テント日誌10月9日(金) 経産省前テントひろば1490日
- 2015年 10月 10日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
川内テント通信(10月9日)「ゲート前ハンスト・座り込み行動」
11日からゲート前でハンストが始まります。直前となってしまいましたが、
参加を希望される方(途中からでも)は、交通費支援もありますから、
090-5339-2243(江田)までご連絡を。行動内容については添付チラシを
ご覧ください。
テントの修復作業は、各メンバー居住テント、「再稼働阻止」の大看板の
再建に始まり、漸く大型テントの再建が本格化した状況です。
再建にご協力頂いた皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
さて、1号機の再稼働後、ひと月経ちましたが、この間大規模な煙の発生
(灰色→白)や、夜中のゴロゴロという怪音、怪光がありました。その都度、
発電所の広報や警備に問い合わせるのですが、そうしたことは確認されて
いませんとか、トラブルはありませんとか、木で鼻を括ったような返事しか
ないのです。要するに2号機再稼働を前に情報隠しに躍起になっている
というのが本当のところでしょう。
こうしたホットな出来事の糾明も、毎朝8 時?9時に欠かさず続けている
ゲート前抗議の大事なテーマとなっています。
脱原発川内テント (E)
これまで未収載の陳述書から
川内現地では川内原発2号機の再稼働が準備されています。現地では久見崎海岸のテントを拠点に原発ゲート前でのハンストや座り込みなどの方法で闘いが組まれています。10月12日(祝)には鹿児島で再稼働阻止の全国集会もあります。現地からの報告は日々お知らせします。控訴審の方は昨日、判決日が10月26日と伝えられてきました。判決後をふくめた闘いの準備をやっていくほかないのですが、河合弁護士と寺崎さんの陳述書を掲載します。法廷での陳述も素晴しかったのですが、この陳述書はテントの歴史と現状をよく伝えてくれると思います。結構長いですが、時間のある折に読んでください。(M)
意見陳述書
控訴人(一審被告,一審参加人)ら訴訟代理人
弁護士
河合弘之
1.はじめに
私は20数年前から,脱原発訴訟(原発差し止め訴訟)にずっと関わってまいりました。そして,3・11を迎えるまでは,敗訴に継ぐ敗訴でございました。
そのような敗訴の最大の理由は,被控訴人経産省を含む原子力ムラの原子力に対する安全・安心キャンペーンにあります。そして,大部分の国民もそれを信じていたことにあります。裁判官も国民の一部ですから,テレビも見れば新聞も読みます。ですから,原発安全・安心キャンペーンに毒されていました。そして,原発差し止め訴訟の原告やその代理人は,ありもしないことを大げさに言い立てる変な人たち,すなわち「オオカミ少年」なのだと裁判所は思っていたのです。
したがって,私たちの主張には聞く耳を持たない,そのような形で敗訴を重ねていたわけです。
2.我が国が亡びるとすれば原発事故か戦争
そして3・11が起きました。事故から数日たった後に,当時の原子力委員会の委員長・近藤駿介氏が,菅直人首相(当時)に「福島原子力発電所の不測事態シナリオの素描」(通称:「最悪のシナリオ」)というレポートを提出しました。福島原発の事故の今後の進行について,最悪の場合にはどうなるのかという諮問を受け,当時の原子力委員会の委員長・近藤駿介氏は,原子力安全基盤機構(JNES)の若手技術者を動員して,最悪の場合を想定いたします。そして簡単にいうと,4号炉の使用済み燃料プールが崩壊した場合には,福島原発から250キロの範囲の地域,すなわち東京,したがってここの裁判所も含みますし,関東圏すべて,首都圏全部を含みますが,その範囲に強制立ち退き,あるいは任意の立ち退きが指示されることになります。
すなわち,日常の生活や,経済活動には使えない,そのような土地になるということでございます。
全くの僥倖によって,その4号機の使用済み核燃料プールは崩壊しないで済みましたけれども,そのように原発事故というのは国を滅ぼしかねないような事態を起こす恐れがあるのです。そのことを忘れて,このテントのことを論じることはできません。私は原発差し止め訴訟をずっと続ける中で,我が国が滅びるとすれば,それは原発事故,或いは戦争しかないという確信を抱くに至りました。そして不幸なことに現在の政権は,この二つの危険をあえて冒そうとする,冒険主義の政治を行っております。
3.現政権の推進するその二つの危険は関連しており,テロを呼び込む
憲法9条を恣に,捻じ曲げた解釈改憲をなし,安保法制が現在,今日にでも通ろうとしています。アメリカは民主国家でありますが,最大の好戦国でもあります。戦後の多くの戦争は,民主主義の名のもとに,そのほとんど全部がアメリカによって起こされたといっても過言ではありません。アメリカが大きく関与してできたその度に,日本はこの憲法9条を盾に「憲法9条があるので,戦争はできない。参戦することはできない。」として,戦争に巻き込まれることを免れてまいりました。
しかし,今回の安倍政権が成立させようとしている「戦争法案」では,その言い訳を自ら放棄して,アメリカの好む戦争に進んで協力しなければいけないという政治体制を作ろうとしているのであります。そして,原発を再稼働させ,戦争に巻き込まれる危険を敢えて冒そうとしているという意味で,現在の政権は「亡国の政権」であると言っても差支えないと思います。そして,この原発事故の危険性と戦争,すなわち集団的自衛権の問題と深く関連致します。なぜなら,集団的自衛権というのは「味方の敵は,敵」ということになるのです。逆に相手側,すなわち敵の側から見ると「敵の味方は,敵」ということで,テロを呼び込むのであります。このことは,昨年12月のISによる後藤健二さんへのテロ行為を見ても明らかです。ISは,日本が敵に協力したので報復するということで,後藤健二さんを殺したのです。そして,その報復の方法が原発に対するテロではない,という保証はありません。
ISが死を恐れない武装したテロリストを二組に分けて,ある原発を襲った場合に,日本の原発が極めて脆弱であるということが言われています。また,北朝鮮がミサイルで若狭湾に十数基ある関電の原発を狙った場合にどういう事態になるか。北朝鮮は崩壊状態を迎え,金と食糧が無くなっていよいよ困ったとき,日本を脅かして金や食料を脅し取ろうと考えないとする保証はありません。仮に,平城に近いミサイル基地からミサイルが発射されたときは,最短で7分,最長でも20分で若狭湾の原発に到達するというのです。このことは私が言っているのではありません。防衛相のホームページを見てください。ノドン,テポドンが発射さて7分から20分で我が国に到達するということが図入りで明記されているのです。原発がミサイルで攻撃された場合,原発から大量の放射性物質が放出されます。そして,福島原発事故以上の被害を引き起こします。その意味で,原発は「自国にのみむけられた核兵器」であり,「他国に提供する核弾頭」なのです。そういう危険を今の政権,そして経産省を含む政権は行っているのです。戦争を挑発し,またテロを挑発し,その結果,原発を攻撃され,日本が滅びるかもしれない,という危ない橋をわざわざ渡ろうとしているのだ,ということを忘れてはなりません。そうした事に対する全般的な抗議,反対の意思表示,それがテントひろばの活動の意味なのです。国民の正論の発信地として,非常に重要な意味を持っているのであります。
4.脱原発への道
(1)再稼働を抑え込む
これから私たちは原発のない平和な社会を創っていかなければなりませんが,そのためには私たちの戦略として,まず再稼働を抑え込む必要があります。いま川内原発が動いているわけですが,1基動いたからと言って,それで一喜一憂してはいけません。それを止めることは今からでもできますし,また2基目を動かさないよう,私たちは粘り強い闘いをしなければなりません。再稼働を抑え込むには,もちろん裁判だけでは足りません。集会もする,デモもする,マスコミにも働きかける,首長に働きかけ,そして選挙の時には脱原発の候補にきちんと投票する。そういう活動を粘り強く続けなければならないのです。
(2)自然エネルギー
それにより原発を抑え込んでいる間に,自然エネルギーを促進して,原発がなくてもエネルギーが十分に供給される,平和で豊かな社会を創らなければならないのです。そのために努力を続けていけば,ドイツのように必ずブレークスルーの時期が来ます。自然エネルギーであれば,安全で楽しく,豊かで穏やかで,そしてお金が儲かる社会ができる,それを私たちは実現して見せなければならないのです。
実際にもそれが可能であることを示すため,私は自然エネルギーの映画を作ろうとしており,先日はドイツに行って映画の撮影をしてきました。ドイツではすでにそのようになっているのです。自然エネルギーは全電気エネルギーの30%を超えています。ドイツが脱原発に向かうことが出来たのは,自然エネルギーに対する信頼感があるからです。私たちもそうした形で,自然エネルギーを開発・促進しなければなりません。きちんと促進して実力を付けなければいけない。私たちは原発再稼働を徹底的に抑え込むとともに,自然エネルギーを促進してブレークスルーを呼び込もう,こういう運動の中で,自然エネルギーが儲かるということが分かれば,大企業も,中小企業も雪崩を打って自然エネルギーに向かうのです。そして,そういうところまで持っていくには国民運動が必要です。
5.テントひろばの闘いの意味
裁判だけではなく,デモもやるなど,いろいろな表現を行う。その国民運動の拠点として,このテントが必要なのです。日常的に,そこに行けば仲間に会える,意見交換ができる,そこから日常的な発信ができる。このテントという恒常的な場,これが重要なのです。脱原発のための国民運動の場,自然エネルギー促進のための国民運動の場,日常的な運動の拠点として,この場所が絶対に必要なのです。このテントひろばは,亡国の役所・経産省との救国の闘いの基地でもあります。また,国民の抵抗権の行使の拠点でもあります。私たちは,あくまでも合法的に非暴力の手段で,この国民運動を推進していかなければなりません。そのための恒常的な基地として,常設的な施設として,このテントは絶対に必要なのです。経産省の土地のごく一部が,それも公園の一部が長期にわたって占有されることの不都合を,原発が推進される危険,戦争が呼び込まれる危険と比較して,どちらが避けるべき損害なのかということを,裁判所は大所高所に立って判断をしていただきたいと思います。
現在の政権は,白を黒と,また黒を白と言いくるめる政権であります。あの憲法9条のどこを,どのように読んだなら,「味方が攻撃されたら,出かけて行って戦争をやって良い」などと読めるのでしょうか。
元の最高裁長官も,元の内閣法制局長官も,「それは無理だよ,法律解釈,憲法解釈の範囲を超えている」と述べています。これが,司法のトップに居られた我々の尊敬すべき人たちの言っていることです。それを無視し,平気でいられる現在の政権,そしてその一部である方が,私たちの向かい側に座っている被控訴人,経産省の方々なのです,それが経産省という役所なのです。
そのようなことを考えて頂き,どちらが正しいのかということをよくお考えになって,判決を賜りたいと思います。
陳述書 第二テント・寺崎明子
私は経産省前第二テントの運営に関わっている寺崎明子と申します。
1 私は、1979年のスリーマイル島原発事故が発生して以来、原発について、当時、相次いで開催されたデモや講演 会に参加したり、書籍なども読んだりしましたが、反原発運動に具体的に関わることはありませんでした。
2 2011年3月11日、東日本大震災が起こり、福島第一発電所の原子炉が 次々に爆発事故を引き起こす事態に、至りました。
福島県三春町に住んでいた友人が中学に進んだばかりの娘を連れて松本に移住したこと(新居を建てて2年後のことでした)、福島原発で発電された電気はすべて首都圏のためだったということなどから、首都圏に住む人間として 福島の人たちに対して何が出来るかを考えさせられました。そして、事故から間もない3月27日に行われた反原発デモに参加して以来、出来る限りデモや集会に参加するようになりました。
また、2011年9月11日に行われた経産省を囲む人間の鎖にも参加しました。10月27日から3日間行われた「原発いらない福島の女たち」の座り込み、それに続く10月30日から7日間の全国の女たちの座り込みには、部分的ではありましたが参加しました。
しかし、福島の女たちの座り込みが終わって「やれやれ」と思っていたら、また7日間も座り込みが続くと聞いて、「えっ、また?」と受け止める、という程度の受動的な関わりでした。恥ずかしいことながら、福島から来た女性たちの 怒り、絶望、不安などには到底達しない認識にとどまっていたのです。この座り込み参加の中で, 第二テントが福島から来た女たちのために加えられたことも知りました。
その後、院内集会などに参加するため、霞が関に行ったときに第二テントに寄ってみたりはしましたが、それは ちょっと話をして帰ってくるというにとどまっていました。
3 2012年3月 17日から、私は、テント当番を引き受けるようになりました。ここでテントと言っているのは、第二テントのことです。
私の場合、もともとテントに関わろうと思ったのは、第二テントが女性の運営しているテントだと知ったからでした。いろいろな運動の中でも女性はどうしても副次的な存在になりがちですが、この第二テントは女性が中心となって、時 には男性の力も借りて、運営しています。
4 私 のテントでの活動は、週1日の当番のほか、「テントひろば」主催のイベント等にもスタッフとして参加するようになりました。また、毎週金曜日夕方には第二テント前での情宣活動にも参加しています。テーブルに原発関連の情報(パンフ、書籍、DVD)や反原発のグッズなどを並べて紹介・普及しています。
特に「原発いらない福島の女たち」の発行したパンフ、書籍、カレンダーなどの普及に力をいれてきました。そうすることが福島の女たちの活動を支えるために、第2テントとして出来る一つの大きな役割だと思うからです。
また、福島の女たちの行動についても第二テントのブログ「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」を通じて、活動の予告、報告などを出来るだけアップするようにしています。
5 第二テントでは、テントという、照明も十分でなく、20人も入れば満員になってしまうスペースを使って、国から訴訟を起こされる前からさまざまな人が上映会、お話会、お茶会、川柳の会など多様なイベントを行ってきました。
イベントを企画したり、それに協力する人たちの中には、この裁判の参加人になっていない人も含まれています。イベントは思いついた人が中心になって、場合によっては助けを募って実施するという形で行われています。
私も、2013年8月にドイツに住む友人が一時帰国した折に、ドイツで初めて市民が自然エネルギーによる電力会社をつくった過程を描いた「シェーナウの想い」という映画の上映と、原発をめぐるドイツの最新事情を話してもらう会を企画しました。
2014年4月、函館市は国と電気事業者を相手どって、大間原発建設無期凍結を求める裁判を東京地裁に提訴しました。これをきっかけに、テントに関わっているひとりのメンバーから呼びかけられて、「大間原発反対関東の会」をつくり、東京で開かれる裁判に首都圏の人たちの傍聴を呼びかけるなどの活動をするようになりました。
同年9月には、その会をきっかけに知り合いになった函館のNさんが上京した際に、大間原発についてわかりやすく話をしてもらう会も開きました。
2014年、テントの設立1000日を迎えた6月6日、Wさんは福島から東京に避難している詩人のKさんを招いて、3.11以後につくった詩の朗読、お話を聞く会を開いてくれました。Kさんとの縁は、Kさんの娘さんが金曜日にテント前に来られて、Wさんに話しかけたことから始まりました。
直近の例では、フクシマ・バッジプロジェクト県外支部を担ってきたMさんが近く日本を離れるため、彼女が私費で購入した缶バッジ製作機械の受け入れ先を探すことを頼まれました。やはり、テントに寄って知り合いになったアーティストのMさんの仲介で、ある障害者作業所で受け入れてくれることになりました。保養に来た子どもたちの描いた絵をバッジにするというワークショップを福島県内で行ったところ、子どもたちにも喜んでもらえるプロジェクトが展開できるのではないか、と期待しています。
6 以上、思いつくままにいくつかの例をあげましたが、第二テントは、設立以来、「女性が運営するテント」として、そこに関わる人たちのさまざまなアイディアから生まれたユニークなイベントを行う場として独自の展開をして来たと言ってよいと思います。「テントひろば」は、第一テントで24時間を通してテントを守ってくれる人たちはもちろんのこと、テント当番は出来なくても、折々に個性豊かな提案をし、実現してくれる人など、さまざまな人たちの想いが交錯し、結びついて、それに支えられていることを実感します。しかも、「テントひろば」を支えている人たちの思いは、首都圏にとどまらず、北海道から沖縄まで日本全国に広がり、そして海外からも届けられ、ますます広がっているのです。 本年2月26日に、東京地裁が不当な判決を出さないように裁判所に抗議してほしいという呼びかけに対して、フランス、ドイツ、イギリスなどに罪周する日本人・現地の方々の反原発グループ、個人が不当な裁判の進め方、テント撤去に抗議の声を寄せてくれました。また、テントの設立4周年を迎えた本年9月11日も、激励のメッセージが寄せられ、テントは国内外の多くの方々に支えられているとの感を改めて深くしました。
7 私は、そのようなテントに関わっていることを喜んでおります。これからも出来るだけ、この場を有効に活用して、多くの人々に脱原発の想いを届け、広めていくために、微力ではありますが、テントで活動していきたいと思っています。
「脱原発・反原発」を支持する人々が多数派を占めているのに、その意思が国の意思決定にまったく反映されることのないこの国の現状を前にして、これまでの「お任せ民主主義」を反省し、自分たちひとりひとりが直接、この社会を作っていく、変えていく努力をしない限り、この国は変わらないということに遅ればせながら目覚めた私たちにとって、テントは「民主主義の学校」としての役割も果たしていると言えます。
8 70年代後半に当時の西ドイツのジャーナリストの取材に同行したことがあります。太陽光発電の実際を見て廻る旅でしたが、そのジャーナリストが最後に言ったことは今でもよく覚えています。日本は冬でも日照時間が長いが、ドイツでは短いから、太陽光発電の導入はむずかしいだろうと言ったのです。ところがそれから30年以上たった現在、ドイツでは再生可能エネルギーの活用が進み、すでに電力消費の約25%を占めています。その中心となっているのは風力と太陽光です。要するにエネルギー転換は技術の問題というより、政治の意志、やる気の問題なのです。
福島原発事故を受けて、ドイツでメルケル首相に2022年までに全原発を止めるという決断をさせたのは、国民の日ごろからの厳しい政治に対する監視の目です。私たちも政治家が国民の批判の目を気にせずにはいられない、そういう力をつけて行かなければならないと強く思わされます。
東京高等裁判所の裁判官の皆さん、日本を真の民主主義社会とするために、日々声を上げ続けている私たちの意を汲んで、良識ある判断をしてくださることを切望してやみません。
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