戦争犯罪と従軍慰安婦 -ニック・タース『動くものはすべて殺せ』発刊に寄せて
- 2016年 1月 16日
- 時代をみる
- 従軍慰安婦盛田常夫
戦争と慰安婦
昨年末の日韓外相会談で、日本政府が軍の関与を認め、従軍慰安婦問題の決着を図った。韓国側の合意受入れにまだ一悶着ありそうだが、とりあえず決着したことを歓迎したい。
従軍慰安婦問題はたんに日本帝国軍隊だけに見られるものではなく、正義、不正義の戦争を問わず、慰安婦の存在やレイプは戦場で普遍的に観察される現象である。ハンガリーをナチスドイツ軍から「解放した」はずのソ連の赤軍兵士は、占領した各地で略奪や婦女子陵辱を繰り返したが、それを公にすることは旧体制下でタブーだった。体制転換後に、ようやく占領時の赤軍兵士の行動を題材にした映画制作された。「解放軍」ですらこの有様だ。戦前の日本帝国軍の朝鮮人慰安婦は植民地支配下の朝鮮民族の女性を動員したところが問題の核心であり、戦時売春婦として一般化されてはならない。
昨年10月の朴大統領の訪米に際して、ベトナム人女性がベトナム戦争に加わった韓国軍兵士が、慰安所を利用したり、戦場でのレイプをおこなったりした仕業についての謝罪を求める行動を行った。日本ではそれを取り上げ、日本帝国軍の慰安婦問題の希釈化を測ろうという動きがみられたが、これは日本軍の慰安婦問題の免罪に使う筋合いのものではない。それはそれ、これはこれである。ベトナムでの韓国軍の仕業を理由に日本軍の仕業が免ぜられることはないし、戦前の日本軍の事例があるからといって韓国軍の仕業が大目にみられるはずもない。
ベトナム戦争が本格化した1965年以降、戦闘の激化とともに、米軍の集団殺戮行動がベトナム全土に拡大し、それにともない戦場での婦女子のレイプと殺戮は日常的なものになった。韓国軍はそのアメリカ軍の指揮のもと、アメリカ軍兵士と同じ行動をとったにすぎない。アメリカ軍兵士が紳士で、韓国軍兵士が野蛮だったわけではない。戦場では誰もが野蛮になるというだけのことだ。しかし、このことを詳細に語り、告発することは、韓国でもアメリカでも今なおタブーである。女性を斡旋する仲介者がいるとはいえ、軍が関与しないで慰安婦が戦場に存在しないことは説明を要しない。
もしユネスコが南京虐殺や日本軍の従軍慰安婦を世界記憶遺産にするならば、第二次世界大戦終了時の広島と長崎への原爆投下(民間人の大量殺戮)、ベトナム戦争における甚大な民間人虐殺と婦女子レイプは、人類の歴史の中で語り継がれるべき負の遺産として後世に残さなければならない。たんに、敗軍の兵士の行動のみが歴史の恥辱として語り継がれるのではなく、第二次世界大戦終了時から始まった大国の戦争犯罪を、事実に照らして、歴史の中で語り継がれなければならない。
この視点からすれば、ベトナム人300万人を殺害したベトナム戦争におけるアメリカの戦争犯罪は、第二次世界大戦後における最大の犯罪として歴史の中で裁かれなければならない。アメリカの軍首脳も国防省も、ベトナム戦争における民間人虐殺や捕虜虐待の事実を掌握していた。しかし、負けるわけにはいかない戦争で、自軍の兵士を処罰することをためらい、不都合な事実を隠蔽するか、軽微な刑罰で事を済ませてきた。その結果、多くのアメリカ国民はベトナムで自国の軍隊が行っている殺戮や不法な行動を知ることなく、あるいは事実と認識しても例外的な特殊事例として見過ごし、今日に至っている。
オバマ大統領ですら、宣誓式でベトナム戦争をアメリカの建国のために汗を流した戦争の一つであったかのように表現している。勘違いも甚だしい。いまだにアメリカ政府は自らが犯した戦争犯罪と正面から向き合っていない。だから、ベトナム民族への謝罪も賠償も一切ない。アメリカの軍部はいうに及ばず、政治の世界もまた、アメリカがベトナムで行った恥ずべき戦争犯罪を一貫して隠蔽し続け、自らの犠牲だけを主張し続けていることを鑑みれば、それを明るみに出す作業はきわめて重要である。
ベトナム戦争におけるアメリカの戦争犯罪
ベトナム戦争にいたる歴史は戦前のフランスの植民地支配にまで遡るが、特筆すべき戦争犯罪が持続的に観察されるのは、1964年以降の米軍の本格介入(北ベトナム爆撃と地上軍投入)から1972年の完全撤退にいたるまでの8年間の戦闘行為である。
最近になって、この時期のアメリカの戦争犯罪を総括的に検討した書物が発刊された。ニック・タース著『動くものはすべて殺せ-アメリカ兵はベトナムで何をしたか』(みすず書房、2015年10月発刊))である。コロンビア大学大学院生だった著者が、ベトナム帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の研究のために米国公文書館図書館でさまざまな公的文書を調査するなかで、アメリカの戦争行為が惹き起こした膨大な犯罪記録を発見したことから、この著書に結実する調査研究が始まった。10年に及ぶ調査にもとづいてまとめられたのが本書である。
本書で紹介されている最新のベトナム側の犠牲者データ(ハーヴァード大学医学大学院とワシントン大学保険指標評価研究所の2008年の評価)によれば、戦闘員・非戦闘員を合わせた戦没者総数は380万人とされている。ベトナム政府が1995年に発表した推計では、アメリカの本格介入以後の犠牲者は、戦闘員100万人、非戦闘員200万人である。正確な数字は永遠に不明だが、少なくとも300万人以上のベトナム人がこの戦争で命を落とした。さらに、地上戦やアメリカが投下した無数のナパーム弾、クラスター爆弾、枯葉剤による負傷者は数知れない。重傷者の数は死者の2.64倍という推定値から計算すると、民間の負傷者数は530万人と推定される。これにたいして、アメリカ軍の犠牲者のうち、戦死者は58,000名、負傷した兵士は304,000名(うち、153,000名が重傷で、身体障害を負った者は75,000名)と報告されている。
確かに、オバマ大統領が就任演説で触れざるをえなかったように、アメリカがベトナム戦争で払った犠牲はきわめて大きなものだった。人命を失っただけでなく、「非文明国のゲリラ・ベトコン」に敗れるという建国以来最大の屈辱を味わった。もっとも、アメリカの軍需産業とそれに繋がる政治家だけは、兵器の生産や新兵器の性能実証で法外な利益を上げたことを忘れてはならないが。しかし、最新兵器を装備した無敵であるはずアメリカが、時代遅れの兵器とゲリラ戦術のベトナム軍に敗北し、完全撤退しなければならなかった屈辱は、アメリカのその後の戦争政策に大きな心的障害を与えた。
しかし、いかにアメリカの犠牲が大きかったとはいえ、ベトナムが受けた犠牲と被害の大きさは比較にならない。広大な国土が破壊され汚染されただけではない。戦闘員と非戦闘員合わせたベトナム人300万人が、国外から侵入した軍隊によって殺戮されたのである。これほどの人々が短期間に殺戮されたことは、アメリカの「戦闘」行為が尋常でなかったことを示唆している。そして、その非情さの背後には、ベトナム人への蔑視があり、ひいてはアジア人全体への蔑視がある。
アメリカ軍兵士は、ベトナムの人々をけっして「ベトナム人」とは呼ばなかった。アメリカ軍は、ベトナム民族解放戦線兵士を「ベトコン」(ベトナム共産主義者)と呼び、軍隊用語で「ヴィクター・チャーリー」とか「チャーリー」と呼んでいたが、頻繁に使用された最大の侮蔑語はアジア人全体にたいして使用される「グーク」(gooks)であった。これはアメリカ軍が文明的に低い国の民族にたいして用いる蔑視語であり、要するに「人間以下の存在」ということだ。アメリカ軍は最初から最後まで、ベトナム人を「グーク」と呼び、「黒いパジャマ」を来た者は皆「VC」で、それに同調するものは殺戮されて当然だと考えていた。
ベトナムのジャングルでの戦いに、アメリカ軍は四苦八苦した。神出鬼没にアメリカ軍を襲うゲリラにたいして、アメリカ軍は過剰攻撃を加えて報復するのが常套手段であった。待ち伏せにあって部隊の何名かが負傷すると、爆撃機の応援を依頼し、その地域に隣接する山村を丸ごと消滅する作戦がとられた。最初に藁葺き小屋に機関銃掃射を行い、一つ一つの小屋を手榴弾で吹き飛ばしたり、火炎放射器で燃やしたりして、村を丸ごと破壊した。大概、村には兵士や若い男性は残っておらず、いるのは老人と女と子供が大半だった。しかし、彼らは皆、VCの同調者とされ、逃げる者はその場で射殺され、捕らえられた者は一カ所に集められ銃殺された。若い女性は衣服をはぎ取られ、陵辱された後、他の者たちと一緒に銃殺された。銃殺した被害者の耳を切り取って飾りにし、女性の乳房を切り取ることなどの猟奇的な行為も頻繁に報告された。近代兵器をもちながら、いつ攻撃を仕掛けられるか分からない状況の中で、アメリカ軍兵士の精神は麻痺し、鬼畜と化したのである。もちろん、すべての兵士が鬼畜となった訳ではない。良心の呵責に耐え切れず内部告発する者や、退役軍人の告発が相次いだが、国防省は有効な手を打つことなく、虐殺を隠蔽することに躍起だった。
1965年から海兵隊の精鋭部隊を派遣した韓国もまた、アメリカ軍に倣って、勝るとも劣らぬ虐殺を行った。インターネット情報の一部には、基地に設置された慰安所は韓国軍だけの仕業であるかのような記述が見られるが、これは先入観にもとづく推測である。ニック・タースは慰安婦問題に紙幅をほとんど割いていないが、スーザン・ブラウンミラーの調査にもとづく事実を簡潔に紹介している。それによれば、すでに1966年に、第1騎兵師団と第1歩兵師団、第4歩兵師団は、「基地周辺に公式の軍の慰安所を設置していた。ライケにあった第一兵師団のキャンプでは、南ベトナムの省知事に採用され、ライケ市長に斡旋された難民女性が、憲兵の監視のもと、60室のカーテン付きの小部屋で仕事をしていた」。第9歩兵師団のベースキャンプだったドンタム基地では、本部の隣のビルに、140室の部屋が用意されていた。料金は1ドルから2ドルだったという。
ソンミ(ミライ)村虐殺事件
1964年の北爆開始以後、アメリカはベトナム全土を焦土化するごとく、圧倒的な重器でベトナムの森林を焼き、各地で絨毯爆撃を繰り返し、地上作戦では点在する山村を片っ端から壊滅する作戦をとった。1965年に一挙に18万4千人に膨れ上がった駐留米軍は、翌年には38万5千人、67年に48万6千人、68年には53万6千人に増強された。これに比例して、韓国軍の地上部隊も増強され、1968年には5万人まで膨れ上がった。
アメリカは森林を焼き払えば、時代遅れの銃器しか持たないゲリラを白日の下に晒すことができるから討伐するのは簡単だと考え、それなりの成果が上がっていると考えていた。ところが、南ベトナム解放戦線は、1968年テト(旧正月)の1月29日の深夜、首都サイゴンを初めとする全土の主要都市と米軍基地で、一斉攻撃を開始した。この「テト攻勢」で、サイゴンのアメリカ大使館が一時占拠されるなど、アメリカ軍と南ベトナム軍は大混乱に陥った。しかし、都市のゲリラ戦に加わった解放戦線の人員は限られており、すぐに制圧された。そして、アメリカは即座に報復攻撃を開始し、各地で激戦が繰り広げられた。アメリカ軍はこの1968年だけで、12,000名の戦死者を出した。
このいわゆる「テト攻勢」は軍事的には解放戦線側に多大な被害をもたらしたが、アメリカに与えたショックと犠牲も大きく、これがアメリカ国内を初め、世界各地におけるベトナム戦争反対運動を活性化することになり、アメリカが「名誉ある撤退」を考え始める契機になった。
他方、アメリカ軍による報復は激しさを増し、各地で民間人の大量殺戮が行われた。この時期の最大の虐殺が、ソンミ(ミライ)村における虐殺事件である。
数多くの虐殺事件が内部告発によって国防省に届けられ、その報告書は今なお現存しているが、事件のほとんどは内部で穏便に処理され、外部の目に晒されていない。このソンミ村における虐殺事件も、事件後1年経った段階で、ようやく明るみに出た事件である。虐殺規模が大きかったために、国防省は隠し通すことができなかった。
1968年3月15日、第23歩兵師団第20歩兵連隊第一大隊C中隊は、クアンガイ省ソン・ティン県のソンミ村を急襲した。作戦命令は、「息をしているものはすべて殺せ。何もかも」であった。兵士が目的地に到着した時に目にしたものは、朝食の準備をする女性と子供と老人だけだった。兵士は銃を乱射しながら村に入り、藁葺き小屋に手榴弾を投げ入れ、逃げまどう人々を銃撃した。4時間かけた虐殺は村人504名を殺害した。この作戦結果は、「敵兵128名殺害、自軍犠牲者ゼロ」と報告された。敵兵殺戮数(ボディカウント)は常に部隊の成績を測る指標として使われた。ウェストモーランド将軍(駐ベトナム米軍総司令官)はこの成果を称える祝電を送った。
この虐殺事件はベトナム解放戦線側から告発されたが、アメリカは無視した。それが公になるのは、この作戦から帰還した一兵士の内部告発からである。虐殺事実が新聞に報道され、陸軍カメラマンが撮影した写真が公開される段になって、国防省はこの事件を調査せざるを得なくなった。最終的に30名の兵士がこの虐殺にかかわり、224件の重罪を犯したと断定されたが、カリー中尉一人が終身刑の実刑判決を受け、事件は閉じられた。しかも、ニクソン大統領はカリー中尉を自宅軟禁40ヶ月に特赦減刑し、やがて仮釈放したのである。アメリカ人にとって、グークの殺戮は殺人には当たらないと公言したようなものだ。
ソンミ村虐殺事件は数多くの類似の虐殺の一つにすぎなかった。米軍と韓国軍が増派された1966年には、韓国軍による大量虐殺事件はクアンガイ省内だけで14件起きたと報告されている。最大の虐殺ですら実行者は無罪放免されたのも同然だから、他の「小さな」虐殺など、犯罪のうちに入らなかった。ほとんどの内部告発は軍部か、国防省で握りつぶされてしまった。アメリカ軍は法的にも倫理的にも語るに落ちた存在になってしまった。
民間人の大量殺戮を「大量殺人」とは考えないアメリカ軍の行動様式は、現在もなお、生き続けている。自らが設定した「敵」を倒すためなら、付随的に生じる人的被害は殺人ではなく、「付随的損害」(collateral damage)にすぎないのだ。これほどの傲慢がどこにあろうか。
ベトナム戦争において、沖縄を中心とする日本の米軍基地がフル稼働した。日本は間接的にアメリカのベトナム侵略戦争に荷担したのである。ただ救いは、自衛隊を派遣しなかったことだ。憲法九条が自衛隊の参戦を抑制し、日本は戦前の過ちを犯すことはなかった。憲法の存在と安保反対闘争の歴史が、日本の参戦を食い止めた。
ニック・タースの著書を理解できる知性があれば、憲法改正や集団的自衛権なる発想は出るはずもないが、残念ながら現在の日本政府首脳は本書を読解できる知性を持ち合わせていない。
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