自分のためのトイレ-はみ出し駐在記(74)
- 2016年 1月 6日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
エバンズビル(インディアナ州)に旋盤を据付に行った。州都インディアナポリスから南西に約二百五十キロ、その辺りでは中心都市なのだろうが、空港から客先に走っていて目に付くのは大豆畑で、そんなところに機械工場があるとも思えなかった。
住所を頼りにたどり着いたのは大豆農家だった。大豆農家が旋盤?いったいなんのために?まさか農業機械の修理部品を自作しようということでもないだろうし、何かの間違いじゃないのかと心配になった。田舎の農家というと大きな家を想像してしまうのだが、なぜこんなにと思うほどこじんまりとした家だった。(もっとも周りが広いからそう見えただけかもしれない) 住所を確認したが、間違いない。でも、間違っていたらどうしようと思いながらドアを叩いた。人のよさそうな農家農家していない、四十前後のおばさんがドアを開けてくれた。客でもない、ただの農家じゃないかという不安があるから、それでなくてもだらしのない英語が小声になってしまった。ぼそぼそと言いかけたが、言葉が通じなくても、東洋系が来たというだけで旋盤メーカーのサービスマンと想像がついたのだろう、何も言わずにオヤジさんを呼んだ。
見たところ、おばさんより若いオヤジさんが出てきて、機械はあっちだと何か言いながら歩き出した。家の反対側に大きな納屋があった。外見はちょっと疲れた感じの納屋だったが、中かはきれいに整理されていた。納屋の一部が機械工場に改装されていた。新築でもない限りアメリカの機械工場はどこも汚い。そこは機械工場としてまだ使ったことがないからだろうが、工場というにはあまりにきれいだった。
納屋にバスルームはないだろうと思って、機械の後ろで着替えようとしたら、バスルームはあそこだと指差された。誰もいないのだし、機械の陰で着替えてもかまいやしないと思うのだが、アメリカには着替えはバスルームでという決まりのようなものがある。バスルームに入って驚いた。まだほとんど使った跡のない、きれいなというだけでなく、まるでどこかの一流ホテルのバスルームのようだった。ドアには「First Class Bathroom 」という凝った造りのネームプレートまで貼ってあった。豪華な?バスルームに驚いたのに気がついたのが嬉しかったのか、「オレが使うバスルームだから、いいものにした」と自慢げだった。
旋盤を据付けながら、オヤジさんと世間話をしていて、こういう客もありなのかと呆れた。旋盤を使うのは年に二三ヶ月しかない。農閑期の小遣い稼ぎに機械部品の賃加工をしてみようと思って旋盤を購入した。賃加工を本業としていれば、二交代してでも資金の回収を急ぐのだが、農家の副業というより、よくてオヤジさんの小遣い稼ぎ、ほとんど道楽に近いから切羽詰ったところがまったくない。
年に二三ヶ月しか使うことのないFirst Class Bathroom、「オレが使うバスルームだから、いいものにした」というのがひっかかった。自分が使うものだからというのは分かる。誰のためでもない。自分の快適さを自分の費用で用意した。誰も文句を言う筋ではないが、それがもし従業員が使うものだったらどうなるのか?
客のほとんどが自社の製品を持たないジョブショップと呼ばれる賃加工の町工場だった。潤沢な資金があるわけでもなし、最新の工作機械をと思えば、少なく見積もっても十万ドル(一ドル百円換算すれば一千万円)はする。多くの場合、自己資金では賄いきれないから金融機関から融資を受ける。受けた融資は一日も早く返済してしまいたい。
特殊な加工技術でもなければ、賃加工ビジネスでは厳しい価格競争をさけられない。競争にさらされて売上げにはおのずと限界がある。利益を上げようとすればコストの低減を心がけざるを得ない。主なコストはオーナーの取り分と従業員の給与に家賃や設備などの関連付帯費用や返済に金利。オーナーの取り分を優先すれば、賃金を抑えて、付帯費用-トイレの清掃などはできるだけ手を抜きたくなる。何年にも渡って手を抜いて、従業員用のトイレは古いし汚いままに放置される。
AMBELは社長も副社長も従業員の意見を聞こうと努力していた。従業員が気持ちよく働ける環境を提供することが社の将来を決めると考えていた。そのため自分たちが使う事務所のバスルームも工員が使う工場内のバスルームも大きな違いがなかった。AMBELのような会社は例外中の例外で、どの町工場に行っても、社長や事務員だけでなく客も使う事務所のトイレはきれいにしていたが、現場の従業員が使うトイレは古くて汚い。白い陶器の表面が真っ黒な有機物?で何層にもコーティングされたような便器の会社がいくつもあった。一度も掃除をしたことがないのではないかと思うと、腰を下ろすのも躊躇う。
ボストンには、現場にフツーのアメリカ人が一人もいなくて、全員給料の安い中南米からの移民で英語が通じないところすらあった。素人目には会社はオーナー社長が合法的に金を吸い上げる社会的組織とでも考えているとしか思えないところも多い。事務所も工場設備も限界近くまで老朽化して人まで痛んでいる。それでもオーナー社長は悠然と構えて高級乗用車に乗り、地域のある社会層における名士然としている。
それが資本主義の資本主義たるありようだと言われれば、その通りなのだろうが、働いている人たちの視線でみれば、どこまで納得がゆくのか分からない。社会としての一体感を醸成しようのない企業のありように毎週のように遭遇した。そこにオレが使うのだからいいものにしたというFirst Class Bathroom。自分の金で自分のためのバスルーム。誰が文句を言うことでもない。ただ、はいそうですよねって割り切れない。それは日本人だからということでもないだろう。誰もが割り切れないと思うのだが。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5845:160106〕
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