現代資本主義の危機とマルクス経済学の課題 – 2016.1.23.世界資本主義フォーラム報告要旨
- 2016年 1月 16日
- スタディルーム
- 伊藤誠
- 講師 伊藤誠(東京大学名誉教授)
- 演題 「現代資本主義の危機とマルクス経済学の課題」
現代資本主義は、1973年を境に高度成長期とは様相を異にする危機と再編の長期下降期をむかえている。そこに生じている新自由主義的グローバリゼーションの進展は、金融不安定性、経済格差の再拡大、雇用条件の劣化、福祉政策の後退、エコロジカルな危機の深化をともない、多くの働く人びとの経済生活に閉塞感と将来不安を増している。その必然性と意義をどのように読み解くか、資本主義の歴史性を理論的に考察する総合的なマルクス経済学にとって、重要な挑戦課題が現代資本主義の重層的危機から与えられている。五味久壽編『岩田弘遺稿集』(批評社、2015)を読んで、あらためて宇野理論におけるマルクス経済学の発展の試みを、その問題関心にそって再考してみたいと考えている。それをつうじ私の「逆流する資本主義」の仮説的総括の意義についても方法論的省察を加えてみたい。
1 世界資本主義論の方法と現代資本主義
宇野弘蔵は、経済学の研究次元を原理論、段階論、現状分析に分けて、『資本論』とそれにもとづく帝国主義論と、その両者を考察基準とする日本資本主義分析の体系的関連を方法論的に明確にしようとしていた。そのさい、『資本論』のような原理論は、19世紀中葉にいたるイギリス社会の発展傾向を延長して、資本家と賃金労働者と土地所有者の三大階級のみからなる「純粋の資本主義社会」を想定して展開されるものとみなしていた。
それとともに現状分析は、原理論やそれにもとづく資本主義の段階論と区分されて、「無限に複雑な個別的具体性」(宇野(1962)、63ページ)を究明する課題を与えられていた。その結果、現状分析は、世界経済や各国経済、個別企業などにわたる個別具体的考察や、歴史学派的な個別事象についての資料的検討や分析へと拡散してゆく傾向も生じていた。
これにたいし、鈴木鴻一郞編『経済学原理論』上下(1960,62)と岩田弘『世界資本主義』(1964)は、宇野原論のいわゆる純粋資本主義の方法に疑問を投じ、つぎのような再解釈を主張した。すなわち、原理論の考察対象は、現実の世界資本主義の歴史過程自体に求められてよいのであって、そこから分離抽象された純粋な資本主義社会の内部にあるとする必要はない。もともと、宇野が、市場経済を形成する流通形態を商品、貨幣、資本の自生的な相互関係として、背後の社会的実体にふれずに再構成し、それを基礎とする資本主義的生産の自律的運動の原理を解明する展開を示していたのは、現実の資本主義が、世界市場の自己組織的関連を基盤に、その中枢に労働力を商品化して自律的に発展する歴史的形成体として、発生、成長、爛熟する過程そのものを考察基盤とし、その内的原理をあきらかにするところと再解釈できる。
それは、宇野が『恐慌論』(1953,2010)の「序論」にも由来している。そのような世界資本主義の方法論にしたがえば、19世紀末以降の資本主義についても、世界市場の中枢に部分性をもってではあれ、むしろその支配する賃労働関係を拡大しつつ、特殊歴史的な自律性を展開する原理を認識することは十分可能ではないか。こうした発想に立って、世界資本主義論は、爛熟期の支配的資本となる金融資本の形成・展開も原理的考察の対象におさめて、固定資本の巨大化にともなう産業株式資本としての資本の最高の展開形態の規定とそれにともなう景気循環の変容に、原理的考察を拡大し、それに先行する市場経済と資本主義的生産の原理を、現代にいたる爛熟期の資本主義にも妥当するところとする見解を主張していた。
そのさい、鈴木・岩田世界資本主義論において、株式資本の原理的展開にさいし、巨大化された固定資本の集積にともなう過剰資本を個別資本的な競争戦による破壊によって処理しえなくなり、「したがってまたその生産様式の限界内で生産力と生産関係の矛盾を解決しえなくなるやいなや、総じて、利潤率の均等化とその統一的な社会的生産としての全体的編成とを実現する機構をうしない、これを容認しかついんぺいするあらたな資本形態を要請せざるをえなくなるのであって、それを実現する資本形態こそ、株式資本にほかならぬのである」(岩田(1964,231ページ)と総括していたのは、どうであったか。(ブレトンウッズ体制崩壊の意義も)。
すでに別稿(伊藤(1974)注18)でも指摘したように、固定資本の巨大化とそれにともなう株式資本の発達は、利潤の配当利回りの形態において、利潤率の相違を均等化するとともに、利潤率の均等化を遅滞させる側面はあるにせよ、利潤率をめぐる資本の競争とそれをつうずる社会的生産の調整と編成機能を失わせるものではない。むしろ価値法則にしたがう生産の調整を促進する機能を高度化する一面も現代にいたる株式資本にはみとめられる。その意味では、信用制度とともに、株式資本も利潤率をめぐる資本の競争機構の高度化の展開として原理的に位置づけることができる。
とはいえ、資本の最高の組織形態をなす株式資本としての商品化は、利潤率の均等化の遅滞をともなう不況基調の慢性化をふくんであらわれながら、これを全体として解決する組織としてではなく、むしろ部分的に資金を動員し、資本を集中するしくみにとどまり、その発達の基盤としても資本市場に上場されない広範な中小企業や家族的諸経営を存続させる性質を脱しえない。そこにもほんらい社会的生産にたいし外来的な商品経済にもとづく資本による生産編成の歴史的で非普遍的で部分的な社会組織としての制約を、その究極の発展形態において原理的にあきらかにするものと考えることができる。
こうした世界資本主義論の方法からみれば、原理論は、世界市場の中枢に生成、成長、爛熟する資本主義的生産の自立的発展を考察の対象とし、その意味では資本主義の世界史的発展段階論と考察の対象を共有しつつ、その自己組織的原理を抽象して展開する課題にあてられる。これを考察の基準とする段階論は、具体的な指導的産業やそれにもとづく支配的資本の変化を中心国の国家の役割とあわせて解明する課題を有し、現状分析は、世界資本主義の発展・変化の枠内での一国資本主義の分析を主要課題とするものとみなされる。
侘美光彦『世界資本主義』(1980)は、世界資本主義論の方法として恐慌論的接近を重視する見解を提示していた。
このような世界資本主義論の方法による宇野理論の発展の試みは、同時代的に欧米マルクスルネッサンスの一翼を担う従属学派のなかから、I・ウォーラーステイン(1979)が、中世までの帝国の支配による世界システムと異なり、近代資本主義の世界システムは、周辺部の多様な諸生産を中枢部が世界市場をつうじて搾取し利用し続ける構造を形成していると認識していた世界システム論とも呼応している。とはいえ、ウォーラーステインの資本主義世界システム論は、ややスタティックに中枢諸国と周辺諸国との国際分業の世界市場的関連での搾取と周辺部の低開発性の困難を強調していた。これにくらべ、宇野理論による世界資本主義論は、中枢部の資本蓄積様式とその産業的基盤の歴史的変化にともなう、経済政策の基調の変化を立体的にダイナミックに考察し、それによって中枢―周辺構造にも政治経済的に変化が生ずることに考察をすすめる可能性に富んでいた。両者はともに1980年代以降顕著となる新自由主義的グローバル資本主義としての現代資本主義の変容に、重要な考察枠組みを用意していたともいえるが、その変容から世界資本主義に生じた新たな局面の方法論的意義を問われる側面も残していた。
2 国家独占資本主義論とレギュラシオン理論
第2次大戦直後の危機から再建期にかけての10年近く、マルクス学派の現代資本主義論を代表していたのは全般的危機論であった。ところが、1950年代以降のアメリカを中心とする先進資本主義7カ国(米、英、西独、伊、日、カナダ)は、1973年にかけてのほぼ4半世紀に年平均4.9%の高成長を持続し、実質経済規模をほぼ3倍に増大させた。それは歴史上かつてなかった実質経済成長の伸びであり、全般的危機論は説得力を失っていった。
当時アメリカを中心とする新古典派総合の観点からすれば、この持続的高成長は、1930年代の大恐慌を契機に、ケインズ政策がマクロ経済学にもとづき、財政・金融政策による総需要管理の手法を確立した成果であり、ほぼ完全雇用がそれによって確保された水準での各経済主体への所得や財の配分は、ミクロ経済理論にもとづき市場で合理的に決定されるものとみなされていた。
そこで、高度成長期の資本主義についてのマルクス学派の考察は、その内容上、ケインズ主義的な国家の役割をどのように位置づけるべきか、それを高度成長の持続の主要因とみなすべきか否かをめぐって、二類型に分かれて展開されてきた。そのひとつは、ケインズ主義的な国家の役割を、福祉国家政策の拡充とあわせて、さまざまな限界や問題点はあるにせよ、この時期の継続的成長の主要因とみなす一群の見解である。他方で、この時期の高度成長は、発端はともかく、その進行過程においては、中枢諸国の資本蓄積の自立的進展に主たる動員をおくものとなっていったとする分析も提示される。
第1の類型の有力な試みのひとつは、バランとスウィージーの『独占資本』(1966)で、現代の資本主義は、むだの多い大企業の販売努力とあわせて、市民的および軍事的政府支出の増大をつうじ、都市の過密化や荒廃、道徳的規範の衰退などの退廃性を深めつつ、過剰な余剰を吸収し、雇用水準を維持し、先進国の労働者階級を革命的行動から遠ざける体制をなしているとみなされていた。資本主義を変革する革命的行動は、むしろ途上諸国の労働者大衆に期待する方向が示唆されていた。ウォーラーステイン、さらにはG・フランク、S・アミン、A・エマニュエルらの従属学派は、これに呼応して、周辺途上諸国の低開発性が先進諸国との世界市場における構造的関係において容易に克服しがたい困難をなしていることを分析し、資本主義世界からの離脱が解決の道であることを主張していた。
他方、東独のK・ツィーシャンク(1957)は、レーニンが第1次大戦中の戦時経済を国家独占資本主義の体制と規定した用語を転用して、これを生産力の新たな発展に適応して形成された「資本主義的生産関係の一発展段階」と規定し、古典的帝国主義段階から区分した。そこでは、巨大化した投資規模に応じた資本の創出や市場の確保のために、国家が経済に引き入れられ、所得再配分、生産調整をつうじ、景気の発展に大きな影響を与えるようになったことが強調されていた。日本では今井則義(1960)、井汲卓一(1970)らにより、このツィーシャンク理論が支持され、さらに「政治的国家」ないし「上部構造としての国家」にたいする「経済的国家」ないし「下部構造としての国家」の分離可能性の発想がつけ加えられて、いわゆる構造改革路線の基礎としてある程度の影響を広げていった。
そこでのいくつかの問題点を批判しつつ、大内力『国家独占資本主義』(1970)は、宇野理論による経済学研究の三段階への分化の方法を前提に、原理的考察基準も宇野恐慌論におきなおして、国家独占資本主義としての現代資本主義の本質をつぎのように定式化していた。すなわち、現代資本主義を特徴づける国家の経済的機能は、宇野が重視していたように第1次大戦後の社会主義体制の成立成長にともない、それと競合し対抗関係におかれた資本主義の全般的危機を重要な背景として展開されている。ことに1929年にはじまった大恐慌にともない、体制的危機は資本主義諸国に内面化されてうけとられ、それとともに金本位制を放棄して管理通貨制度に移行して、実質賃金の騰貴による恐慌を回避し予防するインフレーション政策を操作可能とする体制を形成するにいたった。
たしかに、ケインズ主義的政策は、1929年以降の大恐慌の破壊的打撃を緩和するニューディール型の雇用政策として導入された。しかし、その政策は実質賃金の騰貴を抑制することを目的とするものではなく、むしろ有効需要の不足を、財政・金融政策により反転させる課題を重視していた。しかも1937年恐慌によりあきらかにされたように、その政策効果には限界があり、大恐慌は、第2次大戦の軍事需要によって解消された。戦後の高度成長にも戦後の復興政策や冷戦下の朝鮮戦争(1950-53)のような軍需需要の役割が大きかった。
しかし、その後は、先進諸国の資本蓄積が、その進行に有利な一連の現実的諸条件に支えられて、その内部から有効需要を拡大する自立的過程に、高度成長の持続は基盤をおくものとなっていった。
欧米マルクス学派のなかでは、E・マンデル『後期資本主義』(1972)以降、一連の研究が、高度成長の持続要因をケインズ主義的国家の役割とはみなさないさきの第2類型の見解を示していた。そこでは、ほぼ50年周期での景気循環の長期波動論を現代的に復活させる試みが提示される。
同様に、フランスのレギュラシオン学派も、ケインズ主義政策の有効性を過度に一般化して理論化する国家独占資本主義論への批判を事実上ともないつつ、つぎのように説いていた。すなわち、高度成長の持続は、1920年代のH・フォードの自動車工場で先駆的に試みられた高生産性―高賃金の蓄積様式が、第2次大戦後の先進諸国に一般化されて、社会的に生産性上昇にほぼ比例する実質賃金の上昇が社会契約的に労資の協調により実現される「フォード的蓄積体制(フォーディズム)」が形成され、資本蓄積の内部から、有効需要が拡大されたことに基礎をおいている。
戦後の高度成長期に、冷戦構造を枠組みとして、国家の役割は、帝国主義段階以降、その課題や作用に変化をも生じながら、いぜん強大で、重要であった。とはいえ、高度成長が軌道にのった後には、その持続の主要因は、国家による上からのケインズ主義的インフレ政策にあるとみなす国家独占資本主義論の認識よりも、むしろ資本主義企業内のフォード的蓄積体制の自立的拡大が、一見ケインズ主義的政策の成功にみえる有効需要の拡大をその内部から持続させていたとするレギュラシオン学派の認識のほうが、妥当性が高い。
とはいえ、現代資本主義の高度成長を終焉させて、その後の危機と再編の時代をもたらした論理は、世界資本主義論の方法を念頭に解明されなければならない。
3 高度成長とその終焉の論理
戦後の高度成長の世界経済論としての現実分析をすすめてみると、宇野が第1次大戦後の現代資本主義について重視していた社会主義に対抗する資本主義としての国家の諸政策は、その発端にとくに重要な役割を果たし、冷戦構造としての政治的・軍事的世界秩序の外枠を形成してはいたものの、高度成長の進行の内実においては、世界市場的関連のなかで以下のような一連の恵まれた諸条件を、中枢諸国の資本蓄積の自律的発展に、いわば内面化して活かし、世界資本主義の方法が強調していたような、資本主義に本来的な労資関係の中枢部における自立的拡大を世界システムとして実現する過程をなしていた。
第1に、アメリカが圧倒的な経済力とそれにともなう貿易黒字を保持して、戦後の復興援助や軍事支出をつうじ巨額なドル資金を資本主義世界に散布しながら、ブレトンウッズ国際通貨体制の基軸国として、金ドル交換の公約を維持し続けていた。
第2に、アメリカから主要諸国に、各種家電製品や乗用車などの耐久消費財の大量生産を拡大する一連の産業技術の革新が、軍事科学技術の転用をふくんで、あいついで伝播していった。その一部はすでに大戦間期にアメリカではじまり、第2次大戦中にその可能性が拡大されていった。その産業技術は、鉄鋼業、電機工業、機械工業、化学工業などに重厚長大型の設備投資を誘発しつつ、主として各種耐久消費財を最終生産物として高度化しつつ、より安価に大量に供給してゆく。その耐久消費財は、主として先進諸国の労働者階級に主要な市場をもとめる傾向を強めていた。そのため、雇用の増大とあわせて、高生産性-高賃金のフォード的蓄積体制が、冷戦構造のもとでの労資協調、福祉政策の効果とあいまって、先進諸国内部の有効需要を拡大する重要な役割を果たしていた。
第3に、バレルあたり1ドル台の原油をはじめとする、各種1次産品を、先進諸国は世界市場で工業製品とひきかえに有利な交易条件で入手し続けることができた。第3世界諸国の多くは、1次産品輸出国として、あいついで植民地体制からは政治的に独立をかちとりながら、交易条件の不利と悪化とに苦しみ続け、世界市場において主要諸国の高成長から除外され、低開発性を脱しえない状況におかれていた。(→従属学派)。
第4に、軍隊や軍事産業に動員されていた人びとの復員、人口増加、農村部に滞留していた相対的過剰人口と農業の生産性上昇によるその増加傾向、移民の流入などをふくめ、先進諸国では、資本蓄積に動員可能な労働力の供給に余裕があった。たとえば先進7カ国では、それらによって、1950年から20年間にほぼ6000万人、民間賃金労働者総数の6割にあたる雇用の増大を可能とされていた。その多くは、労働運動としても冷戦構造の枠内で、労資協調的なフォーディズムや福祉政策などの経済闘争に主力をおいていた。
こうした認識は、ついで、1970年代初頭にかけて、高度成長がゆきづまりインフレ恐慌を生じて終焉させる論理の解明のためにも必要とされている。
たとえば、さきにもみたように、ケインズ主義的政策の有効性を高度成長の主要な要因とみなしていた国家独占資本主義の規定からすれば、インフレを抑制していたブレトンウッズ国際通貨体制が1971年8月のニクソン大統領の金ドル交換の停止により崩壊したのはなぜか。また、それにともない先進諸国の通貨・信用膨張が容易となり、ケインズ主義的財政・金融政策が各国ごとに操作されやすくなった状況のもとで、その操作が経済危機の発生と進行を抑制しえず、逆に悪性インフレ加速の一誘因となったのはなぜか。あるいは、国家独占資本主義論に対立していたレギュラシオン学派についても、高度成長の主要因としていた労資協調的なフォーディズムによる高生産性-高賃金の蓄積体制が、この時期になぜ機能不全を生じたのか。
こうした一連の問題に体系的に解決を与えるためには、世界資本主義の中枢諸国をつうじ、高度成長期の資本蓄積を可能としていたさきの4つの基本条件が、4分の1世紀にわたる長期好況の進展過程でほぼ使い尽くされて、その蓄積体制を持続することが困難となっていったことが再確認されなければならない。
すなわち第1に、アメリカ金融資本の内部には先進的な耐久消費財生産をめぐる産業技術の革新的発展性が成熟し、設備投資が停滞化し、独占体制再編への傾向があらわれ、1960年代にかけて第3次合同運動も展開されていた。これにたいし、アメリカからの産業技術を導入しつつ、その競争圧力のもとで生産量を高める立場におかれた西独や日本は、不均等な高成長を続け、周辺農村地域からの相対的に安価な労働力の吸収可能性にも恵まれ、高水準の設備投資を継続し、輸出競争力を増強していった。こうした不均等発展をつうじ、1オンス=35ドルでの金ドル交換のアメリカの国際公約がいつまで持続しうるか、その信認が疑われて、対米金ドル交換の請求が波状的にドル危機としてくりかえされ、金ドル交換が1971年に停止され、1973年3月には全面的な変動相場制に国際通貨体制が移行する。その過程で、中枢諸国の通貨・信用供給の国際的規律が失われ、インフレの加速、悪性化を招く誘因が与えられた。
その過程はまた、第2に、各種家電から乗用車にいたる耐久消費財の重厚長大型設備投資による生産技術の発展が、先進的アメリカにおいて成熟期をむかえ、そのことが西独、日本などのキャッチアップを容易とする背景をもなしていた。この高度成長期の産業技術の発達は、石油への依存度を高めつつ、エネルギー多消費型の産業・消費構造を先進諸国に拡大している。長期波動の上昇局面を思わせるそのような産業技術のアメリカから先進諸国への普及過程がほぼ一巡して、新たな技術革新の波動が望まれる局面が訪れていた。
第3に、世界市場で主として途上諸国から入手されていた原油、鉱石、木材、農産物原料などの供給余力にたいし、先進諸国の資本蓄積が過剰化し、それら1次産品の需給が逼迫し、価格があいついで高騰する傾向が生じ、それまで先進諸国に有利に推移していた交易条件を反転悪化させた。それは途上諸国の政治的結束による、新国際経済秩序の出現を示すところともみなされて事象の根因をなしていた。1973年秋の第4次中東戦争勃発を機に、石油輸出国機構(OPEC)が原油価格の4倍化を実現したのも、その顕著な事例である。
第4に、先進諸国の資本蓄積は、それぞれの内部の労働市場においても、高度成長をつうずる継続的雇用拡大の結果、その末期に動員可能な労働力商品の供給余力にたいし、過剰化して、人手不足による実質賃金の上昇を不可避的に生じていた。当初は、それにともなう利潤圧縮も、A・グリン、B・サトクリフ(1972)などに典型例が示されていたように、労働組合の賃上げ圧力の強化によるところと分析されることも稀でなかった。しかし、その後の経緯からみても、労働組合が容易に大幅賃上げを獲得しえた背景には、資本がみずから生産しえない労働力商品の供給制約にたいする資本の過剰蓄積がもたらした労働者側に有利な需給の逼迫が生じていたことに注意しなければならない。
1次産品と労働力の供給余力にたいする先進諸国の資本蓄積の過剰化から、それらの実質価格が上昇し、それを主要因として、資本主義主要諸国の利潤率は、1960年代なかば以降のピークから1973年にかけて20-40%の幅で圧縮され低下している。第1次石油ショックはその困難をさらに追加的に深刻化したのである。宇野原論が『資本論』から学んで恐慌に発現する資本主義の原理的矛盾の根源として強調していた労働力商品化の無理は、19世紀中葉の古典的恐慌の発現過程でも、現実には非資本主義的諸生産に世界市場的関連において供給を依存していた原料綿花のような1次産品の供給制約とあわせて、資本の過剰蓄積を生じていた。世界資本主義論の方法は、宇野『恐慌論』における外国貿易捨象の方法論にしたがい、原理的には、この後者の側面も、前者の労働力商品化の無理にもとづく資本蓄積の過剰化の矛盾に内面化して理解しうるとみなしていた。高度成長の長期好況をその末期にゆきづまらせたのは、宇野学派が恐慌論で重視してきた、労働力商品(および現実には1次産品の供給制約)にたいする資本蓄積の過剰化の困難を基本とし、その意味では、資本主義の原理的限界を深部から露呈する経済危機であった。
もっともこの経済危機は、ブレトンウッズ通貨体制の崩壊にともなう通貨・信用膨張にうながされて、一般物価のインフレの悪性化に転化され、実質利子率が(しばしばマイナスにさえ)抑制されて1次産品や原材料などの投機的在庫形成を促進し、古典的恐慌とは異なり、貸付資本としての資金の過多と生産に要する多くの商品の不足により再生産が混乱し困難を生ずる。古典的恐慌では、貸付資本としての資金の不足が、商品の過剰化をもたらしていたのとは、逆転したインフレ恐慌の様相を特徴としていた。
大内国独資論でも、岩田世界資本主義論でも、この論理は十分あきらかにされていなかったので、補整を要するところであろう。そのことをあきらかにしておくことは、その後の資本主義中枢諸国の危機と再編の長期的下降局面に生じた新自由主義的グローバル資本主義の動態の歴史的必然性と意義とを総括的に理解しやすくすることにつうずる。
4 逆流仮説と新自由主義的グローバル資本主義
1973-75年のインフレ恐慌を経て、現代の資本主義は、戦後の高度成長期の長期好況に代わる、危機と再編の長期下降局面に移行した。この局面を大きく概観すると、古典的景気循環の不況局面にあたるような資本蓄積体制の再構築への試みが、先進諸国に大規模に長期にわたり反復されてきている。その過程は、第1次大戦後の現代資本主義としては、大戦間期の危機の30年としばしば対比され、19世紀末の「大不況」との異同も興味をひく。あきらかに戦後の高度成長期とは異なる、第3の長期停滞局面をなしている。
この現代資本主義の第3局面は新自由主義的グローバル資本主義としても特徴づけられる。戦後資本主義の支配的経済政策の基本とされたケインズ主義に代わる新自由主義に政策基調が変化し、競争的で自由な市場こそが合理的で効率的経済秩序をもたらすとみなす市場原理主義が、新古典派ミクロ経済学にもとづく政策理念の基本とされる。と同時に、さまざまな社会的規制や統御から解き放された資本主義企業の多国籍化、グローバルな投資や営業活動が、資本主義経済のグローバリゼーションを顕著に推進してきている。
そのような現代資本主義の一連の変化を、宇野三段階論における現状分析としての世界経済論的研究次元において考察しつつ、その主要な特徴をわたくしなりに、世界資本主義論的に総括して「逆流する資本主義」と規定した(伊藤誠[1990,1994,1995])。それは、アメリカ、西欧、日本を3極とするにいたった世界資本主義の中枢に、この時期に生じた重要な変化の歴史的意義を方法論的にどのように理解すべきかを問いかける意図をふくむ。
すなわち、すでにみたように19世紀末の「大不況」(1873-96)を契機に、世界資本主義は金融資本を支配的資本とする帝国主義段階に移行し、国家の経済政策に規制される側面を強めてきた。とくに第1次大戦後は、ソ連社会主義の成長と対抗する資本主義として、大戦間期の大恐慌に対応するなかで生じたファッシズムとニューディール型社会民主主義的国家政策との抗争が、第2次大戦後の冷戦構造のもとで、ニューディールを引き継ぐケインズ主義的雇用政策や福祉国家路線をもたらしていた。それにともない、現代資本主義の世界経済論としての現状分析は、資本蓄積の原理を考察基準とするのみでは方法論上、あきらかに不十分であって、むしろ国家による戦争や対社会主義の政策に規定される諸側面を、帝国主義段階論をも十分に考察基準として活かす方法が大切であると考えられてきた。
ところが、新自由主義的グローバル資本主義への現代資本主義の転換は、そのような方法論的枠組みでは、その意義が十分とらえきれない。ことに、社会主義に対抗する資本主義としての戦後の社会民主主義的福祉国家主義への歩みが大きく逆転され、帝国主義段階への移行以来ほぼ1世紀にわたる国家の経済的役割の強化への傾向が反転されて、市場原理主義にもとづく社会的諸規制の緩和・撤廃が資本の活力再生の方途とみなされている。その面では、産業革命を経て確立された資本主義がイギリスを中心として、重商主義的保護政策に反対して古典派経済学が主張していた自由貿易主義をあいついで実現し普及させていった歴史的経験を強く想起させるところがある。
現代資本主義にもたらされた新自由主義への逆流も、たんなる経済政策の発想の転換によるものではない。資本蓄積の内部に生じた労働力の商品化の無理に深く関わる収益性の危機にたいし、マイクロエレクトロニクスの発達にもとづく情報通信技術の高度化と普及が、大規模な技術革新の新展開の長期的波動を広範なインパクトを、資本主義世界の諸産業や経済生活におよぼし続け、それが政策基調の変化をささえる物質的基礎をなしている。
なかでも労資関係の再編に直接間接に与えた変化はきわめて大きい。すなわち、資本主義企業は、1970年代後半以後、不況期に特有な生き残りをかけた競争圧力のもとで、労賃コストの「合理化」をくりかえし追求しあい、すでに人手不足は経済危機とともに反転解消されているにもかかわらず、工場でもオフィスでも情報技術をとりいれたオートメーション化をくりかえし推進し、雇用を削減し、多くの職場で熟練や経験を不要として、容易に労働者を代替可能とする傾向を拡大してきた。その結果、安価な非正規のパート、アルバイト、派遣などの雇用形態が中枢諸国にも激増している。とくに女性が大量にこの非正規の雇用形態で利用可能な労働力として動員される傾向が広がっている。それにともない、就職難、失業や半失業の脅威にさらされる産業予備軍を相対的過剰人口として再形成する傾向が顕著に強化され続けている。
その結果、高度成長期とは異なり、オートメーション化にともなう労働生産性の上昇にもかかわらず、実質賃金は抑制され、下方圧力をうけ続けている。家族の生活費を女性もともに支える生活様式が一般化するにつれて、マルクスも指摘していたような、労働力の価値が複数の家族成員に分割されてひき下げられる原理的作用も影響を広げてきている。
情報通信技術の高度化にともない、企業の多国籍化も容易となり、海外途上諸国の安価な労働力を利用して労働コストを削減する傾向も大きく促進され、それも先進諸国の労働者の雇用とその条件とに厳しい競争圧力を与えている。こうして高度成長期の末期に生じた資本の過剰蓄積によって一時的に実現された先進諸国の労働者階級に有利な産業予備軍の枯渇傾向にもとづく雇用条件の大幅な改善、実質賃金の上昇は、その後の危機と再編過程で、あきらかに反転されて、先進諸国の内部においても世界市場におけるグローバルな労働雇用の拡大においても、資本に利用可能な産業予備軍の再形成が長期にわたり大規模に進展している。
同時に、その過程を促進した高度情報技術の普及は、高度成長期のような大規模なコンビナート型の重厚長大型設備投資をかならずしも必要とせず、軽薄短小型の投資単位で雇用の削減や非正規化を実現しうる効果をあげやすい特性も示していた。それに加えて先進諸国をつうずる雇用の抑制、不安定化、実質賃金の停滞にともなう内需の不振から、各産業は遊休設備をかかえて設備投資の規模を停滞させやすい。それは、あたかも古典的景気循環の不況局面が慢性化して継続し、グローバルに諸資本の競争圧力を強化し続けているような状態といえる。
その過程で、先進諸国の大企業は、自己金融化への傾向を顕著に強めていった。とくに日本の大企業の多くは、高度成長期に設備投資用の銀行からの借り入れに依存していたオーバーローン体質を、この時期にあいついで解消し、自己金融化をすすめ、むしろ巨額な内部留保資金を金融的に運用する財テクにふりむけるようになる。しかも、金融部門にも高度情報技術のインパクトは大きく、たとえばアメリカで大恐慌時の金融崩壊の経験をふまえて銀行業務と証券業務の分離を定めたグラス=スティーガル法(1933)が、金融ビッグバンとよばれる一連の変化のなかで、事実上のりこえられ、証券と銀行の両業務を兼営する投資銀行のもとで統合され、銀行の資金も投資信託、金融派生商品(デリバティブ)、さまざまに組成された証券の取引などをつうじ、大量に投機的な資本市場に直接間接に注入され、そこで運用されるようになっていった。ブレトンウッズ体制崩壊後の変動相場制のもとで、為替相場の大幅な変動がくりかえされて、主要諸国の通貨自体が投機的取引の対象となり、いまや実需の100倍を超える通貨取引が主として投機目的で日々反復されている。
投機的利得も重要な推進動機として、先進資本主義諸国における現代の資本主義は、この時期に実体経済の不振と対照的に、金融化資本主義といわれるような金融部門の興隆・肥大化を生じている。たとえばアメリカでは、1970年代-80年代には、各種金融会社の利潤総額は、非金融会社の利潤総額の5分の1程度であったのに、2000年には2分の1になり、その後7割をこえる年もみられる。
こうした現代資本主義の大規模な構造変化は、先進諸国の経済政策基調の新自由主義への変化を要請し、またその変化によって助長されてきた。その論拠は、自由で競争的な市場経済こそが、合理的で効率的な経済秩序を実現するとみなす、新古典派ミクロ経済学におきなおされ、その観点から、公企業が民営化され、日本でとくに顕著にみられたように、そこに伝統的基盤をおいていた戦闘的労働組合運動に解体的な攻勢がかけられていった。同時に労働者保護的な各種の労働立法が、あいついでその解釈や規定を改変されて、各種の非正規な雇用諸形態が許容される方向に社会的規制緩和がおこなわれている。労働者の実質賃金の抑制や雇用の不安定化をともないつつ、資本主義企業に有利な雇用諸関係を自由に選択的に拡大しうる方向に変化させ、労働組合の弱体化をうながすことは、新自由主義政策に一貫した特徴をなしている。
それに加え、市場原理主義的な個人主義の観点から、医療、育児、教育、年金などの公的サービスや支援が抑制されて、それら諸領域での個人負担が顕著に増大してきている。福祉国家への歩みが反転しているのである。他方で、法人税、所得税、相続税などには国際的な引き下げの競争が、民間活力の強化の方策としてくりかえされてきた。この新自由主義的施策が、ピケティ(2014)の重視している1980年代以降の資産と所得の格差再拡大の重要な一因をなしていることはあきらかなところである。
他方、冷戦構造の枠組みのもとで、集権的計画経済による経済建設をすすめていたソ連型経済は、やや遅れて1980年代にかけて、重厚長大型設備投資による工業化にゆきづまり、自然資源や労働力の制約も増して、その成長に「摩滅」現象が広がるなかで、高度情報技術への転換やそれを弾力的に可能とする政治経済システムへの変革に容易に成功しえなかった。少なくともそれを重要な一因として、ソ連型経済は、東欧革命(1989)とソ連解体(1991)とにより崩壊する。それにさきだち、1978年以降、改革開放政策に転じ、やがて社会主義市場経済の建設を標榜する中国は、海外からの多国籍企業の投資を歓迎し、交易関係も拡大して、資本主義世界に進行する新自由主義的グローバリゼーションと抵触する存在ではなくなっていた。
それゆえ、第1次大戦後の現代資本主義を特徴づけていた、社会主義と対抗する資本主義としての側面は、この時期に大きく損なわれたとみなければならない。そこからF・フクヤマ(1992)のように、マルクスによる社会主義は失敗し、いまやリベラルな民主主義と適合的な自由主義経済こそ繁栄への望ましい道筋を与えることが判明した、と「歴史の終わり」を総括する風潮も広がっている。ソ連型社会主義の崩壊は、あきらかに新自由主義に大きな支援要因をなしている。マルクス経済学にも冬の時代の試練が訪れている。
しかし、新自由主義的グローバル化資本主義は、その実績において効率的で合理的な望ましい経済秩序を実現しているとはとてもいえない。
市場原理主義による社会的規制の緩和、撤廃は、先進諸国の企業の多国籍化、それにともなう産業空洞化をうながし、先進諸国の雇用を抑制し、不安定で安価な非正規雇用の比率を大きく増大させる傾向をもたらし、大多数の労働者からみれば、けっして望ましい変化ではない。経済成長も回復が困難で、肥大化した金融の不安定性が、労働力の金融化傾向をもともないつつ、経済生活に打撃を反復し、経済格差や新たな貧困問題が深刻化し、子育て、教育、医療、年金への公的支援が削減されて、晩婚化、少子化がうながされ、日本をはじめ多くの先進諸国では人口減少もはじまっている。営利企業中心の資本主義のもとでの人間と自然の荒廃化が将来への閉塞感を深めている。その根底に、資本主義市場経済のもたらす共同体的人間関係の解体作業が過度に進展し、アトミスティックな個人への社会秩序の解体が、社会の存続の基盤を損なう、資本主義の原理的限界が問われているといえよう。
マルクス経済学は、こうした現代資本主義の深い多重危機に、『資本論』による資本主義の原理を、それにもとづく資本主義の世界史的発展段階論とあわせて、批判的に考察をすすめる基準として方法論的に活かす方途を協力して探るべき時代を迎えている。それをつうじ、資本主義をこえる可能性を再考する手がかりも生まれて来るであろう。
ふりかえってみると、20世紀の社会主義と社会民主主義とは、ともに労働者階級の普遍的な利害をとくに国家の役割の変化に期待して、実現する方向を重視していた。21世紀型の社会変革においては、国家の役割の確実な変化を実現してゆくためにも、相互扶助的な地域コミュニティーの多様な再活性化が望ましいし、そのために地域通貨やグラミン銀行のような試みも尊重すべきであり、労働者協同組合のような同権的職場づくりも、労働力の商品化の廃止への方策として拡充されてゆかなければならないし、そのようなグラス・ルーツの社会的連帯活動への一基盤として、ベーシックインカムの構想もありうるのではないか、といいた多様な発想やそれによる実践が世界的にも興味をひいている。その延長上に、多様な地域社会の特性に応じた市場社会主義の可能性も探り直されている。
そのような21世紀型の社会変革の理論的基礎にも、実は、現代資本主義の考察と同様に、『資本論』のような原理論と資本主義の世界史的発展段階論ないし現状分析が、有効な考察基盤を与えうるとかんがえられる。もともと宇野の三段階論も、そのような変革への綱領、戦略、戦術の基礎となるよう意図されたものであったし、岩田世界資本主義論も、晩年の中国への関心をふくめ、現代的変革論への寄与を念頭においていたといえよう。それらの意図の継承を願いつつ、私としては、「逆流」仮説をつうじ現代資本主義が、現代の社会主義とともに、根源的で原理的諸問題に直面し、それをいかにのりこえうるかにそれぞれの意味で興味ある重大な課題を提示していることに深く興味をひかれている。
[参考文献]
伊藤誠(1990)『逆流する資本主義』東洋経済新報社。
―――(1994)『現代の資本主義』講談社学術文庫、 ともに『伊藤誠著作集第4巻』(2010)、社会評論社、所収。
―――(1995)『市場経済と社会主義』平凡社、『伊藤誠著作集第6巻』(2012)、社会評論社、所収。
―――(2013)『日本経済はなぜ衰退したのか』平凡社新書。
―――(2015)『経済学から何を学ぶか』平凡社新書。
岩田弘(1964)『世界資本主義』未来社。
宇野弘蔵(1964、2016)『経済原論』岩波全書、岩波文庫。
五味久壽編(2015)『岩田弘遺稿集』批評社。
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2016年1月23日伊藤誠・世界資本主義フォーラムのご案内
<矢沢国光>
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金融不安、貧困格差、世界経済のパワーバランス変化、ソブリン危機など、危機の様相が深まっている一方、マルクス経済学の分析力がそれに追いついていないのではないか、若手研究者にどういったところを望むのか――マルクス経済学に依拠してきた多くの研究者・実践運動家たちが共有するこうした問いに、マルクス経済学の第一人者・伊藤誠名誉教授が応える。
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〔study697:160116〕
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