長寿動物表彰を受けた「とら」
- 2015年 10月 4日
- 交流の広場
- 熊王信之
自分が生を受けたこの国が、戦前回帰を目指す政治の奔流に見舞われている歴史の狭間で、何も出来ず、それどころか、第二の人生を迎えて彼是と思い描いていた青年期よりの夢も正夢に出来ず、何も手につかず、何と、愛猫の介護に明け暮れているのが昨今の私なのです。
必然的に、ちきゅう座への投稿もこの間は、手につかず、コメント風の小稿を気紛れにせざるを得ないのです。
猫の事どもに、興味のない人には、只の戯れ事に過ぎないでしょうから、お読み頂かなくて結構で、他のご投稿に視線を移して頂ければ幸いです。
猫と云っても、我が家では多頭飼いの故に、今までは、十頭余りの猫たちが、この十数年間に私と因縁を持ちまして、家の彼方此方に居住しておりました。
私も近年では、流石に、このままでは、退職後の生活もままならない、と案じまして、我が家の家猫の二頭を除き、他を有料制の終生飼養で保護団体に託す契約を結び、五頭を保護団体に託し、二頭は里親に託し、残るは、二頭の仔猫のみ、となりました。
他にも、不幸にも生まれて直ぐに、臍の緒が付いたままレジ袋に入れられて捨てられ、拾われた我が家で短い一生を終えた仔猫が、五頭居ました。
そんな事情の中でも一大事であるのは、我が家の長男猫の「とら」が四年前から腎臓病で闘病中のところ、最近、病が進行し、自宅でも皮下輸液が要るようになったことでした。
既に、昨年から通院では、週一で獣医院に通い、輸液をして貰っていました。 病状が進み、それでは、足りなくなったのです。
猫を多年に渡り飼養されておられる方なら、首肯していただけるでしょうが、腎臓病は、猫の宿命とも言える病であり、高齢の猫が多くなった今では、獣医院に通う腎臓病の猫は、相当な割合に上ることでしょう。
我が家の長男猫「とら」は、今月で18歳と5か月になり、公益社団法人大阪府獣医師会と公益社団法人大阪市獣医師会の連名での長寿動物表彰を受けました。
人間で言えば、80歳から90歳、と云ったところでしょうか。 若い折の元気さは無くなり、体重が減り、跳躍力が衰え、ただ、口うるさくなりました。
それでも、「とら」の生きて来た年輪は、私の侘しいながらも和みのある一人住まいの歴史です。 「とら」を筆頭にした猫たちが居ない私の人生は、到底、考えることが出来ません。
ところが、少ない年金の金額には、猫の飼養等は、とても想定はされていません。 勢い、腎臓病の治療費や、療養に要する経費等は、預貯金を取り崩すことになります。 既に、他の猫たちを保護団体に託すのに数百万の金銭を費消しました。 その上に、闘病に要する経費です。 頭が痛いのは事実です。
さりながら、猫とは言え、家族のような存在で、今では、考えていることも有る程度は、分かり、また、飼い主の私の意思も、或る程度は理解させることが出来るようになりました。
日に二回の薬の服用も無理強いせずとも、口を開けて飲みますし、また、反対に、療法食に厭き、他の食物が欲しい旨をしきりに告げることもあります。
ただ、自宅での輸液は難関です。 獣医院では、仕方無く受け入れる輸液も、自宅で、飼い主が行う際には、無理が効く、と思うのか、嫌がるのです。 でも、服薬でも、闘病を始めた当初には、嫌がりましたので、これも時間をかけて慣れさせるしか他には方法がありません。 猫だから、と云って、闇雲に無理強いするのは考え物で、怪我でもさせては何にもならない、と自重しています。
服薬で毒素を取り、皮下輸液で水分を補給し、腎臓病の症状を緩和する他には無いのが哀しい現実で、腎臓そのものを健康にする治療法が存在しないのです。 少なくとも現在の医療では。
それでも、諦めずに、闘病して四年が経過しました。 これから先も、絶対に諦めずに愛猫の闘病を支える積りです。
この世に生れて、「とら」のような猫に会えたのは、私の人生最大の幸福ですから。
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