「空爆vs.夢想」続――戦場のサッカー
- 2015年 12月 17日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
「空爆vs.夢想」の続きを書きたい。そこで私が提案した夢想は単なる空想ではない。1999年3月下旬から連日3ヶ月続いたNATOによる対セルビア大空爆期に起こった「実」話に、ヒントを得ている。その「実」話は、私の著書『社会主義崩壊から多民族戦争へ エッセイ・世紀末のメガカオス』(御茶の水書房 平成15年・2003年)で紹介してある。ここに参考資料として再録(316・7ページ ■から■まで)する。
■戦場のサッカー
1999年3月下旬、NATOは、コソヴォ危機を理由に新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロ)全域に大空爆を敢行した。私は、とっさに決意して、東京を発ち、3月29日に首都ベオグラードに入った。
ベオグラード中の若者が市の中心にある共和国広場に集まって、NATO空爆に抗議するロック大集会を戦時下毎日挙行して大変盛り上がっている姿があった。トマホークはそこから直線距離で2キロほどの内務省や連邦軍の建物を直撃していた頃のことである。
この様子を『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』(御茶の水書房、1999年)で描写し紹介し、1968年8月のワルシャワ条約軍がチェコスロヴァキアの首都プラハに侵攻した時、プラハ市民が街頭にくり出して、ソ連戦車部隊の目の前で行った対ソ連非難集会にそれをなぞらえた。30年の時間差がありながら、両者に共通する市民的了解として、プラハ市民もベオグラード市民もこのような平和的抗議集会に対して社会主義の「祖国」ソ連や資本主義の大親分アメリカは、軍事的攻撃をかけてこないだろうという無前提の信頼があった、と書いた。しかし、相違もあって、戦車兵のロシア人とプラハ市民は、ともに地上にあり、両者間に確実にコミュニケーションが成立していたが、上空のNATO航空兵と地上のベオグラード市民の間には残念ながらコミュニケーションが成立しえない、とコメントしておいた。
ところで、このコメントは、部分的に修正しなければならないようである。79日間続けられた大空爆が終了した後、1999年8月にベオグラードを再訪していた私は、ベオグラード郊外の団地で民泊していた時、そこの中年の小母さんから意外な実話を聞かされた。
彼女の一人息子の友人が徴兵されて、コソヴォで戦っていた。戦闘のない日は、セルビア兵達は、広場でサッカーをやって時間をつぶす。すると、上空にNATO軍機が飛来する。兵隊達は、爆音の差異でNATO機がどの国家に属するかを識別できるようになっていた。米英軍機であれば、あっという間もなく、防空壕に飛び込む。仏伊機であれば、そのまま平気でサッカーを続ける。経験則によれば、米英機に見つかれば、必ず攻撃を受ける。仏伊機に見つかっても、攻撃を受けない。それなのに、ある時仏機か伊機かが爆弾を投下した。しかし爆発しなかった。そこで、おそるおそる解体してみると、セルビア兵達は、何時間か何日間か前にサッカーをやっていた自分達の姿を写した写真をそこに発見した。
これは、アネクドート(小話)ではない。小母さんの息子の友人のコソヴォ戦争体験である。
とすると、地上のセルビア人と上空のヨーロッパ人(非米英人)との間もコミュニケーションが成り立っていたことになる。
NATO空爆時、日本の新聞も報じていた。作戦から帰投中のNATO軍機がアドリア海に未使用爆弾を投棄して、それが漁網に引っかかり、イタリア漁民に大迷惑となっている、と。これは気象条件が悪化してもいないのに、あえてセルビア兵を攻撃しなかった仏伊機が米英の司令官には爆弾を使用した、つまり攻撃したと弁明するためのヨーロッパ人の知恵だったのかも知れない。■
ISと欧米露との間の戦争では両者間に全くコミュニケーションがないようだ。ISのメディアも欧米露のメディアも戦争自体であって、コミュニケーション用具ではなくなっている。そこで、私の夢想、すなわちドイツ爆撃機が在欧イスラム教徒によるIS統治下の同信者達への手紙を空中から投下するオペレーションは、両者間のコミュニケーションの始まりとなろう。
更に言えば、文明国アメリカがアフガニスタンやイラクで実行している無人機による数百の暗殺もまた余りにも原始、野蛮、非文明である。相手がそうであるから、こちらも野蛮で良いとするは、文明の自己否定である。アルカイダやISの諸要人の居所を察知したら即座に無人機爆弾を射ち込むのではなく、アラビア語の手紙を何百枚も投射する方が社会心理的・対人心理的にはるかに効果的であろう。ひんぱつする誤爆、いわゆるコラテラルcollateral被害、例えば結婚祝賀の宴への誤爆の様相も一変するだろう。爆弾であれば、喜びと幸せは一挙に悲しみと怒りに転じる。しかしながら、空から在欧同信者の手紙が舞い下って来れば、喜びと幸せの倍増となろう。
ここにその言を聞くべき人がある。西郷南洲である。「予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蛮じゃと言いしかば、否文明ぞと言う。否野蛮じゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せし故、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対するほどむごく、残忍の事を致し、己れを利するは野蛮じゃと申せしかば、其人口をつぼめて言無かりきとて笑われける。」(『西郷南洲遺訓』)
もっとも、ISやアルカイダが西郷の言う「未開蒙昧」であるか否か、に問題が残るが・・・。
平成27年12月16日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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