対中「敗戦認識」不形成の一遠因
- 2016年 2月 11日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
第二次世界大戦のヨーロッパ戦域においてドイツ第三帝国と最初にたたかい、かつ最も長くたたかった国はポーランドである(1939-1945年)。アジア戦域において大日本帝国と最初にたたかい、かつ最も長くたたかった国は中国である(1931-1945年)。ともに長期の占領状態におかれながら、抗戦意志と抗戦状態を持続し、最終的に勝利の日をむかえた。でありながら、ドイツ国民は、対米英戦争で、対蘇(ソ)連戦争で自分達が敗北したことを認識しているほどに、対波(ポーランド)戦争においても敗北したと認識していない。同じく、日本国民もまた対米(英)戦争で自分達が敗北したことを認識しているように、対中戦争においても敗北したと認識していない。ドイツ国民や日本国民のすべてがと言うわけではないが、かなりそう感じているのではないか。
政治の延長としての戦争と言う本質的戦争理解においては、日本国民もドイツ国民も対中国と対波(ポーランド)国に関して敗北を自覚している。しかしながら、諸戦闘の総体としての戦争と言う現象論的戦争理解においては、ドイツ国防軍はポーランド国軍を粉砕し、日本帝国陸海軍は中国軍を圧迫していた。敗北と言う認識は持ちがたい。ポーランドに言えることは、フランスにも言える。またある程度ユーゴスラヴィアにも言える。周知のように、連合国によるドイツ占領と日本占領の間に様式差がある。ドイツは連合軍によって分割直接統治され、日本は分割されず、かつ間接統治であった。
ドイツの場合、米英仏蘇(ソ)が夫々占領軍を進駐させ、夫々の占領地域を直接統治した。首都ベルリンは四分割され、上記四国が夫々の占領区域を管轄した。米英蘇(ソ)は、ドイツ国民の目からみて本質論においても現象論においても堂々たる勝者の資格を有していた。仏国は波(ポーランド)国並の本質論的勝者であっても現象論的勝者ではなかった。にもかかわらず、仏国は、現象論的非勝利のハンディを克服すべく、米英に説得懇願して、占領軍の地位を確保し、ドイツ国民に対して戦争勝利者の顔を見せ付けた。
日本の場合、分割されず間接統治であったから、勝利国の占領軍の存在の重みはドイツに比してやや軽かったかも知れないが、軍の存在自体、日本民衆にこの戦争で誰に負けたかを、事実を皮膚感覚的に納得させる上で大きな役割を果たしたはずである。日本本土を占領したのは、米軍と英連邦軍(中国・四国地方)であった。中国(=中華民国)は、諸戦闘の総体としての戦争において非勝利であっても、決して敗北してはいなかった。
第二次大戦の連合軍勝利への貢献度は仏国よりもはるかに大きい。しかし、どういう訳か、仏国のように政治の延長としての戦争における勝利をとことん活用しなかった。具体的に言えば、日本国民の面前へ占領軍として顔を見せ付ける演出をしなかった事だ。それどころか、日本帝国の大陸からの退場とともに、国共内戦に突入し、国民党軍も―いわゆる白団―共産党軍も旧敵軍の日本軍の活用に走った。内戦は内戦として戦うにしても、抗日戦争の最終的勝利を米英に独占させないためにも、国民政府軍あるいは国共大同軍を数万人日本本土へ派遣し、自分達もまた堂々たる勝利者である事を日本人民にアッピールするチャンスを失った。かかる大政治がなかった。ここに国際政治の玄人=仏国との差が見られる。国連の常任理事国で敗戦国に進駐しなかったのは、中国(=中華民国)ただ一国であった。
ここで紹介しておきたい文書がある。ロンドンのポーランド亡命政権の国内的基盤である挙国一致評議会の宣言『ポーランド国民は何のために戦っているか』(1944年3月15日)である。「恒久平和の条件 この目的のために不可欠なのは、ドイツをはじめとする侵略国を妥協なく完膚なきまでに撃破するだけでなく、ドイツを軍事的にも経済的にも政治的にも社会的にも完全に、全面的に非武装化することである。ドイツ人から戦略上の出撃拠点を奪わなければならない。・・・・・・。・・・・・・復讐や新たな侵略への傾向が生じることを許さないために、ドイツ国民の中のプロイセン気質とナチ気質を消し去り、ドイツ帝国を分割し、・・・・・・。・・・・・・。ドイツの自信過剰と自己本位、残虐さとエゴイズムを打ち砕き、徹底的に根絶しなければならない。ポーランドは侵略と残虐行為に直接さらされた国として、ドイツの管理への相応の発言権と管理への参加権を持つべきである。」(吉岡潤訳著『戦うポーランド――第二次大戦とポーランド』東洋書店 2014年12月、pp.8-9)
中国(=中華民国)は、1943年11月のカイロ会談(ルーズベルト、チャーチル、蒋介石)の主要当事者である。1945年7月のポツダム会談(米英蘇波。仏は参加不許可)の結果であるポツダム宣言の主要署名国である。にもかかわらず、ドイツ占領管理問題で仏国や波(ポーランド)国のように前面に押し出ようとはしていなかった。上記宣言に見られるように、波(ポーランド)国の挙国一致評議会(ドイツ占領下ポーランドの地下議会)は、ドイツ敗北の一年以上前に「ドイツ管理への相応の発言権と管理への参加権」を主張していた。これが実現していたならば、ベルリンは五分割されていたことになる。日本の占領管理の場合、GHQマッカーサー将軍並の権力を中国軍代表がにぎる事は夢物語であるにしても、米英軍と並んで中国軍が日本列島に進駐し、勝利者の姿を日本国民に見せ付ける事は十分に可能だったはずだ。実際には、ソ連軍、オランダ軍、中華民国軍は、部隊を進駐させず、日本国内の数ヶ所に駐在武官を置いただけだったと言う。
かくして、日本国民の心象において、日本の対中「敗戦認識」は、対蘇(ソ)「敗戦認識」、対オランダ「敗戦認識」に近くなってしまった。
私=岩田は、かかる対中「敗戦認識」は、日中両国家にとって、日中両国民にとって悲劇的誤謬であると考える。近代日本最大の誤戦=無名の師、侵略戦争の自覚が私達日本国民の心の中でぼやけたからである。かかる認識磁場にあらがいつつ、対中交流につとめる日本人が多くいる。ある露文学・露思想研究者は、停年で国立大学を辞して後、中国に渡り、墨子をエスペラント語に訳し、今年中国で出版予定であると言う。「兼愛」の思想が世界に拡まる。良きかな。近代ヨーロッパ生まれの理念「友愛」は、民族概念の中核、民族主義の精神であるが、古代中国の「兼愛」はその先を予示しているかも知れない。
平成28年2月11日
神倭伊波礼毗古命「畝火之白檮原宮に坐して天下治しき」と古事記に言うその日に当たる日に。
岩 田 昌 征
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〔opinion5900:160211〕
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