友愛党は何を目指しているのか?《その命(心)を全力で救いたい》究極の人権侵害に対し連帯して声を上げるべき時である。中編 豪華付録:労働力商品化の止揚、市場経済について
- 2016年 1月 20日
- 交流の広場
- 武田明
要注意、老人施設に入所すると早期に寝たきりにされると言うのは本当であった。
時間があまりなかったので、今回は、中編です。
まさに、安倍政治と貧困日本の究極の姿がここにある。
介護にとって不足しているのは、人手ではなく、認知症への理解であり、医療的知識である事が暴露されてきているのだ。
どこも同じ様な状態であり、寧ろ年金を早く打ち切りたいと死ぬのを待っている状態であるのならそれは殺人に等しい状態を容認しているのではないだろうか?
まだ生きれる者が、その心から消されていくのがこの病気と日本の現代版楢山節考の恐ろしいところである。
家族は、諦めるしかない、泣き寝入りするしかない状態で来たのだろう。
本来なら、まだ生き続けられる命、生きさせたいと願っている家族に背を向け葬儀場一歩前の処理室としてそこは役割を果たしてきているのだ。
そして、その老人を死に追いやる事は簡単な事であるのだ。
座らせっぱなし寝かせっきりにしている事だ。
それを政府は、知っていて手を打たない事を今こそ告発すべき時である。
何処の保健施設、特別老人ホームも同じであるとしたなら国民も共犯者にさせられているという事だろう。
その寡黙な友人と電話やメールで連絡を取り合っているが、
認知症への理解に基づかない医療的無知によって置き去りにされた老人たち。
悲鳴さえあげられない苦しみの中に置かれている事を聞き出している。
現代版『狂気の歴史』『監獄の誕生』を持って、老人施設の狂気の扱いを告発していかねばならない。
友人の話では、今にして思えば、老人施設は、午前中だけでも小学校1年生の様に、文字を書き、読ませる少人数学級の体裁を持っていたなら読み書きを忘れず持続していただろう。
体の機能も低下しないで維持出来ていたはずなのだ。
しかし、それは、ケアプランに入っていない。
暴れる粗暴な老人、縛られる老人は、ごく少数である。
縛る必要はないのだ。
ただ座らせっぱなし寝かせっきりにしているだけで虐待は完成されているのである。
友人の母親もいよいよ鼻水を垂れ流しにしたまま放置され、昼ごはん時に、寝ていた為に、ご飯を取り上げられた上に、点滴と言う廃人的最終段階のケアを受けつつ、それに対して、食べる事の大切さ、食べる事も運動であると抗議したが、
そんな事も知らずに、あるとは思えないだろうと思い返した様だ。
確信犯的であるのではないだろうか?
微熱を繰り返し、一度、直った風邪も悪化させていくしかないのだ。
座らせっぱなし寝かせっきりの24時間である。
その苦痛と言うと想像を絶するのではないだろうか?
見て見ぬ振りができるのだろうか?
これが、「介護離職ゼロ」の正体なのである。
前後したが、「介護離職ゼロ」切り崩し告発を先に持ってきた。
だが、「労働力商品化の止揚」「市場経済」に纏わる以下の一文の方が、先に書いたものだ。
植草一秀先生の介護人材不足指摘を賞賛しつつ、更に、論を一歩進める形に上記の結語がある。
本気で、医学的全力を尽くし命の次元にて安倍政治切り崩しの突破口として、友愛党行動を強めていかねばならない。
全国の友愛党同志よ、団結せよ!
後半に続く。
豪華付録:市場経済は、本当に機能しているのか?
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