《ここでは何でも起こりうる。》今年の漢字は、「平安地獄」の「安」。一度目は悲劇、二度目は喜劇。70代の戦い(雁屋哲、白土三平)、80代の覚悟(柄谷行人、花崎 皋平)。最後の戦いへ。
- 2015年 12月 17日
- 交流の広場
- 武田明
70代最後の戦い(柄谷行人、雁屋哲)
80代の覚悟(白土三平、花崎 皋平)に続こう。
水木しげる93歳の死を無駄にするな。
(京極、宮部、水木門下は、続かねばならないはずである)
衆参同一選で野党は全滅すると書いた週刊現代の衝撃
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/155.html
(上記リンクは、資本独り勝ちの構造、金融資本主義支配と政党政治破壊の現状の告発、これである)
日々、殺人事件やいじめ自殺、そして、イスラム国、難民問題。
それでも、まだまだ他人事と考えて大部分の人は暮らしている。
テロに巻き込まれる事は、勿論、凄惨な事件に日本において巻き込まれる事は、宝くじに当たる位の確立であるだろうと高をくくって生活している。
阪神大震災があった、オウム地下鉄サリン事件があった、そして、311があり、福島原発事故があった。
それでも、まだ、大丈夫だろうと必死で忘れようとしているのだ。
しかし、今年、戦争法が強行採決モドキによって、法治国家の枠組みを大きく破壊し始め、ファシズム本性を現し国民を踏みにじり始めている。
もはや、他人事ではない。
ナチス、ヒットラーがここに現出している。
第二次世界大戦、「映像の世紀」の世界が再びここに地獄として繰り返され始めているのだ。
権力、金の支配は、何でもできる象徴が、コマーシャリズムに席巻されたテレビ、巨大メディアの支配であり続けたのである。
四権は、全く独立してはいない。
学校教育は、洗脳であり、収容所、弱者国民苛め、「羊たちの沈黙」状態が、資本主義の実態であり続けていたのだ。
オレオレ詐欺、カルト宗教国家の現出が、安倍政治の本質である。
切り崩しは、小沢つぶしから政権潰しとして全体主義的統制としての国家として何ら、発言の自由は、担保されていない締め付けの中で、政党政治は、労働組織は、切り崩され、ニュース23の岸井氏さえ、潰しにかかっている段階であると言うわけなのだ。
「自由」とは、「政治的団結」「連帯」の自由であり、《経済的自由》のみを言うと言う事を知らねばならない。
思想の自由の幻想に踊らされ、何ら、「政党」しての拠点を持たない故に、再び、安倍政治、軽減税率と言う茶番によって、庶民の私有財産のみの収奪国家、ファシズム、そして、戦争法により、財産だけではなく、健康、命さえ奪われる社会へと再び、逆戻りをし始めたのであり、医療の独占からTPPまで、まさに、なんとでもなる。
「平安地獄年間」としての本性をいよいよ直接独裁支配体制として法治国家としての建前さえ公然と稚拙暴力によって破壊し始めた強行採決モドキ、殺人国家ファシズム国家の出来上がり事はじめ2015年となったわけである。
2016年度は、革命的戦いを本気で開始しなくてはならない。
悲劇は、世界的にも、日本全国的にも広がり続けているのである。
一刻の猶予もならない。
これは、生きるための戦いとなったのである。
雁屋哲、柄谷行人74歳、
白土三平、花崎 皋平氏80代の覚悟へ続かねばならない。
思想の自由とは、遊戯の自由であった。
ブルジョワジー幼稚性のそれであった。
《経済的自由》のみが、真の自由である。
政治学、政党政治の根本について何ら手を付けない大学とは何であったのだろうか?
それが、日本の今の知性そのもの危機であるのである。
遊んでいる暇はない。
ぎりぎりの地獄を生きているのだ。
「平安地獄年間」がここに現出している。
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