中国にとり憑いているものは?
- 2015年 12月 4日
- 評論・紹介・意見
- 中国田畑光永
(新・管見中国 1)
私はこれまで本ブログに「管見中国」という題で中国についての時評を40数本書いてきた。しかし、この2、3年、つまり習近平体制になってから、さっぱり書けなくなった。恥ずかしいことだが、わけが分からなくなってしまったのである。
もとより中国は謎の多い国柄である。自分で「管見」と名付けざるを得ないのは、分からないことを自覚しているからでもある。謎が多いのにはさまざまな理由があるが、それでもこれまでは、ある程度の時間と距離を置いてみれば、それなりに分かった心算になれることもあった。
しかし、最近はそういかなくなった。どこまでいっても分からないことは分からないし、そういうことがますます多くなった。そこでこれからは、分からないことは分からないままで中国を眺めることにするしるしに「新・管見中国」に看板を変えさせていただく。
海へ!海へ!
分からないと言えば、習近平体制が発足したのは、3年前、2012年秋の中国共産党第18回党大会からであるが、その直前に起こった尖閣諸島を日本の野田政権が地主から買いあげる方針を決めたことに対するあの「国を挙げての反日騒ぎ」は何だったのだろう。
当時の中国の表向きの言い分は、そもそも国交回復の際に周・田中首脳会談で、この問題は棚上げにすると合意したのに、一方的に国有化するとはけしからんということであったが、中国自身、1992年に領土領海法を定めて「釣魚島」を領土に組み入れたのだから、別に日本の国内手続きで私有地を国有地に変えたにしても、両国関係におけるこの問題の性格が変わるものではなかった。
しかも周知の通り、あの国有化は当時の石原東京都知事が、地主から東京都が買いあげてあの島に船溜まりのような施設をつくるなどそれこそ具体的な現状変更を行おうとしたのを、未然に阻止するための措置であったし、その間の事情は外交当局を通じてきちんと説明したのだから、中国側としては歓迎はしないまでも、目くじらを立てる理由はなかったはずである。
それがあの騒ぎである。騒ぎがあそこまで大きくなったのには、中国社会が抱えるさまざまな矛盾が噴き出たという解説が行われ、それには一理あるにしても、それを許したのは中国政府の対日態度であったことは間違いない。
それで結果はどうなったか。あれ以来、中国は「海警」などの公船を3日に1度くらいの頻度であの海域に派遣して、待ち受ける日本の巡視船と洋上で怒鳴り合いを演じるという、お互い無駄なエネルギーの消耗合戦が続いている。
それだけではない。米国はかねて日中間の領土紛争には「中立の立場」だとしながらも、安保条約がある以上、現に日本の統治下にある尖閣諸島がもし攻撃された場合には日本への武力攻撃としてそれを「守る」という2段構えの方針を明らかにしてきたが、あの騒ぎ以来、後段が国際的により鮮明に印象付けられた。藪蛇とはこのことであろう。
領土では「日中間で中立」という米の立場は、「日中間に領土問題は存在しない」とする日本政府を中国の望む交渉の場へ引き出すための有効な手がかりになるはずであった。日本が尖閣諸島の領有権を主張する直接の根拠は、サンフランシスコ講和条約以後も米の統治下にあった南西諸島の中に尖閣諸島も含まれていて、それが沖縄返還協定でそっくり日本に返還されたことなのだから、ある意味で当事者の米に中国が働きかけて日本を交渉のテーブルに着かせることも考えられる着地点の1つであった。ところが3年前のあの騒ぎで、そんな筋立ては当面考えられなくなってしまった。
しかし、分からないのはさらにその先である。あの騒ぎの後、あれだけ日本に圧力をかけても、日本を翻意させるどころか、乱暴な中国という印象を国際的に広めてしまったことを中国も反省しているという話がしばしば伝えられた。勿論、公式に確認されるようなことではないが、結果をみればありそうなことであった。
だとすれば、こと海の権益に関しては強行突破では必ずしもうまくいかない。薮を突いて蛇を出してしまうことになりかねない。慎重にやるにしくはない、くらいのコンセンサスは指導部内にできなければおかしいではないか。
ところがその後の経過を見ると、中国のしたことはまるで違う。尖閣の後、今度は舞台を南シナ海に移して、ベトナム、フィリピンとの、摩擦を増大させた。フィリピンに対しては中国人観光客の渡航制限、バナナの輸入制限などの圧力を加えて、領土争いをねじ伏せようとした。しかし、やはりことは思い通りに運ばず、フィリピンを米や日本の側に追いやるだけに終わった。
ベトナムとも西沙群島(パラセル諸島)をめぐる昔からの争いをエスカレート、両方の漁船がぶつかる状況を拡大し、さらに昨14年5月には同海域に大型のオイルリグ(海底油田掘削装置)を持ちこんで、多数の船に護衛させて油田探査を強行した。これにはベトナム世論が沸騰、在ベトナム中国工場で両国人の衝突が起こり、多数のけが人が出るまでになった。すると中国側は7月16日、「昨日までで探査は終わった」と言って、リグを引き撤収し、その後、この動きは止まっている。成果があったのかどうか知る由もないが、すくなくとも予期した結果がえられたとは思えない。
その次が今の焦点、埋め立てによる南シナ海における人工島建設の加速だ。無人島に無理やり人を住まわせたり、滑走路を作ったりして、既成事実で領有権を認めさせようというつもりらしいが、これは周辺国だけでなく米をも刺激して、「新しい大国関係」ならぬ「新しい大国対立」を招いてしまった。ここ20年ほどの中国経済の拡大はアセアン諸国経済の中国依存度を高め、東南アジアは中国の裏庭とも見える状況が生まれつつあったが、埋め立てのおかげで、東南アジア諸国内に親中、反中、中立といった色分けをもたらし、中国にとって必ずしも居心地のいい場所ではなくなってしまった。
こう見てくると、尖閣騒動以来のこの3年というもの、中国はやみくもに海へ、海へとエネルギーを注いで、なにを得たのであろうか。人工島がその成果と言えば言えるかもしれないが、その引き換えに「力づくで現状を変えようとする横紙破り」というレッテルを貼られたのでは、差し引き勘定としてはプラスとは言えまい。
それでも今のところ、この路線を考え直す兆候は見られない。私は、中国はなにかにとり憑かれて、焦っているのではないか?という気がしてならない。それが何なのか、まだうまく言えない。あの国を見ながら考えていくつもりだ。
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