩田昌征民衆段階での抑圧と自由
ポリティカ紙(2010年12月21日)に載ったミラン・ペトロヴィチ記者のブカレスト発記事は考えさせられる。バルカン諸国の中で長い間ギリシャだけがEU加盟国であった。数年前にルーマニアとブルガリアが加盟に成功して、旧ユーゴスラヴィア諸国をうらやましがらせたものである。そのルーマニアが今日、経済的・社会的危機に苦しんでいる。
昨年(2010年)、長年完全に秘密にされていた墓地、そして別々の場所に埋められていたチャウシェスク夫妻の遺骨が発見され、再びひそかに埋葬されたことが報道された。1989年12月25日、チャウシェスク夫妻は略式裁判の直後に銃殺されたのであった。新しい墓では独裁者夫妻が一緒に眠っている。ポリティカ紙に載ったカラー写真に花束に飾られたこぎれいな墓標の周りを老人が箒で清掃する姿が映っている。ルーマニア社会の社会心理的変容が見て取れる。ルーマニアの人々は、現在の苦境にあって独裁者の遺骨確認のニュースに接し、好むと好まざるとにかかわらず、自分たちの現在と過去を比較対照せざるを得なくなった。世論調査センターの興味深い調査結果が公表された。
ルーマニア人の大多数は社会主義時代を、抑圧体制が支配し、赤い首領とその取り巻きが特権を享受していたとみている。被調査者の48%は、共産主義体制の犠牲者に補償すべきと考える。しかしながら、59%は共産主義の導入を積極的出来事であると評価し、44%は共産主義は良い理念だが、その適用が悪かったと見る。83%が旧体制下でその「犠牲者にならなかった」と答え、10%が自分自身、あるいは家族の誰かが体制の犠牲者になったと答えた。犠牲者10%の言う犠牲とは具体的に何か。10%のうちの28%(全体の2.8%)は、物質的不幸。24%(全体の2.4%)は、表現の自由の制限。23%(2.3%)は、社会的・政治的基準による職業上の差別。被調査者の52%は、チャウシェスクの秘密警察の資料へのアクセス問題や「きよめ・みそぎ法」採択を大して重要でない、あるいは無意味であると答える。1%だけが、秘密警察のメンバーであったか、自発的協力者であったことを認めている。ルーマニアの共産主義化の決定的ファクターとして、占領者ソ連をあげた者が50%、ルーマニア共産党をあげた者は17%。
北朝鮮の金氏王朝に近い、一族支配を実現したチャウシェスク時代に対する今日のルーマニア人の評価は意外に甘い。それほどに新自由主義時代の市場競争システムの中で生きるのは、しんどいのであろう。ミラン・ペトロヴィチ記者は、ルーマニアの日刊紙ガンドゥルの論説者の意見を紹介している。近年ルーマニアが陥っている「完全な崩壊」の中で「ルーマニア人はますます深く失望し、自己の人格と尊厳がどんどんバラバラにされつつあると実感している、・・・。『解放』後20年の今日、この混乱した自由を忌々しく思う人々を非難できるであろうか。一つの巨大な、しかし、ルーマニアでは極度に悪く適用された理念、民主主義に、彼らが20年間疲れきっている限り、決して非難できない」。私、岩田のトリアーデ体系論の方法で語れば、ルーマニア人は、過去の集権制における強度に不満の社会心理から、今日の自由市場における極度の不安の社会心理の中へ、体制転換によって移送されたにすぎなかったわけである。隣国旧ユーゴスラヴィアの凡人たちとは違って、良き物を失ってしまったという実感はない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1151:110105〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。