目から鱗の落ちる記事はない ― 2016年元旦の全国紙を読む ―
- 2016年 1月 4日
- 時代をみる
- 2016元旦半澤健市新聞
2015年9月に「戦争法案」が強行採決された。今夏の参院選または衆参ダブル選挙の結果によっては、戦時が恒常化するかも知れぬといっても誇張にはなるまい。
2016年の元旦各紙を読み比べた印象を書く。私の読み比べは7回目である。対象は朝日、毎日、読売、産経、日経、東京、ジャパンタイムズの7紙。一面トップ、社説、特集記事を中心に読んだ。
《一面トップ記事は総じて低調》
読売のトップは、「教研出版」にも三省堂同様に、教科書選定誘導のために教師招待をして検定中の教科書を見せ、意見を聴いたことへの謝礼を出していたというものである。教科書選定の過程に歪みが生ずるという批判である。たしかに検定中の教科書公開は禁じられているから、採用を狙ってカネをバラまくのはよくない。記事は、その不法性を強調して、政府介入の強化へとつなげたいという意識が感じられる。明示的ではないが、教科書検定の強化という目的から発想された記事である。「選定のあり方 再考を」なる中見出しがある。
産経のトップは、「マイナンバー」制度のソフトがプクラムに誤りのある欠陥商品だったこと、しかし「地方公共団体情報システム機構」が原因開示を拒否していることをを追求している。一般論としてはこの追求を非難はできない。しかしこの制度が、国民のプライバシーを犯し徴税に利用される懸念はつとに指摘されてきた。しかも不思議なのは、「住基カード」導入時には論争になったこの問題が、今は殆ど論じられない。新聞が市民のためのメディアなら、開示拒否批判とともに、全体的な構図のなかで論ずるべきではないのか。こういう取り上げ方は問題を矮小化している。
朝日のトップは「18歳をあるく」という若者問題である。選挙権を18歳まで下げれば、彼らは与党の援軍になるとみる人が多かった。ところがシールズの出現どころか高校生までが反安保デモに登場するに及んで、「18歳援軍論」は違うかも知れないとみんなが思い始めている。これが記事掲載の原点―少なくとも大きな要因―と思うのだが、この特集記事は焦点が絞り切れていない。消費行動やサブカルの担い手としての興味にとどまっている。PR会社の博報堂担当者による消費傾向分析から始まるのである。若者の内面には及ばない。
若者3人の「オピニオン」欄も読者には一連のものと映る。2人は格差、差別への批判と対策を論じ、1人は「デモか無言か」以外の選択肢の提唱であり、いずれも正論である。去年も感じたが、第三者に批判させる手法である。これはシリーズで続くようだから、一日だけで決定的なことは言えないが。
《毎日・東京がややマシである》
毎日は、安倍政権が「お試し改憲」の一つに「緊急事態条項」の制定を考えていると伝えている。この提案は「3・11」に起源をもち、野党の多くも当時は検討には賛成した。国会議員の任期を暫定的に延長するなどの「非常事態立法」的な改定は、麻生太郎の「ナチに学べ」論を想起させる。
東京のトップは、安倍政権が中古武器輸出推進のために法整備を検討中と報じている。オスプレーを買って、中古武器を新しい「同盟」国へ売るのであろう。日本資本主義は安倍政権によって軍事ケインズ主義へカジを切った、とする論が台頭している。このニュースはその分析を裏付ける動きにみえる。
ジャパンタイムスの一面トップは、写真入りで従軍慰安婦合意に反撥する韓国当事者や青年層の動きを共同電を引いて報じている。
日経一面は、アジア経済圏企業家のグローバル経営戦略を報じている。日経の奉ずる新自由主義の実例集である。
以上の瞥見から感ずるのは各紙から今日の緊張感を反映した意識が伝わってこないことである。
《社説は定番化・慰安婦問題はジャパンタイムスのみ》
社説では各紙がどんな現状認識をしているかがわかる。
読売の社説「世界の安定へ重い日本の責務」は長文だが、事態の経緯を述べるところは多いが議論には説得力がない。
テロとの戦いでは対米隷従路線を確信して変わらない。しかしさすがにアベノミクスに満点をつけられず、グジャグジシャと問題点を曖昧に論じている。憲法改正に関しては「大災害が発生した場合に備える緊急事態条項などは、真剣に検討すべきだ」と述べ、沖縄基地は「辺野古移設が最も現実的な選択肢だ」と述べる。全体に「長期的に問題の所在を議論し、合意形成を図っていかねばならない」といい、「野党も、昨年の安全保障法制の審議のように、情緒的な反対論ばかりでは困る。緊張感を持った実のある政策論議が求められる」と結んでいる。「情緒的な反対論」には笑った。非論理的で、「情緒的」で、実のない答弁が、次々と崩壊したのは安倍晋三側だったからである。
産経の社説(論説委員長石井聡「年のはじめに」)は相変わらずの日米同盟強化論である。毎年、同じ文章を掲げたらよいと思えるほどである。
日経社説「新たな時代の『追いつき追い越せ』へ」は、1人当たりGDPが下落する日本経済が、グローバル経済に生き残るための「ブランド経営」の提唱である。スイスとオランダの構造政策を手本とみている。美しい見本の提示に同感したいが、フラット化するグローバル経済化のなかで理論的にそれは可能なのか。
朝日社説は「分断」をキーワードとして、イスラム国、格差、差別などの拡大により世界に亀裂が生じていると診断し、連帯・共感を対峙させて民主主義の崩壊を防げと解いている。沖縄基地問題についてこう書いている。
「沖縄の米軍基地問題も日本に分断を生んでいる。県民の多くが本土に求めるのは、一県には重すぎる負担の分担だ。「同胞」から「同胞」への支援要請である。しかし本土の反応は冷たい。政治は問題を安全保障をめぐる対立の構図に還元してしまう。そこに「同胞」への共感と連帯をもたらす本来のナショナリズムは見る影もない。」
これは「本土の沖縄化」の提唱ではないか。沖縄の望みはこれとは違うのではないか。日米同盟の維持はオスプレイが本土を飛び回ることと同義ではないだろう。
ジャパンタイムスの社説だけが従軍慰安婦を取り上げた。政府間合意が、両国とりわけ韓国の当事者や青年層の反撥に対応できるかに懸念を示している。日本語全国紙の慰安婦問題の取り上げ方は社説以外でも極めて小さい。慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に」解決した(resolved finally and irreversiby)というが、北朝鮮との国交回復や将来の南北朝鮮の統一は視野にないのだろうか。
《漱石に関する水村・堀江対談は秀逸》
特集と別刷について簡単に触れる。日経の「2020ニッポンの道しるべ」は専門紙らしく企業経営、経済構造、IT・ハイテク技術、ポスト安倍予想などを巡る新情報を網羅して読ませる内容であった。別刷は各紙とも、テレビ・ラジオ番組とスポーツ記事の羅列である。
その中で没後百年夏目漱石に関する記事で、日経の作家水村美苗・堀江敏幸対談が秀逸である。朝日の山崎正和の漱石論は「プレモダン時代にポストモダンを展望した」と賞賛しているが、短文でもありわかりにくいものであった。
以上、駆け足で書いた。現状分析、将来展望、対策提言のいずれにも、私には目から鱗が落ちる記事は一つもなかった。その理由は、世界の現状がそれだけ混沌の中にあること、ジャーナリストの力量が低いこと、評者の高齢が新事象の理解を阻んでいること、によって説明できるであろう。(2016/01/02)
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